01

そもそもグリーンとクリスの仲が、図鑑所有者や研究仲間にしては親密すぎるのではないかと、それこそ仮面の男との決着がつき、平穏をとりもどしつつあったあの頃からずっと思っていた。

二人は図鑑所有者という点を除けばオーキド博士の孫とその博士の研究所の研究員という間柄で、グリーンに関してはたまに博士に頼まれてはジム仕事の合間に研究の手伝いもしているから、クリスと二人で研究室にこもりっきり、なんてことは多々ある。
そういった共通点を通して、私に向けられている(たぶん)ものとは違った何か特別な感情をグリーンはクリスに、クリスはグリーンに抱いているのかもしれない。
そこは仕方がないといえば仕方がないのかもしれないけれど、実際「あの子は大丈夫」なんて自信があっても、彼氏が自分以外の女の子と密室で長時間二人っきりだなんて本能的に許せないものなんじゃないだろうか。

とはいえ、私はグリーンもクリスも信用している。
二人ともかつては色んな戦いを共にしてきた仲間で、同じ図鑑所有者で。ひとりは幼なじみでも彼氏でもあって、もうひとりは可愛らしい後輩でも、お互い恋人がいる者同士よき相談相手でもある。
そんな二人が長時間密室で何をやっているかなんて、そんなの研究以外の何物でもない。やましいことなんてひとつもしていない。わかってる。そんなことは、わかってるんだ。

けれど、我慢できないものって、どうしても我慢がきかない。ずっとずっと我慢していても、いつかは溜め込んでおけなくなって外へ出てしまう。
きっと私の場合、それが今日だったんだ。



「お前、さっきから変だぞ」



「クリスとばっかりいて、私のことなんてどうでもいいんだね」そんな言葉言うつもりはなかったけれど、いつの間にか音になってグリーンの耳に届いていたみたい。手元の資料から顔を上げて、少し驚いたような表情を浮かべるグリーンに「ああやってしまった」とどこか他人事のようにこの状況を客観視している自分がいた。
でも、ひとつこぼしてしまえば、あとはあっけなかった。「今日も二人でいたの?」「…最近研究とクリスばっか」「二人っきりで何してたの?…大体想像つくけど」「私なんかいないほうがクリスといれるし、邪魔だよね」「ねぇ、私たち付き合ってる意味ある?」ボロボロ出てくる汚い嫉妬に、グリーンの表情はたちまち変わっていく。
そんな彼を見ていられなくなってパッと視線をそらす。そらしたことで今度はボール越しにこちらを心配そうに見つめるポケモンたちと目が合い、大丈夫だよ、と微笑んだけれど正直上手く笑えている自信はなかった。



「なんだ、いきなり」



「いきなりじゃないよ。ずっと思ってた。でも、言えなかった。」



「……、」



言えなかったなんて、そんなのあたりまえだ。
言えなかったっていうよりも、言わないほうが普通で、そもそもこんなこと思っているほうがおかしい。グリーンが私を大切にしてくれていることだって、ジム仕事やリザードンたちの育成、それから研究以外の空いた時間のほとんどを私にあててくれているんだから痛いほどわかってる。私だってそれでよかった。まあ欲を言い出したらきりがないし、世間一般でいう恋人同士にしたらそっけない関係なのかもしれないけど、私はそういうグリーンを好きになったんだから文句なんてなかったはずなんだ。
しかも、その文句がクリスだなんて、研究を頑張ってるクリスにもその彼氏であるゴールドにも失礼きわまりない話だ。

こんなことで嫉妬している自分が悔しくて、じんわり目に涙を浮かべる。でもここで泣いたら私は完全に被害者になってしまう。悪くないのにグリーンは謝って、きっと改善しようとしてくれる。
普段そっけないグリーンだけれど、仲間や大切な人のために命だってかけられる彼はとことん優しい。そういう部分も私が惹かれたグリーンの魅力のひとつだと思うけれど、私のわがままに振り回されてくれる優しさなんてちっとも嬉しくない。
いつだったか涙は女の武器よ、なんてブルーは言っていたけれど、恋人であるグリーン相手にそんな卑怯な手は使いたくないよ。
ぐっと溢れそうになる涙を堪える。
大丈夫、まだグリーンは気づいてない。



「…今まで、本気でそう思っていたのか?」



いつもよりずっと低い声に、思わず肩を揺らした。
これは、もしかしたら、怒ってるかもしれない。
「……そうだよ」二人はやましいことなんてしていない。そうは思っていたけれど、やはり心のどこかで二人っきりの状況をよく思っていなかったのも事実で、あれだけ言いたい放題言ってしまった手前否定することなんてできなかった。たとえグリーンが怒ってしまったとしても、だ。
また、少しの間沈黙がこのトキワジムの事務室を支配する。もうグリーンが書類を整理する音は聞こえないし、私がばかみたいにつくため息も聞こえない。窓から見えるジムの外だってもう真っ暗で、子供たちが楽しそうに走りまわる声だって聞こえない。前は私もグリーンも研究所の庭でポケモンたちと一緒に走りまわって、洋服がどろどろになるまで遊んだ。あの頃はよくグリーンも笑っていたし、私だって今よりもうんと素直だった。それがいつしか、ただの幼なじみという関係だった私たちが、手を繋ぐようになって、抱き合うようになって、キスをするようになって。あの頃からじゃ考えられないほど、グリーンも私も大人に近づいて、それから男女になった。
けれど嬉しかった反面、私は素直に何かを伝えることが苦手になってしまって、そこが悔しくもあったんだ。今だってほら、自分からじゃ何も言えない。
何かしらきっかけがくるのを待つことしかできない。嫌な女だなあ、って、考えたらますます口を閉じることに力を込めてしまう。
でも、そうやって生まれた静寂は、グリーンのひとことであっというまに崩れてしまった。



「…俺は、お前なら、…お前だけは理解してくれていると思っていた」



ぷつん。


それはきっと、私の涙腺とか、なんとか抑えていた我慢とか、自分自身に対する悔しさとか、グリーンへの気持ちとか、色んなものがつまった感情の糸みたいなのが切れる音だったんだと思う。
今度は溢れる涙を堪えることなんてできずに、頬を伝って服に染みをつくっていく。



「…わ、たし、」



あ、だめだ、これは、



「グリーンが、思ってるほど、いい彼女じゃないよ」



これ以上言ったら、わたし、



「今まで迷惑かけてごめんね、グリーン」



たぶんもう、戻れなくなる。



「別れよっか」



次の瞬間、グリーンの瞳が大きく見開かれたのを視界のはしでとらえた。
「お前、何言って、」「ごめん、気持ちの整理がつくまで、…ちゃんとただの幼なじみに戻れるまでは会いたくない」もしかしたらそれは、私たちが幼なじみに戻れる日なんてものはずっとずっと来ないかもしれない。グリーンは器用だからすぐに戻れるのかもしれないけど、私には到底できそうにない。もう二度と、グリーンと会えなくなるかもしれない。それでも、このままグリーンの彼女でいるよりはずっとましだと思った。
――――思い立ったらすぐに行動、ってね。



「っおい、名前!待っ――――」



グリーンに何か言われるのがこんなにも怖いだなんて思わなかった。何か言いかけたグリーンを無視してそのまま事務室を飛び出す。ジムの正面口へ慌ただしい足音を立てながら走っているうちに何度か転びそうになったけれど、無我夢中で必死になって出口へ急いだ。こんなに必死になるのグリーンやみんなが石化したとき以来かも、なんて少し前まで幸せそうに笑っていた自分をうらめしく思いながらようやくその扉に手をかける。
そしてそのまま外へ出ると、腰に携えてあったモンスターボールからカイリューを出し、即座に跨がった。
「名前!!」私より遅れてジムを飛び出してきたグリーンの大声も聞こえないふりをして、カイリューの背中を撫でる。これがいつもの合図だ。撫でられたカイリューは私とグリーンを見比べて少し困ったような顔をして、まるで「本当にいいの?」とでも言いたげだったけれど、私の余裕の無さが伝わったのかすぐに大きな翼を羽ばたかせて空高く飛び上がってくれた。



「カイリュー、おねがい、どこでもいいから、遠くに行って」



幸いなことに今日は出先からそのままジムへ向かったから、ポケモンたちも全員揃ってるしお金だってたくさん持ってる。
しばらくはマサラやトキワには帰らないで、また旅をしよう。レッドやブルーが色んなところを転々としているみたいに、私もまた旅をして、できることならグリーンのことは忘れてしまおう。
私を見て不安そうに鳴いたカイリューは、また翼を羽ばたかせて飛行をはじめる。
その際、ちらりとジムのほうを見下ろしたら表情は分からないけれどまだこちらを見上げるグリーンがいて、また胸が締めつけられるような感じがした。
でももう、グリーンの傍にはいられない。



「…ばいばい、グリーン」



もう二度と会えなくなるかもしれない彼に―――私の大切な幼なじみに、せいいっぱいの笑顔を浮かべて、私はそのままトキワシティをあとにした。