お姫様の条件ってなんだろう?
 かわいいこと?小鳥や動物に好かれること?素敵なドレスが似合うこと?それともやっぱり、王子様がいること?

「わからない……」
「おや、何がわからないのですか?」
「日々樹くん!」

 一人練習ルームに残って役づくりのことを考えながら独り言を呟いていたら、日々樹くんが現れた。
 悶々としている私に向かって悩み一つ無さそうな陽気な表情で話しかける。

「フフフ、何やら悩んでいるようですね」
「うーん、お姫様ってどんな感じなのかなって」
「それはあなたがいつも夢見ているでしょう?」
「うん、でも夢を形にするというか、表現するのって難しい……」
「夢を見ることができればそれは実現できるのですよ」

 日々樹くんの口は美しい弧を描く。

「そうだ!これからちょうど友人に会いに行こうと思っていたんです。お花畑さんも来ますか?」
「日々樹くんのお友達?」
「ええ。彼はね、自分の夢や世界を形にすることにかけては並大抵ならぬこだわりを持っているんですよ。悩めるお花畑さんのヒントになるかもしれません」

 そんな言葉に誘われ、私は日々樹くんについて行くことにした。夢ノ咲学院は本校舎の作りが少し西洋風で広い廊下を歩き回っていると、それだけでちょっぴりロマンティックな気持ちになる。ばったり会えたりしないかしら、私の王子様と。そんな夢妄想が膨らんでいく。
 日々樹くんのお友達とは、一体どんな人だろう。やっぱりアイドルだろうか。きっと日々樹くんみたいに、派手で面白くて才能に溢れた人なのだろう。類は友を呼ぶなんてよく言うんだから。

「着きました」

 『手芸部』と書かれた教室札が目に止まる。どうやら手芸部の部室の中に日々樹くんのお友達はいるらしい。日々樹くんがドアを開けて入っていくのに続いて私も部室に飛び込んだ。
 その瞬間、一瞬息が止まった。暖かみのある柔らかそうな髪に、何ドルもの価値がつきそうなアメジストの瞳。真っ先に視界に映り込んだのは、ずっとずっと会いたかった、出会ったあの瞬間から何度も胸焦がれて、毎晩夢に出てきた王子様だった。
 固まっている私のことはお構いなしに日々樹くんは王子様にどんどん近づいていき、嬉々とした声で話しかける。

「宗!久々ですね、会いたかったですよ!」
「……渉、君が普通にドアから入ってくるなんて珍しいね。渉の後ろにいるのは……」

 王子様がこちらに目を向ける。視線がかち合う。顔が熱くなる。あまりに突然で、ずっと会いたかったはずなのにいざこうして目の前に現れると、逃げ出したくなるような衝動に駆られる。

「お、王子様……」
「君は購買にいた…僕のことを王子様だの何だのと言ってきた小娘……!」
「宗、あなたいつから王子様になったんですか?お二人が知り合いらしいのも驚きですが、そんな呼ばれ方してるなんて爆笑物ですよ!」

 怪訝そうな顔の王子様。愉快そうな日々樹くん。そして今にも顔から火を吹き出しそうな私。

「なぜ君が渉について僕の元まで来たんだね」
「えっと、日々樹くんのお友達に会ったら表現のヒントがもらえるって聞いて……そしたら王子様がいて」
「その呼称はやめたまえ!僕には斎宮宗という名前がある!」
「じゃあ、宗くんって呼んでいい……?」
「君、控えめな表情で随分と図々しいことを言うね」

 王子様、改め、いつきしゅうくんは大袈裟にため息をついた。宗くん。斎宮宗くん。やっと名前が知れた。なんて素敵な、高貴な名前なんだろう。私は心の中で何度もその名前を呼ぶ。呼ぶたびに愛おしさが込み上げてくる。
 日々樹くんは私たちのあまり噛み合っていない会話を微笑みながら聞いていた。

「フフフ、お二人ともすっかり仲良しのようで。少々妬けますよ、宗!私のことは遊びだったんですか!?」
「茶番はよしたまえ、渉。ところで何の用だい?」
「ここに来た目的を忘れかけていました。宗、あなたに今度の演劇祭で使う衣装製作をお願いしたいんです」
「演劇祭?何の演目を?」
「白雪姫です。どうです?宗も出演しますか?」
「白雪姫……いかにも渉らしい選定だね。愛する友の望みなら衣装は引き受けよう。けれど出演は遠慮しておくよ。学校にもやっと来れるようになったくらい、まだ本調子ではないしね」
「そうですか、残念です。けれども、衣装はありがとうございます!」

 日々樹くんは、宗くんに衣装製作を頼むためにここに来たのだと、会話を聞いてやっとわかった。ここは手芸部の部室だし、つまり宗くんは手芸部の部員なのだろう。男の子なのに珍しい。
 そんな風に思いながらふと机の上を見たら、確かに布や糸が散乱している。そしてその脇にはアンティーク人形が一体置かれていた。大きな翠色の瞳をしたお人形が、制服のデザインをアレンジしたようなドレスを見に纏っている。うっとりするくらい可憐でつい見惚れてしまう。

「わぁ、可愛いお人形さん。お姫様みたい」
『ふふっ、ありがとう』
「お名前は何ていうの?」
『私は名も無き人形よ。宗くんからはマドモアゼルって呼ばれているけどね』
「マドモアゼルちゃん、素敵なドレスだね」
『ありがとう♪私のお洋服は全部宗くんが作ってくれるの』
「そうなの?すごい……」

 間近で見るとドレスの細かいところまで丁寧に仕立てられているのが分かる。こんなに手を込んだドレスを着させてもらえるのならマドモアゼルちゃんだってきっと幸せだろう。きっと王子様が、宗くんが愛情を込めて作ったんだ。いいなぁ、私もこんなドレスが着たい。……というか、普通に話してたけどお人形が喋ってる。でもあんまり深くは考えない。きっと魔法にでもかけられたのだろう。

「そういえばもう一人のお人形さんはどうしたんですか?」
「影片なら校内アルバイトだとかで忙しくしているよ。またライブをやるようになって、頼んでもいないのに張り切っているね」
「嬉しいんでしょうね、また宗の人形として舞台に立てることが」

 日々樹くんと宗くんは何か、私にはわからない会話をしていた。
 私はもっと宗くんのことを知りたいけれど、もっとお話がしたいけれど、そのシミュレーションなら何度も頭の中でしてきたけれど、何から話していいか、なんて声をかけたらいいかもわからずに、じっと宗くんのことを眺めていた。購買で会った時よりもいくらか穏やかな表情だ。きっと日々樹くんがいるからだろう。それでもやっぱり彫刻のように美しい造形の顔に、惚れ惚れとする。やっぱり、どこからどう見ても王子様だ。

「そろそろお暇しましょう。また配役などが決まったら衣装のこと相談させてくださいね」

 日々樹くんが部室から出ようとする。私もそれに続く。日々樹くんがいないのに残るわけにはいかないし、残っていても宗くんと二人きりになったりドキドキしすぎてパニックを起こして死んでしまいそうだ。

「宗くん、またね…!!」

 やっとの思いで投げ捨てるように言葉を吐いて手芸部の部室を後にした。宗くんが口を開けて何か言おうとしたのが分かったけど、聞くのが怖くて飛び出してきてしまった。

「まさかお花畑さんの夢見る王子様が宗だったとは、驚きました…☆」
「私も驚いたよ……出会った日のことは幻で、もう会えないかもしれないと思っていたの」
「ちょうどいいかもしれませんね。白雪姫役を目指すあなたにとって、心を寄せる王子様が現実にいることは」

 夕陽の射す廊下に日々樹くんと私の影が伸びる。もう校舎にはほとんど人がいない。私はやっと落ち着き始めた心臓を確かめるように胸に手を置いた。

「ねえ日々樹くん、斎宮宗くんってどんな人?」
「彼はね、とっても優しくて臆病な人ですよ」

 日々樹くんはそう言って少し困ったように笑った。とっても優しくて臆病な人。その言葉が頭に貼りついて離すこともできないまま、私は帰路に着くのだった。


20211015