02

昼間マサラから出掛け先だったハナダへ、そしてハナダからトキワまで飛ばせてしまった上に、またセキチクシティまでろくに休ませずに飛ばせたためか、ポケモンセンターの前に降り立ったカイリューは少し疲れが目立った。私の勝手な都合で急に飛ばせてしまったことが申し訳なくて「ごめんね、ありがとう」と背中を撫でてからボールにしまい、そのままポケモンセンターへと入る。


「こんばんはー…」


昼間とは違って静まったロビーに、半分落とされた照明。控えめで小さな声だったけれどカウンターの近くにいたラッキーの耳がぴくりと揺れて、こちらに振り返る。そして私を見たラッキーはジョーイさんを呼ぶべく、カウンターの向こうに彼女がいるのか、そちらに向かって鳴き声を上げた。それもやはり夜だからなのか、いつもより少し声が小さかったけれどジョーイさんを呼ぶのには十分な声量だったらしい。すぐに奥から「はーい」という声が聞こえてきた。

間もなくしてカウンター向こうからジョーイさんがやって来る。夜遅くに訪ねたからなのか、それとも何か別の理由があったのか。詳しくは分からないけれど、入り口で立っている私を見て彼女は少し驚いたように目を見開いた。え、なに、ジョーイさんどうしたの。その表情の変化があまりにも露骨だったものだから不安になる。私何かおかしいことした、かな。
けれどすぐにはっとなって手に持っていた書類を別の場所へ置くと「いらっしゃいませ。ポケモンの回復ですか?」と優しげに声をかけてくれた。


「遅くにすみません、カイリュー、お願いします」


カイリューをしまったボールをジョーイさんに手渡す。「はい、かしこまりました。」と大切そうにボールを受けとると、ジョーイさんは隣に控えていた先程のラッキーに何やら指示を出して、その子が持っていたトレーにボールを置いたあと奥の装置へと向かわせた。
その一連の様子をどこかぼうっとする頭で眺めていると、不意にラッキーからこちらに視線を寄越したジョーイさんと目が合い、「今日はどうされたんですか?」と尋ねられた。


「え、あ、えっと、」


「ずいぶん遅くにいらしたものですから。旅の途中ですか?」


その質問にどう答えるべきか少し悩んだけれど結局「はい、そうなんです」と答えた。
いつ始まりを迎えたのかもよく分からなければ、いつ終わりを迎えるのかもよく分からないような、言ってしまえば単なる家出に近いけれど、きっとこれは旅であることに変わりはないんだ。


「わたしも昔は旅をしていたんです。何か目標でも?」


だからこの質問には、答えることができなかった。何をって、私はグリーンとの関係を幼なじみに戻すためにこうしてトキワを飛び出してきてマサラにも帰らない決意をして。旅の目的は「グリーンとただの幼なじみにもどること」だけれど、それを口にするのは躊躇われて、口をつぐんだ。
ジョーイさんは少しの間私の返答を待っていたようだったけれど、なんともいえない微妙な空気を察してか否か「少し冷えてきましたね」と新たな話題を振ってくれた。


「そうですね。でも、他の海辺の街と比べたらここは暖かいほうですよ」


「セキチクシティは黒潮の影響で、比較的温暖な気候ですからね。…今日はマサラからいらしたんですか?」


「あ、いえ、トキワからです。…でもほんとうに、トキワはともかくマサラはとことん田舎だから、こんな風にどこからでも海が見える街は羨ましいです。」


「あら?たしか、マサラタウンの近くにも海はありましたよね?」


「あることはあるんですけど、マサラの海とここは全然違いますし、小さい頃は危ないからって、あまり海には行かせてもらえなくて」


マサラとは、何色にも染まっていない汚れなき白。
そう聞かされたのはグリーンからだった。
マサラに生まれたことに誇りをもって、権威あるポケモン博士から図鑑をもらって、グリーンに捕まえてもらった相棒と旅に出て。ほんとうにたくさんのことをこの目で見て、泣いて、笑って、色々悩んだりもしたけれど、今思えばあの頃がいちばん楽しかった。
いつも眺めていた柵の向こうの海に足を踏み入れたあの瞬間は今でも忘れないけれど、はじめてセキチクに来たときも田舎出身なこともあってかなりはしゃいだものだ。まあ、当時は色々とあったけれど。
「だから私、この街が好きです」ジョーイさんは何も言わず、私を出迎えたときと同じように微笑むだけだった。

と、ジョーイさんとの会話にきりがついたところで、カイリュー以外の他のみんなの状態を確認する。
今日はバトルもさせてないし、疲れているのはやっぱりカイリューだけみたいで、ライチュウたちの体調に異常はみられなかった。体調不良を訴えている子もいない。けれどそれは、体調面を訴えている子がないというだけで、他のことに関しては言いたいことがあるみたいだ。ぷっくりと頬を膨らませたライチュウやイーブイが早くここから出してくれ、と言わんばかりにカタカタとボールを揺らす。
だから私はまた小さな声で「ポケモンセンターを出たらね」とこぼして、それらのボールをまたひと撫でした。
さて、今夜は久しぶりに野宿でもするかなあ。


「回復が終わったら声をかけますから、部屋で待っていてください。今そちらも用意しますね。」


「え、…あ、いえ、ロビーで大丈夫です。すぐにまた行かなきゃならなくて、」


どこに、なんて私が聞きたい。
前とは違って漠然とした目的しかない今の私には、行くあてなんてどこにもない。そもそもセキチクシティに来たのも「どこか遠いところに行きたい」と言った私のためにカイリューが連れてきてくれたのであって、何か明確な目的があって来たわけじゃない。
むしろどうしてここを選んだのかも分からない。
旅をしていた頃のように色々な場所をまわってグリーンとのことを忘れたい、と思って飛び出してきたけれど、じゃあ忘れるためにどこにいけばいい?何をすればいい?
その問いに、答えなんてあるの?


「それはダメです」


考えごとをしていた、というよりも次の行き先について思案している私を引き戻したのは、ジョーイさんの声だった。
一瞬何のことだか分からなくて「え」と声を上げた。と同時に少し俯いていた顔を上げると、ばちり、と目が合う。


「いくら優秀なポケモントレーナー…―――いえ、リーグ3位の入賞経験をもつ名前さんだとしても、こんな夜遅くに女の子たったひとりで外へ出すなんてできません。」


「それに名前さん、野宿するつもりでしょう?」
いつも物優しげなジョーイさんはどこにもおらず、少し怖いくらいの剣幕でカツカツとヒールを鳴らしてこちらに歩いてくるその姿に、無意識にごくん、と唾をのみこんだ。


「え、あ、私のこと知って…?というか、あの、野宿しても、ほんと、早めに移動しないといけなくて、」


怖い怖い怖い!ジョーイさん怖い!
なんでそんなに怒ってるの!野宿!?野宿がいけないの!?
私だって旅に出たばかりの頃はグリーンに危険だとか夜は冷えるとか色んなことを言われたことも、私自身眠っている間に自分の身を守れる自信がなかったこともあり、またライチュウたちにも気を張らずに安心して眠ってほしかったから毎晩ポケモンセンターばかりにお世話になっていたけれど、お金がないときやどうしても次のポケモンセンターまで間に合いそうにないときは野宿もしていた。
それこそカントーを一周し終える頃には、ポケモンセンターよりも森の中や洞窟なんかで雑魚寝したりするほうが慣れてしまって、むしろ好んで野宿していたようにも思える。グリーンにはあまりいい顔はされなかったけれども。
だから、ジョーイさんが心配してくれるほど私は素人ではないし、野宿だって数えきれないほど経験している。
それにこんななりだけれど、私もそこまで弱くはない。これでも一応さっきジョーイさんも言ったとおりセキエイリーグ3位でマサラ出身のポケモントレーナーで、あのレッドやグリーン、ブルーたちと色んなことをやってのけてきたし、今では各地方でそこそこ名の売れている図鑑所有者のひとりだ。
つまり、私を世間一般でいう「女の子」として扱う必要もない。たかが野宿くらいで、ジョーイさんは大袈裟なんじゃないだろうか。

それに、早めに移動しないといけないのは本当だ。
あまり長くここにいたら、というか、グリーンに近い場所にいたらいつまでたっても忘れられそうにない。トキワとセキチクなんて、ポケモンを飛行手段としているトレーナーにとっては、……―――いや、グリーンのリザードンのようにかなりの実力を持ったポケモンを扱うトレーナーにしてみれば、そんな距離はあってないようなものだ。急ぎで行こうと思えば数十分でついてしまうだろう。私がそうなのだなら、グリーンにしてみたらもっと身近な街としてセキチクを捉えているかも。

もうしばらくは彼と顔を合わせない予定だし、そうならないことを願うばかりだけれどジム関係の仕事先がセキチクなんてもこともあるかもしれない。グリーンだって仕事先で別れた私とばったり、なんてのは嫌だろうし、迷惑な話だ。
なにより、私が耐えられそうにない。


「だから、私、もう行きます」


早く、早くここから、離れないと。できれば、今すぐにでも。
けれど、ジョーイさんはそれを許してはくれない。


「誰が何と言おうと、名前さんを送り出せません。そんなこと、できません。」


「ど、どうしてですか…?」


「…、…名前さん、自分が今どんな顔をしているか、知っていますか?」


「!」


そういえば、だ。
グリーンと別れてからジムを出てカイリューに跨がり、このセキクチシティに降り立つまで、私は泣いていたはずなのにいつの間にか涙はとまっていた。慌てて背負っていたリュックから手鏡をとりだして顔を確認すれば、やっぱり、そこには目を腫らした不細工な私の顔が映る。
カイリューにのっている間、どうやら涙は風にあてられて乾いてしまったらしい。そうして、乾いてしまったことにも気づかず、泣いていたことも忘れて顔を確認しないままポケモンセンターへ来てしまったようだ。そんな些細なことにも気づかないほどその時の私はいっぱいいっはいだったのかもしれない。
きっと今も、そうなのだけれど。


「ずいぶんとお泣きになったあとのようでしたから、名前さんが来られたときはびっくりしました。」


ああ、だからジョーイさんは私を見るなり目を見開いていたのか。
「さっきのも、嘘だったり?」私が大泣きしたことが分かるくらいに目を腫らしていたから、その事には触れないようにして且つ私が外で恥をかかないようにと引き止めるために「女の子が夜遅くに出ていくのは危ない」って、そう言ったのかな。


「あら、そんなことありませんよ。名前さんバトルもお強くてポケモンにも詳しくて、優秀な図鑑所有者のひとりですけれど、その前に女の子でしょう?肩書きなんて関係ありません。女の子をこんな夜遅くに外へ出したり、野宿させたりなんてできません。」


まあ、仕方がないときはありますど、できる限りポケモンセンターを利用して欲しいです。危ない目には遭ってほしくないから。
優しく、優しく、とても柔らかい声。
じん、と心に染みて、いつの間にか冷えきっていた何かが溶かされるような感覚に、とまっていたはすの涙が溢れだした。


「今晩は泊まっていってください。…ね、名前さん。」


いつだったか、まだ私が彼の気持ちに気づく前、最近野宿にも慣れてきたと報告した私にグリーンがいい顔をしなかったのを思い出した。
私にとっては旅に慣れてきたんだと実感させられたような気がして嬉しかったのだけれど、「…無茶はするなよ」って、そう言ってなんともいえない表情で私の頭を撫でた彼にとっては、私が嬉しいと感じたそれは喜ばしいことではなかったのかも。
そのときはよく分からなかったけれど、もしかしたらそれは私を心配してくれていたからなのかなって考えたら、溢れた涙がそう簡単にはとまらないぞと笑っているような気がしてならなかった。