◎天の川イベストネタ
 ミルキーウェイ エピローグ@の後


 楽しそうな喧騒も華やかな閃光も振り払って、私は駆けていく。わざわざ暖かい光から遠ざかるように、暗がりに向かって。だって、彼が暗闇に愛されてしまったのだから仕方ない。私は彼に向かっているのだ、お祭りの活気をもろともせずに。美味しそうなたこ焼きもかわいい林檎飴も好きだけれど、その全てを合わせたってどうせ彼には勝てないのだから、私は見向きもしない。ただひたすら、早く会いたかった。
 噴水へ続く道を進めば、賑やかな人混みが嘘のように、静寂が飽和している。私はお目当ての人影を見つけて足を止めた。噴水の縁に腰掛け今にも夜に馴染んでしまいそうな宗がいる。私は右手に持っていたお面を顔に被せた。少しくらいお祭りらしさを演出したっていいだろう。そして音を立てずにそっと近づいていく。腕を組んで俯く宗の前に立った。

「しゅーうーくん」

 歌うように名を呼ぶと、宗はゆっくりと顔を上げた。お面越しに目が合うなり、眉を歪ませ、不審がるように睨んでくる。

「…何の用かね」
「えっと、会いたかったから会いに来たんだよ?」
「僕は会いたくなかった」
「ひどい」
「大体何なのだね、その悪趣味な狐の面は。外したまえ」

 素直にお面を外すと頬が空気に触れて心地よくなった。絵画のように狭い枠の中に宗を捕らえていたのが、視界が広がり、どこまでも近くに彼がいることを知る。私は私を見上げる宗に向けて笑顔をつくった。

「宗、ライブお疲れ様。遠くからだけど、観てたよ」
「フンッ、よほど無様に見えたろうね」
「ううん、一番かっこよかった」
「皮肉かね。芸術を解さぬ客ばかりだったとは言え、僕らは敗けたのだよ?」
「そうだったの?私は宗にしか興味がないから気づかなかった」
「……全く」

 呆れ顔をする宗の左隣に腰を掛けた。お祭りの煌めきが遠くに見える。今頃ステージでは流星隊が堂々とパフォーマンスを繰り広げ、観客たちを魅了しているのだろう。さっきまでそこに立っていたのだ、宗も。あんな天上まで、奈落の底から這い上がって。なのにステージを降りた彼にはもう、誰も目を向けない。それは残酷なようで、どうしようもなくありきたりな、普通のことだった。
 ふいに宗の手が伸びて、私の垂れる横髪に触れた。そのまま梳かすように耳にかけられる。私は顔を少し横に向けた。宗は、綺麗な顔でまじまじと私を見つめていた。

「宗?」
「…君、泣いただろう」
「え?」
「目が赤いのだよ」
「ああ、えっと……」

 言い訳を考えようとしたけれど、宗の顔を見ていると思考回路が片っ端から止まっていくのを感じた。宗は手を離し、ため息をついた。

「どうして君が目を赤くするまで泣くのか。理解に苦しむよ」
「…宗がいたから、あそこに。それだけだよ」

 本当にそれだけだ。それだけで私は、幸福と安堵と寂寥と莫大な愛情を同時に抱いて、訳も分からず涙を流せてしまうんだ。
 彼はまだ生きていた。生きようとしていた。生き返ったのだ。どん底にいながらも、意地を持って、強情に。今まではただ美しく芸術的で、そして無機質だった彼のステージが初めて命を宿して私たちに訴えかけてきたのだ。その中心に、宗が立っていた。ずっと見たかった姿だった。宗が壊れた、あの日からずっと。その姿を目の当たりにして、感動せずに、動揺せずに、落ち着いてなんていられるわけがあるものか。愛しいと思わずに、いられるわけが。涙で滲むその先に、私は希望を見つけた。やっとあなたを希望だと思えたんだ。

「本当に、格好良かった」

 口ではなく心が言った。溢れ出した言葉はさっきよりも随分と重く響く。ひとつの星が落ちていくように。宗は何かを思ったようだけれど、何も言わなかった。ただ遠くの賑わいをまっすぐ眺めていた。同じように私も遠くに目を向けた。向こうはあんなに楽しそうなのに、何故か私たちは噴水の縁から生えたまま動かずにいる。置いてけぼりにされた私たちは、まるで銀河に二人ぼっちでいるみたいだ。果てしない、恐ろしく広い銀河で、ふたり。それでも寂しくはなく、心強い。だって私の光はここにある。

「宗、デートしようか、これから。川沿いを歩くの。キラキラ光る水面を天の川に見立てて」
「生憎だけど今の僕には三歩以上歩く体力も無駄に元気の良い君の相手をする気力もないのだよ」
「残念。まあ今こうしてるだけで私は織り姫気分だけどね」
「フンッ、僕の織り姫でいたいなら、もっと淑やかに振舞いたまえ」

 そう言うと宗はよりかかるようにして私の肩に頭を置いた。恐らく、今日この日このタイミングでしか見せてくれない、貴重な甘えだ。右耳がくすぐったい。感じる重みが愛おしい。照れ隠しも兼ねてからかいたいけれど、私の彦星が拗ねそうだから、私は何も言わずにいた。疲れきった宗の身体が今私を頼っている。それだけで言いようのない満足感があった。
 屋台の灯りが少しずつ消えていく。流星隊のパフォーマンスが終わったらしく、特設ステージには誰もいない。終わりの時間が迫っているのだろう。すべてが夜に還っていく。今日という日が蜃気楼だったとでも言うように。静けさだけを残して。

「もうすぐ七夕が終わるよ」
「せいせいするよ。ここの連中は七夕ごときで馬鹿騒ぎするからね」
「彦星と織り姫が、またしばらく会えなくなってしまうね」
「……君は天の川などなくても会いに来てくれるのだろう?」

 不意を打つような言葉に驚いたけれど、理解するのには時間はそうかからなかった。会いに行く。何があっても。何もなくても。宗だけを目掛けて駆けていく。私は大きく頷いた。すると宗は満足そうに笑みを浮かべて、目を閉じた。
 私によりかかったまま眠ってしまった宗を起こさないように、そうっと空を見上げる。七夕という年に一度の晴れ舞台だからか、星がこれでもかというほど輝いている。何かを祝い、何かを慈しむように。星々の葬列はあまりに遠くて綺麗で、少し憂鬱になった。
 そう、きっと私たちに天の川なんて要らないのだ。だから私は空を覆う星を全部集めて、そして彼の地獄に降らせよう。今夜だけ。今夜だけでも。宗が優しい夢を見られるように。


星瞬く夜の片隅
20160910