05

立ち話もなんだから、と結局サファリゾーンには入らずに、ゴールドと共に近くにあった小さなカフェテラスに向かった。
本当は都合さえ合えば後で合流し直してゆっくり話そうと、ゴールドと会ったときはすぐに捕獲ツアーに参加しようと思っていたのだけれど、彼と話していると先程から何やら叫んでいたプレートを持った案内役の人が近くを通り、その際「シンオウ地方リゾートエリア宿泊チケットはすでになくなりましたー!」と言われてしまった。どうやら1回目の捕獲ツアーで誰かが指定されたポケモンを捕獲してしまったらしい。その人は凄腕のトレーナーだったのだなあと、やっぱり少なからず自信はあったから残念だ。でも、リゾートエリアのペアチケットは惜しいけれど、何がなんでも絶対に行きたかったわけではないから、とすんなり諦めがついた。もうとられてしまったのなら仕方ない。と諦めたのと同時に、私がサファリゾーンの捕獲ツアーに参加する意味もなくなってしまったために、ゴールドを誘ったというわけだ。
けれど参加する意味がなくなったからという理由だけで彼を誘ったわけじゃない。ゴールドとはしばらく会っていなかったし、話したいこともたくさんあったから、むしろ調度よかったくらいだ。ゴールドもこのあとの予定は特にないと言っていて、カフェテラスに行くことに了承してくれた。このとき、いや、顔を合わせたときから、私の腫れた目にゴールドは気づいた、と思う。人と会うつもりなんてなかったから腫れたことはどうでもよかったのだけれど、こうして人に、しかもかなり交流のある後輩と会うとなると話が違ってくる。若干の気まずさを覚えながらもいつものように振る舞えば、彼は私の顔を見たとき少し驚いたように目を見開いていたけれど、すぐにいつもの顔つきになって話にのってくれた。そんなゴールドにナンパの邪魔してごめんね、と一応詫びをいれれば、「まぁ名前先輩とデートできんなら、あんなナンパの1回や2回、お安いもんスよ!」と笑ってくれて、私もつられて笑いつつ、それから、テラスのイスにリュックだけ置くと中から財布をとりだした。


「何か頼む?高いものじゃなければ奢るけど」


「え、いやいやいや、先輩にそんなことさせられねェっス」


俺が先輩の分も出します、と財布を出すべくワンショルダーの鞄をごそごそとし出したゴールドに「そういって、ゴールドってばいつも奢らせてくれないんだもん」と笑って見せれば、彼は少し照れたように目線を泳がせた。


「先輩だっつっても、女に出させるとか、男としてすっげぇダセェだろ…」


「いーのいーの、気にしないで。私、先輩だよ?」


その大事なお金は自分や、クリスのために使いなよ。
その言葉に大した意味はなかったのだけれど「あ、はは…そっすね…」とあからさまに雰囲気を変えたゴールドに、もしかして何か悪いことでも言っただろうかと少し不安になる。けれどすぐに何でもないように「んじゃ、サイコソーダお願いしやっす!」といつものように笑うものだから、気づかなかった振りをしてそれを了承し、カウンターに向かった。

ゴールドは後輩(主にサファイアやラルド)にもよく懐かれていて、仲間思いで、とても強くて勇気のある立派な図鑑所有者だ。知り合ったのは仮面の男によってロケット団の戦闘員が利用され、カントーとジョウトが危険にさらされたあの騒動のとき。カントーの地方のため、ジョウト地方のため、そして長い間苦しめられ囚われていたブルーとシルバーのため、私たちもその戦いに加わり、ジョウトの図鑑所有者であるゴールドたちに加勢したのがきっかけだった。
あまり表には出さないけれど多くの人が彼を頼りにしているし、好感をもっていると思う。レッドやグリーンにも負けないくらいバトルのセンスもあるし(ただし一度も勝ったことはないらしい)、行動力もある。熱いところなんかはすっかりレッドに気に入られてしまって、今までだって何度も自分の身を犠牲にして仲間のために頑張ってくれた。まあ、いい加減自分のことばかりを犠牲にするのはやめてほしいけれど。


「サイコソーダとミックスオレひとつずつ、お願いします」


そんなゴールドのことは私もとても頼りにしていたけれどあまりゆっくり話したことがなくて、よく話をするようになったのは石化したグリーンたちを救い出すために共に戦ったことがきっかけ、かな。それでもこうして会えばカフェに寄って話をしたり、場合によっては買い物に付き合ってくれたり、バトルをしたり、かなり親密な関係になるまでに至ったのは、1年程前にゴールドから相談を持ちかけられたことが事の始まりだった。


「おまちどうさま」


「あ、はい。…あれ、これって、」


「まだ試作品なんだけど、今度本店で出そうと思っている新作のケーキなんだ。もしよかったら、感想を聞かせてくれないかな?サービスしとくからさ」


「わあ!もちろんです、ありがとうございます!」


トレイに乗ったサイコソーダとミックスオレ、そして美味しそうな生クリームとモモンの実のケーキに思わず頬が緩む。財布から代金を出しながら「本店はどちらにあるんですか?」と聞けば、主人は「タマムシシティだよ」と教えてくれた。主人によれば、サファリゾーンの開園時間に合わせて、タマムシシティから車の中で寝泊まりをしながらこのセキチクシティへやってくるのだという。いわば移動式のオープンテラスだ。
今度はブルーを誘ってタマムシにも行こうかなあ。


「お嬢ちゃんは彼氏とデートかな?」


「えっ」


そう言ってにんまりと笑った主人の視線の先にはなんだか難しい顔をしてポケギアを睨んでいるゴールドがいて、まさかゴールドのことを言っているのかな?ともう一度主人の顔を見れば「若いっていいなぁ。おじさんも若い頃はなぁ…」と何やら思い出にふけっているようだった。


「違いますよ。あの子は後輩です。…あの子には、別に恋人がいますから」


私にも、昨日まではいたんだけどなあ。
自分で言っていてなんだかまた悲しくなってきてしまった。それをどう解釈したのかは分からないけれど主人は「相手に恋人がいるからって諦めちゃいけないよ。少なくとも彼はお嬢ちゃんを頼りにしているように見えるけれど」と何やら勘違いをしているらしかった。けれどゴールドと二人で歩いているとこういうこともよくあるので、今さら気にしたりなんてしない。でも、頼ってくれているように見えたのは素直に嬉しい。
そういう意味で笑みを浮かべて「ありがとうございます」とお礼を言い、トレイにのったそれらをゴールドのいるテーブルまで運んだ。


「お待たせ。このケーキ、試作品でサービスなんだって」


「うお、まじっすか!得しましたね、先輩!」


サイコソーダとケーキをゴールド側へと置いて、ミックスオレともうひとつのケーキをトレイごと自分のほうへ寄せる。
「うまそー!」と大きな口をめいっぱい広げてそれを頬張るところは、前に会ったときと何も変わっていなくて少し微笑ましくなった。

それからは手持ちポケモンの調子や最近見たテレビ番組、フロンティアのあとに起こったことを中心にお互い話しつづけた。身ぶり手振りで大袈裟にジェスチャーしてくるゴールドが面白くって笑うと、「いや、コレまじっすからね!?ぜってえ信じてねぇな!」と不機嫌そうな声を出すものだから謝るけれど、それでも笑いは堪えられなくて小さく漏らしてしまう。ゴールドも最後には「はぁー…名前先輩ほんっとそういうとこ変わらないっすよね」とストローをくわえながらズゴゴ、と音を立てた。

目の端にたまった涙を指で掬いながら、こんなに笑ったのはいつぶりだっけ、とそんなことをぼんやりと思う。最近はグリーンのことで余裕がなくて、またレッドやブルーにも会っていなくて、気分転換にと遊びに行ったカスミのところでももやもやとグリーンのことを考えてしまっていたから、ちゃんと笑えていなかったのかもしれない。こうしていい息抜きが出来たのもカイリューがセキチクに飛んでくれたおかげだ。


「そういえば先輩、グリーン先輩とはどうなんすか?」


どきり。心臓が嫌な音を立てた。
急にどうしてその話題なんだろう、と思ったけれど、まあ私とゴールドが二人で話す内容といえば大体はお互いの恋人の話と相場が決まっている。視線をゴールドから外してテーブル辺りに落とす。するとまだ半分ほど残っている私とは対照的にゴールドはぺろりとケーキを平らげていた上に、サイコソーダまで飲み干していることに気づいて、さすが育ち盛りの男の子は違うなとつい感心してしまった。


「あーえっと、まぁ、そこそこ、かな…」


「え、なんすか、そこそこって」


「そのまんまの意味だって。ゴールドのほうこそ、クリスとどう?」


「げっ、そこでどうしてクリスの話になんだよ…」


「だって、そりゃあ相談にのってたから、気になるでしょ?」


本当は、これ以上グリーンの話をすれば泣いてしまいそうだっから、逃げただけなんだけどね。
心の中でゴールドに謝りつつ、「で?どんな感じなの?」と話のつづきを促す。

グリーンの話を避けたいのは本当だけれど、ゴールドとクリスの仲が気になると言ったのも本心だった。なぜならそれは、私は彼らが付き合う前からゴールドの相談にのっていたから、だ。
「せっ先輩とグリーン先輩って、付き合ってるんスよね…?」「…俺、クリスのこと好きなんすよ」なんて、そんなことを言われたときは思わず飲んでいたジュースを吹き出してしまいそうになったのをよく覚えている。何回も何回も聞き間違いじゃないか確認したし、そのせいで「あんまり聞くんじゃねぇよ!」と顔を真っ赤にして怒られたのがついこの間のように思い出せる。実際その時からグリーンと付き合っていたし、別に隠したりはしてなかったからゴールドが知っていても何も不思議ではないけれど、でも、まさかあのゴールドから恋愛相談を持ちかけられるなんて思ってもみなかった。そりゃあゴールドも年頃だろうど、あのゴールドが、顔を真っ赤にして、同じ先輩にしてもレッドやグリーンやブルー、そしてイエローではなく他でもない私にクリスへの気持ちを話してくれたときはとても嬉しかったものだ。
「ぜってぇクリスには言わないでくださいよ!あ、あとシル公にもっスよ!」
先輩方にも秘密っすからね!
そういうわけで私はゴールドからよく相談を持ちかけられるようになり、私もゴールドにグリーンとのことを相談していたりもして、そのことがきっかけで私たちは大分仲がよくなったと思っている。だからこそかわいい後輩二人が付き合うことになったときは自分のことのように喜んだものだ。幸せそうに笑っていた二人の顔はとても綺麗だった。
けれど、今のゴールドは、なんだか様子が変だ。


「……、」


今の今まで普通に話をしていたゴールドの顔に影がさす。さっきと同じだ、と。サイコソーダの注文を聞いたとき不自然だったゴールドと同じだと、クリスと何かあったのかもしれないと、そう考えるまでにさほど時間はかからなかった。


「…ゴールド、無理して話さなくてもいいよ」


私がゴールドからの質問をはぐらかしたんだから、ゴールドが話したくないことを無理に話す必要はない。私だってグリーンとこんなことになってるって人に話すのは気が引ける。相談にのってくれたブルーやクリスが相手でも同じことだけれど(クリスには申し訳なさすぎてそれどころじゃない)、やっぱりゴールドは特にそう感じてしまう。私の話をいつも聞いてくれて、男目線から物を言ってくれて、応援してくれて、そして私がやきもちを焼いた女の子の彼氏だからだ。
私の言葉を聞いてからゴールドはばつが悪そうに少しだけ顔を上げると、しばらく視線を泳がせる。そして「…や、平気っす。先輩に言いたいことあるし」と言ってから一度深呼吸をした。それから私と目を合わせ、しっかりとこちらを見据えて話を始める。


「…あの、先輩、俺、」


「うん」


「っあの、ほんと、すんません!」


「え!ななな、なんで謝るの!」


バッとそれはすごい勢いで頭を下げるものだから、びっくりして思わず立ち上がってしまった。ガタタ、と大きな音を立ててしまって、周りにいた人たちが何事かとこちらを見る。その視線の中に主人のいかにも「微笑ましいなあ」といったそれも含まれていたことに気がついたけれど、今はそれどころじゃない。
慌てて周りの人にすみません、と頭を下げてまたイスに座る。その間ゴールドは何も言わずにきゅっと口を固く閉じて、下を向いたままだった。


「ゴールド、」


「………」


「…さっきも言ったけど、無理して話さなくていいよ。…私もゴールドに話しづらいことだってあるし、レッドとかシルバーとか、もっと話しやすい人に話したほうがいいと思うし、」


そこでグリーンが出てこないあたり私って嫌な女だなあなんて思いながら、最後の一口のケーキを口に放り込んだ。グリーンが今以上にクリスのことを考えて物を言うだけで妬けちゃうんだから、どれだけ嫉妬深いの。もう別れた彼氏相手に、何を今さら。そんな小さなことで馬鹿みたいに嫉妬して、ほんと最低。甘い味が口いっぱいに広がっていく。
私から話題を切り替えてしまおうか、とサファリゾーンのペアチケットの話でもしようと口を開きかけたとき、私よりも数秒早くゴールドが口を開いた。


「……あの、」


「うん」


「…俺、名前先輩とグリーン先輩に、すっげえ失礼なことして、」


「えっ、うん」


「先輩らが付き合ってんのも知ってっし、グリーン先輩とクリスがオーキド博士んとこで研究やってて、二人の間になんもやましいっつーか、いかがわしいっつーか、そーゆーのはねぇって分かってんのに、オレは…!」


「えっ、…え!?ちょ、ちょっと待ってゴールド、」


「グリーン先輩相手に嫉妬して、一昨日クリスと喧嘩してきたんス!」


名前先輩とグリーン先輩に合わせる顔なんてねぇって思ってたけど、でも謝んなきゃなんねぇって、二人のこと貶したも同然だって、俺すっげえ後悔して……だから、


「ほんっとにサーセンっした!!」


さっきと同じようにまた勢いよくゴールドは頭を下げたけれど、今度は立ち上がらなかった。
びっくりした、それはもう目玉が飛び出るんじゃないかってくらい驚いた。でもそれはゴールドが急に頭を下げたことじゃなくて、クリスと喧嘩したことももちろんだけど、その喧嘩の理由が私が昨日グリーンと別れたきっかけになったものとまったく同じで、そのことにとても驚いたのだ。
私が何か言うのを待っているのだろうか。頭を下げたままピクリとも動かないゴールドに何か言わなくては、と頭をフル回転させる。下手なことは言えない。『クリスと喧嘩なんて珍しいことじゃないじゃん。』違う、そもそもゴールドは喧嘩したことを言いたかったんじゃなくて、謝りたかったんだ。それに喧嘩のことだって、周りの人はそう思っていても本人たちにとってはいつも別れるか別れないかの一大事なんだ。
『私もグリーンもそんな風に思ってないから、謝らなくていいよ』違うほんとに違う。後輩にこんだけ頭下げさせて私がクリスに対して思ってしまったことを棚に上げるなんて、そんなの間違ってる。
ぐるぐると頭に色々な言葉が浮かんでは消えて浮かんでは消えて。このときの私は相当動揺していたと思う。いまだに動こうとしないゴールドに対して、私も勢いよく頭を下げる。


「私も同じこと考えてました申し訳ありませんでした!!」


やっと頭を上げたらしいゴールドは(私も頭下げてしまったから見えていないし、たぶんだけど)、今度はさっきとはうって変わった「…は、はあ!?」という素っ頓狂な声を上げた。