大層なシャンデリアが頭上で光る。黒とゴールドを基調とした内装は、決して下品ではなくシックで趣のあるデザインだ。非・現実的な景色。それなのに、初めて足を踏み入れた時の緊張感や高揚感は、もう無い。いつの間にかこの店は私の日常に溶け込んでしまった。 「亜夜さん、お待たせしました」 ソファでヘルプの男とたわいもない会話をしていると、つむぎが笑みを浮かべてやって来た。ヘルプと席を替わるようにして、つむぎが私の隣に座る。相変わらず、ホストという職業に似つかわしくない、髪型に眼鏡に雰囲気。どちらかというと花屋とかの方がつむぎのイメージに合っている。 「今日も来てくれたんですね、嬉しいです」 「うん、今日はなんとなく寄ってみたの」 「とかいって、毎週来てくれているじゃないですか。ありがとうございます」 いかにも害の無さそうな笑顔でつむぎはメニューを取り出した。 「何飲みますか?」 「アルマンドレッド、一本入れて。それとフルーツの盛り合わせ」 「えっ……いいんですか?亜夜さんこの前もボトル入れてくれたばかりなのに」 「いいの」 「わかりました。ありがとうございます」 つむぎがボーイを呼び、注文を入れる。高級ボトルを入れてこんなに戸惑うホスト、居るだろうか。普通もっと目をギラつかせて喜ぶだろう。もっと高い酒まで強請るだろう。でもつむぎはそうしない。それどころか、私の心配なんかしてくる。お人好しも良いところだ。だからいつも指名が多いわりに売上上位には入れないんだよ、と思う。だけど私はそんなつむぎのホストらしくないところに、心底惹かれていたりもするのだから、どう在るべきかなんて誰にもわからない。 テーブルまでボトルが届き、ボーイがテンション高くキャップを開ける。瓶から吹き出した泡を拭って、二つのグラスに注がれた。つむぎと小さく乾杯して、グラスを口に運ぶ。三十万円するお酒の味かどうかなんて、ちっとも分からない。 「最近お仕事の方はどうですか?」 「そうね、最近は患者さんの数も落ち着いてきたかな」 「そうなんですね。若いのにお医者さんやっているなんて、すごいです」 「つむぎも、私に感心してないで自分のお仕事がんばってよ」 「あはは、怒られちゃいました」 つむぎは空になったグラスに二杯目を注ぎながら続けた。 「どうも俺は、苦手なんですよね。自分を押し売りするのが」 「それは自分に自信がないから?」 「うーん、それもあるかもしれないですけど。他のホストを指名している子とか見てると、必死すぎて怖いというか」 「……怖い?」 「そんなにお金を持ってるわけでもない子たちが必死になって貢いでいるんですよ、中には体まで売ってお金を稼いでる子がいて」 「……そう」 「俺のためにそんな風になる子がいたとしたら、いたたまれないなぁと思って」 「そんなんじゃ一生ナンバーワンにはなれないよ」 「そうかもしれないですね、でもいいんです。亜夜さんが来てくれるだけで、俺には十分すぎるくらいですよ」 その言葉は私の心の深いところにストンと落ちた。つむぎはいつだって何気ない言葉で私をドツボにハマらせる。グッとシャンパンを飲み干すと、私はつむぎにもたれかかった。つむぎの腕が私の肩に回される。そう思えば手を上に持っていき私の頭を優しく撫でる。ホストらしくない彼でも、この仕草だけはホストのそれだと認めざるを得ない。この店に来たってもう緊張感も高揚感もないけれど、つむぎが隣にいる、つむぎに触れている時だけは感じる。心臓が速くなること、顔が熱くなること、つむぎが私の日常ではないということ。 「同じものもう一本入れて」 「まだ空いてないですよ?!」 「来るまでに空けるから、つむぎが」 「そ、そんなぁ…」 結局この日、ボトルを二本入れた。お会計は現金で支払う。札束を持ち歩くということも、いつの間にか惰性になっていた。足元がふらつく中、つむぎにエスコートされながら店の出口まで向かう。店の前で待つ黒いタクシーに乗り込む前につむぎに抱きつく。つむぎは呆れたように笑って、抱き返してくれた。 「飲みすぎですよ。本当に気をつけて帰ってくださいね、また連絡しますから」 タクシーに乗り込んでからもしばらく私を見送るつむぎを見ていた。完全に見えなくなると、凄まじい喪失感に襲われる。喪失感、なんておこがましい。つむぎは私のものでもないのに。 バッグの中のスマートフォンが震えたことに気づき、取り出して画面を見るとメッセージ通知が来ていた。つむぎからではないことに嫌悪感を覚える。 ≪明日の早番から来られる?ミヤビちゃんが生理来ちゃって休むから代わりに出てほしい≫ そのメッセージはどうしようもなく私を現実に突き返す。私はなるべく何も考えないようにして、自分のことをAIだとでも思い込んで、機械的に返信をする。 ≪わかりました。出られます。≫ ≪それと、今月もっと出勤したいんですけど、いいですか?≫ 職業が医者だなんて、なんて滑稽な冗談だろう。私が本当に医者だったら、どれだけよかったか。惨めな思いをせずに済んだのだろうか。つむぎの言葉を思い出す。自分のために体を売るような子がいたらいたたまれないという。本心だろう。それでも私はつむぎに会いに行くために風俗で働く。つむぎにボトルを入れるために自分の体を売る。こんなこと、つむぎはちっとも望んでいないのに。私は勝手に自分がつむぎの役に立ってると思いたいだけだ。彼の人生に、何かしらの影響を与えていると。そして彼に人生を狂わされていると感じて悦に浸りたいだけなのかもしれない。つむぎから与えられるものだったら例え地獄でも構わない。 タクシーが停車する。つむぎはきっとタクシーで家まで帰るのだと思っているだろうけど、医者じゃない私は駅までしかタクシーを使わない。料金を払って車を降りる。もう日付も変わっているのに、大勢の人が駅に向かって足を急いでいた。空を見上げても輝く星なんて一つもない。こんな街で私は今日も明日も這いつくばって生きていく。 とっておきの地獄を頂戴 20200607 |