小さい頃から、自分のことをお姫様だと思っていた。
 お姫様だから、きらきらしたものが好き。色なら赤とピンクと白が好きだし、ケーキやマカロンだって食べ過ぎると太っちゃうから気をつけているけれどもたまらなく大好きだし、リボンにフリルにレースなんてもう、毎日身に付けたいくらい大好き。お姫様だから、可憐でいるために美容だって手を抜かない。髪と肌はたっぷり時間をかけてお手入れ。ジルスチュアートの新作コスメはお小遣いの許す限りゲットしたいし。
 それから、お姫様にはね、必ず王子様がいるの。どんなに嫌なことがあっても、悪者に意地悪されたって、必ず王子様が迎えに来てくれる。私はお姫様だから、いつか大好きな王子様に抱きかかえられて白馬に乗ってお城へ向かうのだ。二人だけの絶対的なハッピーエンドへ。
 そう、思っていた。


▲ ▽ ▲ ▽ ▲


「俺と別れて」

 その言葉は唐突にタカシくんのきれいな口から飛び出てきた。いつも一緒の帰り道、二人が分かれるお花屋さんの前の交差点で。いつもここで季節の花を眺めるのが好きだった。何の冗談かと思ってタカシくんの顔を見上げれば、私の大好きな爽やかスマイルではなくて、まるで氷のように冷めた表情をしていた。
 タカシくん。私と同じ夢ノ咲学院演劇科の優等生、サッカー部のエース、甘いマスクにえくぼがかわいい私の王子様。そんなタカシくんが、今、深刻な面持ちで私に別れを告げている。私は混乱して目をぱちくりさせながら、なんとか声帯を震わせた。

「……どうして?」
「もう梨々のお姫様ごっこには付き合ってらんねぇよ」

 今まで絶対にしなかった乱暴な口調でその言葉は放たれた。自分の顔がこわばっていく。危機を感じる。私の心の中にはいつだってブリキの兵隊さん達がいて、私が傷付きそうな時には警鐘を鳴らしてくれるのだ。だからって、もう何もできないけれど。
 タカシくんは熱の無い瞳で私を見下ろしながら台詞を吐いた。

「夢見すぎなんだよ。優しいふりしてやってたけど、もう限界、うんざり。重いし馬鹿だし、そのくせに全然ヤらせてくれないし。こんな彼女、いらねーよ」
「……王子様はそんなこと言わない」

 自分でも驚くほど低い声が出た。こんなの、ちっともかわいくない。それを聞いたタカシくんは目を細めて強く私を睨んだ。そう思えばすぐに「ふっ」と鼻で笑うような声を出した。

「ごめんね?俺、君の王子様じゃないから」

 王子様の顔がぼろぼろと剥がれ落ちていく。そして醜い悪者の顔が露わになる。ああ、なんだ、タカシくんは王子様ではなかったんだ。またやってしまった。いつもこうだ。いつも私は惚れやすくて、すぐに運命の人だと勘違いして一直線に恋をして、そして最後は夢から覚めてしまう。こうやって男の人から別れを切り出されるたび、私は私の夢や憧れにヒビが入っていくのを感じて、苦しくなるのだ。
 タカシくんはもう何も言わずに背を向けて去っていった。呆気なく私は何度目かわからない失恋をしてしまった。

 とぼとぼと一人帰路につき、家までたどり着いた。小さな声で「ただいま」というと、すぐに階段を上がり二階の自分の部屋に入ってドアを閉める。白いドレッサー、フリルが施されたベッドシーツに、大きなテディベア。大好きなものが溢れた静かな部屋の中で、私はブレザーと靴下だけを脱いで、ベッドに沈み込んだ。仰向けになってぼんやりと天井の蛍光灯を見つめる。私は気分が落ち込むと、いつも頭の中でお伽話の世界にいる自分を思い描く。お伽話は無敵だ。悪い人に騙されても、怖い人にいじめられても、絶対に絶対に王子様が助けに来て、導いてくれる。だから私は必死に自分に言い聞かせる。もう少し、もう少しで本当の王子様が現れるの。

「梨々、帰ってきてるのー?」

 下からママの声が聴こえて、現実に引き戻された。何か返事しようかと思ったけれど、階段を上がる音がしたから、私は黙った。ママの前では元気でいなきゃ、そう思うけれど、体が重くて怠くて起き上がれない。

「入るわよ」

 そう言ってママはドアを開けた。エプロン姿のママはベッドに寝転がる私を見下ろして、少し顔を歪めた。そして大きなため息をついた。

「まただらだらして……」

 ママは優しい。そう知っているのに、知っているからこそ、ママが私に呆れているような言葉を投げかけてくると、私はすぐに傷ついてしまう。見限られてしまうんじゃないかと怖くなってしまう。

「今度の三者面談までに、進路についてちゃんと考えなさいよ。もうあなた、高校三年生なんだからね。好きなことだけやって遊んでばかりいたらダメよ」

 私はママの顔を見られないまま、唇を噛み締めた。昔、将来はお姫様になりたいと私が言った時、ママは笑ってくれた。それはもう、昔の話だ。

「ご飯出来ているから早く着替えて下りていらっしゃい」

 そう言ってママは部屋を出て行った。最後は穏やかな包み込むような声色だった。ママは優しい。ママは私のことを考えてくれている。私もちゃんとしなきゃ。全部わかってるのに、私はなんだか苦しくて、虚しくて、寂しくて、目に涙が溢れてきた。たまらず瞬きをしたら、両目から涙が零れて耳元を濡らした。
 小さい頃から、自分のことをお姫様だと思っていた。でもそれは、間違いだったのかもしれない。だってこの部屋はお姫様が住むお城じゃない。好きなものをたくさん集めて飾りつけたけれど、元々は物置きにされていた古い和室だった。私の着る服はプリンセスラインのドレスじゃなくて、他のみんなと何一つ変わらない制服だ。私が王子様だと思ってた人はみんな私に冷たい視線を向けて汚い言葉を吐いて去って行ってしまった。こんなの、違う。私の知ってるお伽話と違う。私は全然、お姫様なんかじゃない。
 涙がぼろぼろと零れてきた。両手で目隠しするように顔を覆った。私は、私の世界を愛したいけれど。私の夢も愛したいけれど。時々自信がなくなってしまって、崩れ落ちてしまいそうになる。だからその前に迎えに来てほしかったのに。
 私の王子様、あなた、今どこにいるの?私はもう自分がどこにいるかも、何者なのかも、わからない。それでも顔も知らないあなたのことをずっと待っているの。
 滑稽でしょう?


20210917