短編 | ナノ


ゆめだった。03【しますぐ】


それからどうしたかは分からん。気が付いたときは坊が寝ているという部屋のドアの前におった。ばたばたと遠くの方から柔兄、金兄、子猫さんの足音がする。ドアを開ける。ひどく手が冷たかった。ドアの方が温かみがあるんじゃないかというほど。
ドアを開けると風が強かった。カーテンがばさばさと靡いていて、それを坊は何をするわけでもなく見ていた。窓の外は眩しくて目が眩む。そんな光を坊はひたすら眺めていた。

「…お嬢」
「志摩……俺らの子、どっか行ってもたんやて」

堪忍なぁ、と言う声は震えていた。カーテンばかりを見て俺を見ない。肩に触れるとびくりと体が震え、顔を合わせると、涙をぼろぼろと流していた。きっと、俺が来る前から酷く泣いていたんだろう。顔と目尻を真っ赤にして、嗚咽交じりにすまんすまんと俺に何度も何度も謝った。悲しいくらいに謝った。



流産やった。



先生の話によると、坊は警備の途中に腹が痛くなってどうにもないとは思うけどと早退して病院に自分で来たらしい。それから検査して診断されて、立たれん様になって今簡易ベッドで寝かされてとる。手術の必要はないから大丈夫やし、次の妊娠にも問題はないと話された。
俺は先生に原因はなんですか、と聞いた。妊娠には問題ないと言われたけど薬をいくつか飲んでたし、俺が色々無理強いしとったし、ストレスめっちゃ溜まってたんです。仕事もしたかったはずやのに全然やらせへんかったし、家の仕事も手伝われんの苦痛やったと思うんです。お嬢は悪くないんです、全部俺があかんかったんです。そんな言葉がするすると出てきた。俺がもう少ししっかりしてて、誰にでも認めて貰えるようなやつやったらきっともっとちゃんとしたことが出来とったのに。子供もどこにもいかんで坊の腹の中におれたんかもしれへんのに。そういうと医者は100人妊婦さんがおれば10人は流してしまうんです、母体のストレスは胎児に影響はありません。今回はほんまにしゃーないことなんです、誰も悪ぅないんです。と静かに言った。医者の白衣が白すぎて、眩しかった。
誰も悪くないのに、なんで俺と坊の子はどこかへ行ってもたんやろう。
俺はその場で泣いて泣いて泣きまくった。なんでなん、なんでなんって誰のせいでもないのになんで、とずっと泣いた。この病院が悪いんちゃうの、子猫さんがあんなこと言い出すからちゃうの、柔兄たちがばらすて言うたからちゃうの、警備に一緒に行っとったやつが坊に無理させたからちゃうの。人のせいにしたかった、無理があってでも誰かのせいにしたかった。どうしようもなかっただなんて思いたくなかった。先生は俺にブランケットとタオルを貸してくれてそのまま部屋を出て言ってくれた。椅子に座っているのも辛くて、ずり落ちても涙は止まってくれなかった。



「お嬢の体は大丈夫やて」

真っ白いシーツに少しやせた腕が放ってある。起こして、と言われて上体を起こした。さっき開いていた窓は閉じていた。まるで坊をここから逃がさへんっていうほど、圧迫感があった。

「聞いた。柔造らも来たわ。おとんらに全部話してくれる言うて先帰ったで」
「そうやったんですか」
「うん」

しんとした病室に2人の息の音が聞こえる。これがもう一つ増えるはずだった未来があったなんて今じゃ到底思えない。坊が傍にいてくれることによって、心にある虚しさを共有できて、まだ一人の時より正気を保てた。共有することによってより坊との心がつながったと思う。それを幸せだと言えるにはまだまだ時間がかかるけれど。
放り出された手を握って、言おうか迷っていたことを言う。

「…お嬢と、子供出来た喜びについてはたくさん話したけど、その後の未来はあんまり話しませんでしたね」
「そうやな」
「……」
「やって、志摩とやったら絶対幸せになるて分かってたもん」

口で未来を描くことなんてせんでも、幸せやて分かってたから。
その幸せはお預け喰らってもたけどな、と笑う坊は強かった。俺はそれを言われただけであれだけ泣きはらしたのにまた涙を流しそうだった。
俺が、坊を幸せにできるってそんなん分からんことやないですか。柔兄のように真面目でしっかりしてるわけやないし、金兄のように明陀に情熱と命捧げて戦ってるわけやない。ただ坊がそこで笑っていられるならしゃーないしって頑張ってただけの俺に、そこまで思ってくれてたんですか。

「………。心の整理ついたら、作りに行ってきます」
「作る?」
「ほんまは、生まれたらベビースプーン贈ろうて思てました」

自分と、坊と、もううまれることのない子供に。

「っ」
「小指ほどの銀のスプーン作って、ネックレスにしたらずっと持っておけるなて思てたんです。これから任務で忙しいし、きっとずっと一緒にはおられへんやろうからせめてって」
「………そんなん、」
「貰ってほしかった、どうしてもお嬢に持ってほしかった」

坊の濡れた頬にキスをした。唇にキスをすると、しょっぱい味がした。
坊とキスをして、坊から息を貰ったらこの心にあるぐるぐるとした気持ちを消し飛ばしてくれる気がした。俺の中の薄汚い気持ちを、綺麗な息で俺を清めてくれるかもなんて。人のせいにばかりしてた俺を少しでも綺麗にしてくれるんちゃうかなって。

「ほ、しい……それ、欲しい」
「はい、作りに行きましょう。子がうまれる月、大体逆算したらわかりますやろ?その誕生石と、ルビーとペリドット置きましょう」


子の石を真ん中に置いて、俺らに喜びをくれた証拠を作りましょう。



今まで辛いことを経験して、愛し合って、後悔をたくさんして、喜びを分かち合ってきました。でも、これからももっといっぱいのことを経験すると思うんです。もしかしたら今以上にしんどい気持ちになることがあるかもしれん。それでも倒れずに、折れずに支えあいましょうね。2人やったらきっと大丈夫やから。俺が倒れそうになったら叱咤してください。坊が倒れそうなら俺が盾になります。もし、それでもあかんかったら2人で堕ちていきましょう。落ちて墜ちて堕ちて、おちるところまでいったら一緒に泣き腫らして最後の涙を一緒に見届けましょう。そっから一緒に這い上がればええんです。
そうやってこれからの未来を歩んでいきましょう。



続→

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