「影山くん」

くりんとしたビー玉のようにきれいな目を数回瞬かせて、少女、名字名前は影山飛雄の名を呼んだ。呼ばれた影山は動きをピタリととめ、彼女に顔を向ける。そして名前の顔を見ると紅潮し、それを見た名前はにこりとまたきれいに微笑んだ。二人は所詮恋人という関係で、影山がどんなにチームメイトに卑下されようとも名前だけはただ一人影山についてきた。どんなに王様のトスと呼ばれるあのスパイカーを殺すトスを上げようとも、彼女はにこにことそのきれいな顔をさらに輝かせて言うのだ。

「影山くんはすごいと思うの」

「影山くんのトスは勝つためのトス」

「素敵なトスだね」

「どんな状況でも勝つために努力を惜しまない影山くんって、すごくかっこいい」

バレーにおいて最も必要なチームワークを乱す影山をそんな風に言うのは、影山自身やそのチームメイトが知る限り彼女だけであった。どんなときも自分のしていることを称賛する名前に、影山は少なからず好意を抱いていた。またそんな影山の告白を聞いた名前も自分も前から同じ気持ちであったと打ち明けたのちにそれを受け入れ、二人は恋人同士になる。
周りもそれが自然の流れだと、そう思っていたのだ。だが自然であるがために、それが全て一人の人間によってつくられた物語であるということに誰も気づかなかった。

そもそも彼女、名字名前が影山飛雄に好意を抱いたのは彼らが中学一年生の頃であった。いや、それは"好意を抱いた"という表現よりも"興味を持った"といったほうが正しいかもしれない。
名前の両親は共働きで家にいることが少なかったがそれぞれが学者や医者で、祖父母が有名な資産家でもあった。裕福な家庭で育った名前は生粋のお嬢様。望むものは何でも手に入った。飽きるほどにある有名ブランドの服に、世界指折りのシェフがつくる食事。かわいらしい人形たちに彼女が気に入った全てのものを、両親は名前に与えた。その上恵まれた容姿に恵まれた才能。勉学も運動も、はじめてのことさえ彼女は易々とやってのけたのだ。だからといってそれらを自慢するのではなく穏やかな優しい性格から彼女は謙遜をし続けたため、周りの人間も彼女を妬むことなどしなかった。そうすることさえも許されない気がしたのだ。
白く柔らかで、それでいて華奢な四肢。フランス人形にも劣らない艶やかな髪と長い睫毛にくりんくりんのきれいな瞳。丁寧に切り揃えられた前髪を整える仕草は誰もを虜にし、 彼女の人生には一点の汚れさえないようにも思える。けれどそれは周りの人間によってつくられた偽善の人生であったことに、一体どのくらいの人が気づいていたのだろうか。
実際彼女の人生は夢と希望に溢れた誰もが羨む人生であった。だが彼女自身は、そんな人生に全くの無関心で唯一興味のあったものは彼女が望んでも手に入りにくいもの。
それは、絶対的な勝利。
何においても秀でていた彼女に欠点はなかったようにも思えるが、唯一のそれは性格にあった。人前には決してさらけだされない、奥底に眠っていたそれは勝利への執着。誰よりも何よりも強くありたい。傲慢などではない、密かな依存。名前自身それがあったからといってどうなるわけでもないが、少なくとも彼女は執着を悪いものだと思っていなかったし、何がなんでも自分が頂点に立つことがならないことも承知の上であった。だからこそ彼女は勝利に最も近い人間を愛した。両親を愛した。祖父母を愛した。そして、影山飛雄を愛した。
それは彼女にとってごく自然なもので、己が愛した勝利に最も近い人間に愛されるのは当然のことだと認識していたのだ。自分の愛が尽きるとき。それは、影山飛雄が負けを知ったその瞬間。影山に限らず、両親も祖父母もそうなってしまえば彼女には彼らを愛することができなくなってしまう。名前は正常な人間で、笑うことも泣くことも怒ることもできる。できれば彼らに負けを知ってほしくはない。彼らを愛し、そして、彼らに愛されたい。それは至極普通のことのようにも思えて、そうではないのだ。けれども名前は柔らかい性格と同じようにそれを持っていた。彼女は母親似のさっぱりとした性格から、勝利への執着を例外としその他全ての物事においての諦めのよさ。それがたとえどんなに大切なものでも、そうなってしまったものは仕方がないと躊躇なく切り捨てるができる。両親や祖父母、そして影山が負けを知れば、名前は迷うことなく彼らを切り捨てるだろう。自身の執着は捨てられないにしても、勝利に近い人間など山のようにいるのだから。お気に入りのぬいぐるみが修正不可になるまで裂けてしまい、それを諦めて捨てるように、名前は彼らを捨てることができるのだ。
そんな彼女の性格はお世辞にもいいとは言えないが、その秘密ともいえるそれを知っているのは名前自身なのだから何の問題もない。そして今も、勝利に執着するが故に惹かれた男、影山に笑顔でタオルとドリンクを手渡す。

「影山くん、今年も優勝しようね!」

その愛らしい笑顔に影山は頬を赤らめてそれを受け取るのであった。


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途中で何が書きたいのか分からなくなったのでボツに。


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