"輪廻転生"というものを知ったのは1回目の人生で通っていた高校の倫理の授業で、そんなものはありはしないのだと悟ったのはつい今さっきだ。いや、それだと少しばかり語弊があるかもしれない。たしかに私は転生をしているけれど、その生まれ変わる対象が自分である上に前世の記憶を共有してしまっている。こんなのを輪廻転生とは呼べない、と思う。少なくとも私はそれをなんと呼ぶにふさわしいか、よく分からない。


「名前ちゃん、今日はお父さんも出張から帰ってくるから、久しぶりに外で食べましょうね。」


「うん、わかった。」


はいこれ、お弁当よ。お使い包みをされた弁当箱をお礼を言ってうけとりながら、中身のおかずを想像してお昼が楽しみになった。
まあ、一緒に食べてくれる友達ができたら、の話だけれど。


「…やっぱり、お母さんが近くまで送りましょうか?」


「え?」


「だって、心配じゃない。名前ちゃんがまた同じ目に合ったらと思うと、」


「やだなあ お母さん。何年前のはなし?もう中学生だし、私は大丈夫だよ。」


「そうかしら…」


まだ納得がいかないといった表情を浮かべるお母さんに「ほんとうに大丈夫。何かあったらすぐに連絡するから」と念を押して、昨日のうちから用意をしていた鞄に弁当箱をつめる。転校初日ともあって中身はすっからかんだ。弁当箱の分だけ重さが増したれを肩にかけて「じゃあ、いってきます」と玄関のドアを開く。


2回目の人生にて、2回目の中学生。
このときはまだ、前世同様平凡な日常が私を待っていると、信じて疑わなかった。




prev:next