02
※クラスメイト視点



彼女が教室に足を踏み入れたのは、黒板の上にかけられた時計がもうすぐ集合時間の9時になろうとしていたときだった。


「あ、わたしが最後かな?」


「かもな」


そんな声が聞こえて、寝惚けていた頭がみるみる現実味を増していく。
教室のドアからひょっこり顔だけこちらに覗かせた女の子と、そんな彼女の手をとりながら引いて歩み進める男の子。今のはどうやらこの二人の声だったみたい。手をとられた女の子は特に恥ずかしがる様子もみせずに男の子の後につづいて教室に入ってきて、仲睦まじそうに黒板に貼られた紙を眺める二人にこの教室にいる誰もが彼らの関係を察する。ふあ、と大きな欠伸をしながら腕を伸ばして、そろそろ時間だったし、いい頃に起きたなあとぼんやり二人を眺める。
ぴっとりと寄り添った二人はなにやら小さな声で会話をしているみたいだった。女の子がうんと背伸びをして口元に手を当てると、男の子はそれに合わせて屈んでからそこに耳をもっていく。いわゆるこしょこしょ話ってやつだ。それで呆れたような顔をして男の子は女の子の頭を軽く小突くけど、それもとても痛そうには見えなくて、女の子もおかしそうに笑うだけだった。あらあら朝からまぁお熱いことで。今日入学式を迎えてお互い顔を合わせたばかりで、誰一人として何も口に出しはしないけれど、二人を見てクラスの全員が同じことを考えていると断言できた。それくらい二人は仲が良さげで、周りの目なんてまるで気にした様子もなく、お互いしか見えていないようだった。
ほぼ面識のない者同士40人を集められたこの静まり返っている空間で、二人はおそらく女の子の席を確認しているのだろう。男の子の方は彼女と繋がれていないほうの手でかわいらしいキーホルダーのついたカバンを肩にかけているから、それはたぶん女の子のもの。大方彼女を教室まで送りにきたのだと思うけれど、ずいぶんと仲がいいんだなぁ。


「名前、あったぞ」


その瞬間、息をのんだ。
あそこだ、と指をさされた先が私のひとつ前の空席だったこともそうだけれど、その、指につられてこちらを向いた女の子がとてつもなく可愛らしい容姿だったのだ。それはもうびっくりするくらい。同性でもどきり、とした。さっきはよく顔が見えていなかったけれど、ああなんて、かわいいの。この教室にいる全員がそう思ったに違いない。これも断言できる。
そんな誰もが羨む容姿をもつ彼女は、席の次に私を視界に入れると、大きなくりんとした綺麗な瞳を数回ぱちぱちとして、にこりと微笑む。思わず顔が赤くなった。


「とびお」


とびおくん、と呼ばれのは男の子だ。
ちらりとさっきよりもはっきりと見えるようになった男の子の顔を窺えば、ぎろりと鋭い目つきで不機嫌そうにしていた。え、ええ、なんか怖そう…。
今度は女の子を先頭に二人はその座席まで来ると、彼女は空いた席に腰かけてから「とびお、今日の夜電話してもいい?」と男の子を見上げて、こてんと首を傾げた。その仕草がもうかわいいのなんの。
男の子はカバンを机の上に置きながら、小さく「…おう」と返事をした。それにぱっと顔を輝かせて、「あのね、わたしね、」なんてこれまた可愛らしく話を始める女の子に、男の子は少しだけ表情を柔らかくして相槌を打つ。いや相変わらず不機嫌そうな顔ではあるけど、でも、その間も二人は繋いだ手を離すことはなかったし、男の子も不機嫌なんてことはないんだろうなぁ。

しばらくして集合時間直前の予鈴が鳴る。すると女の子は名残惜しそうに男の子の手を離し、「わたし3組まで送ってあげる!」と立ち上がった。けれど、それだと彼女は遅刻になってしまうのでは…どうするんだ彼氏…可愛い彼女だな…とバレないように男の子のほうを恐る恐る盗み見る。


「ボケ、それだとお前が遅刻すんだろ」


「えーでも、さ、はじめが肝心っていうか、ね?」


「俺はありえねえだろ。お前のほうこそ、忘れんじゃねーぞ」


「それはだいじょうぶ。わたしだって、とびおだけだもん」


「それならいい。…じゃあ、またな」


「…うん、わかった。送ってくれてありがとう」


人の会話に聞き耳を立てるなんて失礼なことだけれど、会話の内容の半分も理解できなかった。でもなんとなく、すごく惚けられていることだけは分かった。
男の子は最後に女の子の髪を優しくすくと、鋭い目つきでぐるりと周囲を睨みつけてから(なんで!?怖い!)、この5組の教室を出ていく。睨まれたときに一瞬肩がびくついた。でも、男の子が廊下に出ていったのを目で追ってから、私は勇気を振り絞って前に座る女の子の肩を軽くとんとん、と叩いた。


「ねえ、名前ちゃん、だっけ?」


さっきの男の子、彼氏?とっても仲がいいんだね。
先程男の子に呼ばれていた名前を思い出しながら、女の子に声をかける。私に話しかけられた女の子、名前ちゃんはこちらを振り返って少しぽかん、としていたけれど、「羨ましい、私も彼氏ほしいなあ」なんて溢したらふにゃりと表情を緩ませて(これがまたとんでもなく可愛い)「トビオとは、中学から付き合ってるの」と幸せそうに笑った。


「わたし、名字名前。友達ができるか不安だったから、声かけてくれてすごく嬉しい。あなたは?」


これが、入学してから約2週間で校内中で噂となった名字名前ちゃんと、私の出会いだった。