今の私が今世の私だというのならば、前世にあたる私は平凡な人生を送っていたときの私をさすのだろう。

平凡といってもその人生に不満があったわけではない。そりゃあもっと可愛いげのある顔に生まれていたらとか、もっと頭がよかったならとか、そんなことなら思ったことはあるけれど どれも狂いそうなほど毎日お願いしていたりそうでなければ死んでしまったほうがましだと考えていたわけではなく、そうであったらいいな、ぐらいのものだった。
そんな私の人生はどこにでも転がっているような、普通の代名詞そのものであり、ごく普通の家庭に生まれごく普通に育ち、ときにはくだらないことで両親とぶつかり合って泣いて笑って。学校の成績も中の上。少ないおこづかいの中でうまくやりくりをしながら仲のいい友人と遊んだり、前借りをねだることもしばしば。そういった普通の集合体が、私の人生そのものだった。けれどもそんな人生はあまりにも突然終わりを告げた。

その日は朝から体調が優れなかった。
本当は1日寝ていたかったのだけれど、受験生にとってはその1日さえも惜しくて無理矢理胃に朝食を流し込む。
成績もごく普通だった私が行ける大学はそれなりにあった。学校の先生が推薦を受けさせてくれるとも言ってくれた。これが高校3年間地道に頑張ってきた努力の賜物なのだと嬉しくもなったが、結局安全圏のところを全てけって少し上の大学を目指すことにした。(後に私はこの出来事を人生初の普通からの脱出と呼ぶようになる。)理由はそっちのほうが就職率がいいだの家から近いだのそんなものだった。特別なことがあったわけじゃない。私はただ、この普通すぎる人生にちょっとした刺激がほしかっただけなのかも。

けれど先生にその旨を伝えれば、あまりいい顔をされなかった。学校の合格率を気にしてかなんなのかは分からないけれど、安全圏の大学を受ければよほどのヘマをしなければ確実なのに、どうしてわざわざ高望みをするんだって軽く怒鳴られた。たしかに今から頑張ってどうにかなるレベルじゃないかもしれない。だけど、ここに行きたいんです。そう伝えれば先生は少し考えたあと、ふっと息をついて「頑張るんだぞ」と背中を押してくれた。
志望校を変えることがそこまで嫌だったわけではなかった。けれど、自分で決めたことを先生に何か言われただけで簡単に変えてしまうのも、なんだか違うような気がして。まあそんなあやふやな理由だからこそ、先生にそこまで反抗したのだから必ず合格しなければならない、勉強を怠ってはならないと、そう決意できたのだけれど。
だから私には余裕がない、というか休んでる暇はない。今日は朝から苦手科目の補習があるのだから早く学校に行かなければ、とだるい体を叩き起こして制服に着替えてローファーを履く。「いってきまーす」お腹に力を入れて捻りだした声にリビングからぱたぱたと小走りでお母さんが出てきて、いってらっしゃいと見送られる。
幸いことに明日は開校記念日で学校も休校であるし、勉強は怠れないけれど普段学校がある平日に比べたら少しは休めるのだから今日一日だけの辛抱だ、とマンションを出たときだった。

まだ数歩ほどしか歩いていないというのに、朝からつづいていた頭痛がよりいっそう強くなった。「いっ、た、」思わず片手を頭におき、その場に屈んでしまう。肩にかけていた鞄が道路に落ちる。意気込んだばかりだというのに、ここで頑張らないでいつ頑張るの。受験生でしょう。頭では分かっているのに、まるで引き離されたかのように体はいうことを聞こうとはしなかった。ずきずき。頭の痛みはますばかり。大通りに面しているマンションの前で女子高校生がうずくまっている。人通りも多いこの場で人目につかないというほうがおかしい。すぐに大丈夫ですか、と声をかけられた。少し離れたところからこちらに小走りでくる若い男だった。スーツを着ている。会社員だろうか。
なんにしても、これでこの痛みから解放される。お母さんに連絡してもらえる。病院で診てもらえる。もしかしたら今朝の不調は何か病気の予兆なのかも。今日は1日しっかり休めって神様に言われてるのかも。そんな甘えた考えがぐるぐると頭をめぐり、結果的に人に助けてもらえるという安心感から力を抜いた、そのときだった。

あぶない、と誰かが大声で叫んだかと思えば、視界に入ったのは蛇行運転をしている大きなトラック。それから距離をとろうとする周りの人たち。それに倣って若い男も私とは逆方向に走り出す。なに、なにがおこってるの。電柱やミラーにぶつかってそれらを破壊しながら、その大きなトラックはゆっくりとこちらに近づいてきて、それで。


「あぶない!にげて!」


派手な音と感じたこともない痛みとともに、私の普通の集合体は幕を下ろした。



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