どうしてこんなことになっているんだろう。くちゅくちゅぐちゃぐちゃ。粘着質な音ばかりが辺りに響いて、その音に紛れて外で走り回る子供の声や1階で電話をするおばさんの声が遠くに聞こえた。そして、吐息と共に吐き出される喘ぎに思わずごくり、と喉を鳴らしてしまって、隣で執拗に手を動かすカラ松がそんな私を見て口角を上げる。


「名前、…ん、もっと激しく。な?」


「…ぁ、」


そこでやっと今の状況に頭が追いついてきた。右手に感じる生々しい感触にカッと顔が赤くなる。


「っ、や、あの、からまつ、」


「…ん、ふ、」


「カラ松、ねぇ、」


「っはぁ、ぁ、んん、」


「ねぇ、カラ松って、ば!」


「い…っ!?」


カラ松が、えっと、その、…性器と、私の手をまとめて包み込むようにして握った手を上下に動かす度に、いやらしい音が耳を犯していく。私は触っているだけなのに息が上がってきて、なんだか変な気分になってくる。私にはよく分からないけれど、相当気持ちがいいのかカラ松は時折肩を揺らして快感に酔いしれているみたいだった。でも、お楽しみのところ悪いけど、こっちにだって言いたいことはあるんだから!と、少し強めにぎゅ、とそれを握ればカラ松はピタリと動きをとめて、それから荒い息を繰り返しながら涙ぐんだ目でこちらを見てきた。そして、はっとしたように顔を青くさせる。


「わ、わるい。つい夢中になって…」


「え、あの、」


「気持ち悪いよな。ごめん」


「きもちわるい、とかじゃないけど、」


だって生理現象だから仕方ないって、少なくともそう思ってるから、手こきでもなんでもしていて構わないけれど、でも、私の手を使うのはどうなんだろうか。解放された手で開いたり閉じたりすると、ぬちゃり、と指と指の間で糸が引かれる。その光景から、カラ松は一度視線をそらして、今度は私の目をまっすぐに見つめた。


「…本当に悪いことをした。でも、頼む、名前、」


俺のこと、嫌わないでくれ。
そう言って頭を下げたカラ松と、外気に晒された彼の性器と、先走り汁で汚れた手を見比べて、それからもう一度カラ松に視線をやった。

私はお母さんに頼まれて梨のお裾分けに松野家にやってきた。コンコン、とガラスの引き戸を叩けばそれはすぐに開けられたのだけれど、開けた本人であるおばさんは片手に受話器を持っていて、誰かと電話をしている最中らしかった。梨の入ったビニール袋を置いたらすぐに帰ろうと思っていたのだが、おばさんは私の顔と梨を見るなりにこりと微笑むと、電話の横にあったメモにボールペンを走らせるたあとそれをちぎり、こちらに手渡した。


『カラ松以外は出払ってるの。電話が終わったら名前ちゃんの分も剥いてあげるから、中で待っててちょうだい。』


メモに目を通してから、小声で「台所に置いておきますね」と言ってから靴を脱いで中に上がった。台所に梨を置いて、居間を見たら誰もいなかったからカラ松がいるのは2階かなって、それで六つ子が寝起きしている部屋の襖を開けたんだ。そうしたら、まさかカラ松が、自慰の真っ最中だったなんて。
半分ほど脱いだズボンから覗く性器と、荒い息を繰り返すカラ松と、手近に置かれた箱ティッシュと、服のはだけた女の人が写っている本。…この時点ですぐに状況は理解したけれど、それはあまりにも突然のことだったし、他人の、しかも男性の自慰行為を見るのはもちろんはじめてだったものだから、驚きすぎて私は固まってしまったのだ。対照的に、カラ松は私の存在に気づいて目を大きく見開いたけれど、その後すぐにとろんと目尻を下げて妖艶に微笑む。漂う色っぽい雰囲気に、私はますます動けずにいた。やがて立ち上がった彼が、ゆっくりとこちらに手を伸ばしてくる。


「あ、」


掴まれた腕を引っ張られて、私はそのまま部屋の中に入れられる。カラ松は空いている方の手で襖を閉めると、そのまま足で下着ごとズボンを脱いでそれを軽く蹴飛ばしから、静かな声で「……名前、」と、そう口にした。


「…から、まつ、その、ごめ、」


「すまない」


「え、……っひゃ、」


もう一度座り込んだカラ松につられて私も隣に座る。そして掴まれた手がそのままカラ松の股間に運ばれたかと思えば、あっという間にそれを掴まされていた。瞬間今まで感じたことのないような手触りが手のひら全体に伝わって、それから、私の手ごと包んだカラ松の手によって何度も何度も上下に扱われる。そこでやっと気づいた。私はカラ松の自慰に巻き込まれているんだ、って。


「あっ、ん、名前、名前、もっと、」


「からまつ、」


「名前、ふぁ、ん、っわるい、無理だ、」


「え、?」


「っがまん、できそうにない、っ…!」


悪いって言うわりには、カラ松は私の手を離そうとはしなかった。ゴツゴツした手で逃がさないと言わんばかりに手をがっちりとそこに固定されて、いつも聞いていられないくらいにべらべらと痛々しいことを話しているその口からは吐息と喘ぎしか聞こえてこない。さっき私を部屋に招き入れたときも思ったけれど、まるでカラ松じゃないみたいに口数が減って、夢中になって自身の性器を扱う姿は知らない男の人のようだった。
さっきよりも随分と激しく動かされて、音も大きくなって。これじゃあおばさんに聞こえちゃうかも、と考えたところでやっと頭が追いついてきたのだ。気持ちよさそうにしていたから酷だとは思ったけど一度自慰をやめさせて、正気に戻ったのか悪かったと、嫌わないでくれと頭を下げたカラ松にどうしたものかと頭を抱える。と同時に、先程からじんわりと自分の下着が湿っていることに少し気まずくなって、はあ、とため息をついた。
そのため息をどういう風に捉えたのかは分からないけど、ビクッと肩を震わせたあたり、大方良くないことを考えているのだろう。うるうると涙をいっぱい溜めて顔を上げたカラ松は、もういつものカラ松だった。


「……カラ松、ローションどこ?」


「え」


きょとん、としたカラ松に「だから、ローション」ともう一度口にすれば、彼は困惑しながらも近くのタンスを指差して「…そこの、上から3段目の、奥のほう…」とこぼした。それを聞いてタンスに向かい、先走り汁のついていない方の手でタンスの奥に追いやられたローションをとりだす。そのプッシュ式のローションをすでに濡れている手に何回か出して、カラ松に近づく。「え、あの、え!?」と焦ったように上がる声を無視して、今度は正面に座って、私のほうからローションまみれの手で性器を包んだ。


「っ、」


一瞬、カラ松が息を飲んだのが分かった。なんていうんだっけ、千擦り?と先程カラ松がやっていたように扱うと今度は「ぁ、んっ、名前、ま、ちょ、ちょっとまってくれ…!」と喘ぎつつも抗議の声を上げた。


「名前!」


「なに?」


「何をしているんだ…?」


「え、カラ松のお手伝いをと思って…」


「て、てつだ…!?」


「してほしかったんじゃないの?」


「ちが…!…あ、いや、違わないが、その、いいのか…?」


「……」


「…名前?」


「……よ」


「え…?」


「…だから、いいよ、カラ松のなら」


むしろ、責任とってほしい、っていうか。
膝を擦り合わせて下着の位置をずらす。その時くちゅり、とまたあの耳についた粘着質な音が聞こえた。ただ、それはさっきみたいにカラ松のものじゃない。私の下着から聞こえてきた音だ。
小さな音だったけれど、カラ松もそれに気づいたのだろう。ぶわわわと赤くなっていく顔にそれ以上赤くなってどうするのってちょっとおかしくなって笑った。


「カラ松ってば、もう真っ赤だよ」


「……、…」


「…カラ松?」


私を見ていたカラ松の目が、すっと細められる。
あ、これは、さっきのカラ松だ。
そう思ったのと同時に、また、私の手が包まれた。


「……俺はしつこいぞ」


「…ん、」


「最後まで付き合ってもらうからな」


「うん」


それでもいいよ。
さっきのが最終確認だったみたいだ。ぐちゅり。その音にまた部屋に熱がこもる。今度は吐き出した息がどちらのものかなんて、私には分からなかった。