04

自室にあるベットとはまた違う、少し懐かしい感触と匂いにだんだんと意識が浮上してくる。まだうまく頭が働いていないようで、あれ、ここどこだっけ、と一瞬分からなくなった。けれど枕元のテーブルに置かれたマグカップとタオルに、昨日、しかも夜遅くにポケモンセンターにお世話になったことを思い出した。


「きゅー…」


布団を剥いで身体を起こすと、足元に丸まって寝ていたのかまだ寝惚け目をしたイーブイがこちらを見上げて小さく鳴いた。「まだ寝てていいよ」そう言ってひとなでしたらイーブイはまたその目をゆっくりと閉じる。のけられていたブランケットをイーブイとライチュウにかけ直し、一度うんと伸びをしてから、まだ寝息を立てているボールに入ったままのみんなを見やる。昨日ハナダでも遊ばせてあげたけれど(昨日の昼間はカスミと約束があって、屋敷にいる間はからだの大きい子たちも外に出させてもらっていた)、今日も、まあ欲を言えば明日も、どこか広い場所で特訓も兼ねて出してあげたいな、とセキチク近郊のマップを手にとった。旅は始まったばかりなのだから、落ち着いて、今日一日はジョーイさんにお礼がしたいからセキチクにとどまって、それでも早めにこの街を出よう。とりあえずみんなを外に出せて、遊べて、バトルの特訓が出来て、それでまだ行ったことのない場所とか探したいな。ちょっと条件が欲張りだけど、ジョーイさんにも聞いてみよう。
と、そのとき、マップの隣に置いておいたポケギアが点滅を繰り返しているのに気づいた。ランプの色からして不在通信を知らせるものだ。誰かから連絡がきてるんだ、急ぎの用事かも、と一度マップを折り畳んでポケギアを手にとりなおしてから再度布団にもぐりこむ。


「…あ、」


グリーンから、だ。
ポケギアをよく見ればお母さんと通話する前と後に何回も連絡をもらっていたみたいだけど、結局ジョーイさんに用意してもらったタオルで目を冷やしたあとミルクを飲んで、それからすぐにお風呂に入ってまた思い出し泣きをしてしまって、泣き疲れて倒れこむように眠ってしまったから、連絡がきていたことに気づかなかったようだ。
通知の隣に『伝言メッセージがあります』と表示されていて、思わず再生ボタンに手を伸ばしかけて、やっぱりやめた。もうしばらくは会わないつもりだから伝言を聞いたって意味がないし、なによりやっと落ち着いてきたのにまた泣いてしまうかもしれない。聞くのはよそう。今も、これから先も。
私はその伝言メッセージを、そのまま削除した。










いつものように動きやすい服装に着替えたあと、カイリューを引きとるため、そして改めてお礼を言うために木製のお盆にタオルとコップをのせて1階のカウンターに向かった。昨日ジョーイさんからもらったメモはリュックの中へとしまいこんでいた。


「ジョーイさん、おはようございます」


カウンターのある1階に向かえば、そこは昨日宿泊したトレーナーで賑わっていた。忙しなく動き回るラッキーやハピナス、そしてジョーイさん。彼女は私のほうに気づいたみたいだけれど今は忙しいみたいで、「ごめんなさい、少しだけ待っていてもらえるかしら」と申し訳なさそうに言った。
じゃあ、そこで待ってますと私が指をさしたのは、壁に埋め込まれた液晶のテレビがよく見えるソファだ。トレーナーたちはすぐにでも旅立つつもりなのか、自分のポケモンを渡されるのをカウンターに並んで待っていて、ソファに座っている人はいない。ソファ前にあるテーブルにお盆をおいて、そこに腰を下ろし、テレビを見上げる。キレイハナをつれたアナウンサーが今日の天気予報を報道したり、カントー中心のニュースについて触れていく。時間的にはそんなに経っていなかったと思う。見始めてからコーナーを3つほど終えたあと番組はCMに入り、その際にふと辺りを見渡すとトレーナーたちはみな揃ってポケモンセンターを後にしていて、ほとんど人は見られなかった。ジョーイさんも彼らを送り出し、ちょうど一息ついたのだろう。彼女はまっすぐにこちらに歩いてくると、私に声をかけて、顔を見て、そして眉根を下げた。


「おはようございます、名前さん。…痕になってしまいましたね」


朝起きたときに鏡を見たけれど、昨日ジョーイさんがせっかくタオルを用意してくれたのに目元は赤く腫れ上がってしまっていた。夜中に何度も泣いてしまったのだからそれは仕方のないことで、ジョーイさんが悪いわけではないのだからそんな顔をしなくてもいいのに。


「大丈夫ですよ。人に会う約束があるわけじゃないし、一日腫れていたってどうってことないです。…それより、昨日は本当にありがとうございました。」


「いえ、わたしはそんなに大したことしてませんから。お礼なら、カイリューに言ってあげてください。あの子、今朝早くに起きてから名前さんのことを心配していたみたいで」


すぐに連れてきますねとひとこと残して、ジョーイさんは私からお盆を受けとると、またカウンターの奥へと向かう。
昨夜私とグリーンとを見比べて慌てていたカイリューを思い出しながら、ふつふつと罪悪感が沸き上がる。それはカイリューに対してだけではないけど。
カイリューも、というか私の手持ちのみんなは、グリーンやリザードンたち、それから研究所のポケモンたちとも仲がよく、またとてもなついていたから、私がこうして連れ出してしまったことでしばらくの間会えなくなってしまうのだと考えたら、手持ちのみんなだけでなく仲良くしてくれていたポケモンたちにも申し訳なくてたまらなくなる。でも、そう申し訳なく思っても、私はこの子たちなしで旅をすることはできないし、長年連れ添ったみんなと離れることなんてできない。身勝手なトレーナーだ。


「お待たせしました」


「!、カイリュー!」


ジョーイさんにボールを手渡されて、中を覗く。


「体力を消費して疲れていたみたいで、昨日はすぐに眠ってしまいました。けれどそれ以外に特にこれといった外傷等は見られません。とってもお強いんですね。」


「ありがとうございます、」


カイリューの、昨日と同じ寂しそうな瞳と目が合った。私を視界に捉えたらしいカイリューはぱっと顔を上げると私に向かって手を伸ばしてくる。


「カイリュー、」


カイリュー、昨日は無理させてごめんね。
急にあんなことになってびっくりしたよね。飛ぶのも大変だったよね。わがまま聞いてくれてありがとう。一緒に来てくれてありがとう。身勝手でごめんね。また私に、ついてきてくれるかな。
ボールに顔を寄せてそう言うと、カイリューは小さく鳴いた、と思う。ボールを隔てているから音は遮断されていて、こっちからの声は聞こえているはずだけれど向こうからの声は聞こえない。それかどうにももどかしくて、カイリューを外に出したいと考えたときだ。


「ポケモンセンターの裏なら、大きい子を出しても大丈夫ですよ」


今朝干した洗濯物をしまいたいので、わたしもご一緒します。
にっこり笑ったジョーイさんの脇にダークブラウンのバスケットを抱えたラッキーが控えていて、少し驚いたけれど、そのまま二人に案内をしてもらい奥の裏口から外へ出た。何千何万とトレーナーを見てきたから、いま私が考えていたことも分かったのかもしれない。旅をするトレーナーにとってどれだけジョーイさんやポケモンセンターの存在がありがたく、そして拠り所となっていることか。一歩踏み出した外で青く広がる空を見上げながら、大きく息を吸った。
柵で囲まれてはいるけれど少し広めの草原。近くに物干し竿に真っ白でふかふかそうなタオルが何枚も干されていて、それからつん、と雨の匂いが鼻をついた。
セキチクは暖かいけれど雨が多いから、今日みたいな日には洗濯物を干すにはうってつけなんだろうなって、隣でタオルをバスケットに入れていくラッキーとジョーイさんを見ながら、私は手に持っていたモンスターボールを大きく投げる。


「カイリュー!」


ポンと音を立てて中から出てきたカイリューは、そのまま大きく鳴くと一度空に羽ばたき、ぐるりと一周回って地に足をつけた。今度はボール越しじゃなくて、ちゃんと目を見つめて、それから、こちらに屈んでくれたカイリューの頬をそっと両手で包む。


「わがまま聞いてくれて、ありがとう」


昨日ジムから逃げ出すのに、私一人だったらきっと逃げ切れなかった。私よりもうんと足の速いグリーンにすぐに捕まって、また私は何も言うことができずに泣いてしまったと思う。私がここまで来れたのも、グリーンに迷惑をかけずにすんだのも、全部カイリューのおかげだ。
もう一度小さくありがとうと溢すと、カイリューはまた小さく鳴いて、私の頬にすりよった。









「名前さん、この後のご予定は決めていらっしゃるんですか?」


朝食というには遅すぎるご飯を食べて、入れてもらった食後の紅茶を飲みながら先程とりこんだタオルを畳むお手伝いをする。足元で遊んでいるイーブイやライチュウを眺めながら、朝食までご馳走になってしまって、はじめからそのつもりではいたけれど、これじゃあ洗濯物のお手伝いをするだけじゃなくて他にも何かお礼をしなくてはいけないと改めて考えていたためか、一瞬反応が送れた。慌てて「あ、実は、まだ決めてなくて…」と返すと、ジョーイさんは一度手を休めて、人差し指を立てて顎におく。


「うーん、たしかに、この辺りの観光地はどれも名前さんを満足させられるほどのものではありませんね…」


「えっいや、そんなことないですよ!ただ、この子たち全員出せて、遊べて、特訓もできたらいいな、とか、私が欲張っちゃって、」


「遊べて特訓ですか……わたしの知るかぎりですと、そのようなところは――……あ、サファリゾーンなんかはいかがですか?」


ちょっと待っててくださいね。と、ジョーイさんは席を立って奥の棚のほうへと歩いていった。
サファリゾーンってたしか、ポケモン本来の野生的な姿を見ることができる施設、だっけ。そういえば最近は、新しく他の地方の珍しいポケモンもゾーンに放たれて、外に持ち出すことは出来ないけれど捕獲ツアーなんてものも始めたって聞いたな。
前にレッドやクリス(クリスからはジョウトのサファリゾーン)に何度か誘われたけど都合が合わなくて結局行けてないから、何年か前に旅をしていたときに一度きりしか入っていないはずだし、そのときも誰かがパーク内で遭難したとかで仮閉鎖になってたっけ、と記憶をたどって思い出してみるもあまり具体的なことは思い出せない。でもたしか、手持ちのポケモンはパーク内では使用できなかったはず、とそこまで考えたときに、1枚のチラシを持ったジョーイさんが戻ってきて、そのチラシをこちらに見せる。私は、「これです」と指をさされた箇所を声に出して読み上げた。


「えっと、……シンオウ地方、リゾートエリア2泊3日の、ペっペアチケットをプレゼント…!」


「はい。ここならバトルゾーン内なので凄腕のトレーナーも多く特訓にもなりますし、またとても広い場所ですので、大きい子たちも外で遊べると思います」


手渡されたチラシにざっと目を通すと、そのシンオウ地方バトルゾーン内にあるリゾートエリアの別荘に2泊3日滞在できるペアチケットが、サファリゾーンの景品となっているらしい。新しく設けられた捕獲ツアーで、パーク側から指定されたポケモンを制限時間内に一番早く捕獲した人にそのチケットは贈呈される。ちなみに景品によってその指定されるポケモンは違うようだ。ペアチケットの他にもタマムデパートの買い物券なんかも用意されており、景品の価値に合わせて捕獲の難易度も変わるらしい。つまりペアチケットならば、捕獲が相当難しいポケモンが指定されるのだと思う。あくまでこれは個人的な意見で確信はないけれど、まぁ普通に考えてそうだろう。
その捕獲ツアーに参加するためには事前に予約等をする必要はないものの、景品はそれぞれ1つずつしか用意されておらず、誰かの手に渡ればそれでその景品は終わりだとのことだった。開始日時は、今日の10時30分。もう30分以上も前に始まっているけれど、リゾートエリアといえば、資産家なんかがよく行くような高級リゾート地のひとつだ。そのリゾート地のチケットを用意するためのにかかった費用も、かなりのものだったはずだ。だからそれに見合った利益を得るために、やっぱりパーク側もそう簡単なポケモンは指定してこない、と思う。今から行ってもまだ十分勝機はある。よし、今日はまずチケットを狙いにいって、それから改めてジョーイさんへのお礼を考えよう。人前に出るにはみっともなく腫れてるけど、この際仕方ない。


「その顔は、行かれるんですね?」


「はい!」


「今の時期ならポケモンだけじゃなくて、自然も見物だと思いますよ。珍しいポケモンなら名前さんは見慣れてしまっているかもしれませんが、チケットついでにぜひ息抜きしてきてください。」


名前さんお強いですから、ペアチケットもとれたも同然ですね。
なんて、いたずらっぽく笑って、ジョーイさんはすでに畳み終えていたタオルを私から受けとる。善は急げだ。一度足早に部屋に戻って準備を済ませて、また駆け足でポケモンセンターの外へ出た。ジョーイさんがサファリゾーンまでの道を丁寧に教えてくれたこともあって、数十分で迷わずにたどり着くことができた。


「わ、人多い…」


やはり景品の宣伝効果もあったのか、サファリゾーンは人がごった返していた。人の波に流されないように気をつけつつ、すれ違う人々に目を向ける。子供から大人まで全員が楽しそうに笑っていて、そういえばサファリゾーンには他にもポケモンと触れ合うコーナーや小さい規模だけれど展示場なんかもあったはずだし、遊び場のバリエーションも豊富だから、こんなに人がいるのかな、とそんなことを考えながらポケットにしまっておいたチラシをとりだす。
チラシによれば、景品つき捕獲ツアーの受付場所は、通常の受付場所とは違うみたいだ。チラシの地図にかかれた場所の方へ足を進めていくと、かなり多くの人がその受付に長蛇の列をつくっているのが見えた。最後尾も分からないくらいだ。どうやら1回目のツアーの受付は終了しており、今は2回目の受付になるらしい。ならば早いところ最後尾を見つけてしまおう。といってもそれがどこなのか分からないから、誰かに聞こうとして、近くにいた案内役の人に声をかけるべく、そちらを目指す。が、その案内役の人は何やらプレートを持って声を張り上げているらしく、口元が忙しなく動いていた。でも周囲の喧騒のせいで何を言っているのかは聞こえない。もう少し近づかなければと、また人を避けながらそちらに向かいはじめた、そのときだった。


「オイオイそこのおじょーさん!サファリゾーンなんかやめて、俺と遊ばねえ?」


ぴたり、と足が止まった。
あれ、なんだろう、すごい聞き覚えのある声だ。すぐ近くから聞こえてきた声に辺りを見渡すも、なんせ人が多いから、その人物を見つけることはできない。


「いや、あの、あたしは…」


「いいじゃねぇっすか!うわーお姉さん美人っすねえ、どっから来たんすかー?」


また聞こえた!
明らかに嫌がっている、というか困っているお姉さんの声に、今まさにこの場がサファリゾーンであるにも関わらず"なんか"呼ばわりした上にそんなお姉さんを無視して話を進める聞き慣れた声。さっきよりもずいぶんと近くで聞こえた。キョロキョロと首を動かしていると、人と人との僅かの隙間で、ようやく彼を捉えることができた。


「…ゴールド?」


「あん?んだよ…って、名前先輩?」


振り返ったゴールドが一瞬驚いたように目を見開いた。「久しぶり。またナンパなんてしてるんだ?」彼女いるくせにね、と、そこは声には出さなかったけれど、ゴールドには私が言わんとしていることが伝わったようで、少々ひきつった笑みで「ひ、ひさしぶりっすねぇ、せんぱい……あ、はは、相変わらずお綺麗で…」と視線をそらす。

女の人はというと、私の姿を見て、まるで助かったと言わんばかりに安堵の表情を浮かべると「失礼します…」とそそくさとその場を後にしていった。