29 私から一歩、歩み寄りました。

夕飯の片付けをしたあと久しぶりにのんびりと湯船につかって、明日の予習をして。それから東京から持ってきた本を何ページか読んだあと、さああとは寝るだけだというタイミングで白石先輩に電話をかけた。
先輩との電話は『謙也から聞いとるで。代わりに数学教えればええんやろ?引き受けてくれてほんまおおきに』からはじまって、『ほな、また明日、朝練でな』で終わった。謙也くんと同じで相当手を焼いていたみたいで、謙也くんから私が数学を条件に手伝うという旨を聞いたときはかなり嬉しかったのだと話されて、なんだか照れくさかった。

それから一応勉強会は明後日を予定しているみたいで、部活が終わったあとに遠山くんの家にみんなで直行、という話でまとまった。みんなというのは、私と白石先輩と、それから一氏先輩と小春先輩も来るそうだ。いつもは一緒に言っていたらしい財前くんは用事があるので今回は行けず、謙也くんは人の勉強をみるのが苦手だからと中学のときからこの勉強会には参加していなかったらしいので、今回も同じようにお留守番みたい。
通話の最後に『ちゃんとお腹出さずに寝るんよ』なんて言われて、思わず「それは謙也くんですよ。謙也くん、寝るときはいつもお腹出して寝るんです。」と返したら、白石先輩はおかしそうに笑う。そして通話を切った頃にはもう11時近くで、今さらながら白石先輩の睡眠時間を邪魔してしまわなかっただろうかと不安になってしまった。明日謝っておこう、と一度は携帯を枕元の充電器にさした、けれど、その手はぴたり、と止まる。

本当は、白石先輩の前に、連絡しておきたい相手がいた。でも踏ん切りがつかなくてあれこれと他のことに逃げてしまった。お風呂なんてさっさと上がればいいし、本だって今日どうしても読みたかったわけじゃない。そうやってただでさえ関係のないことに逃げ回っているのに、これで先に白石先輩に連絡なんて入れてしまったら、私はいよいよ連絡できなくなってしまう。そう考えて白石先輩への連絡を後回しにしてしまっていたのだけれど、結果的にその連絡はできなかった上に先輩に連絡を入れるのが遅くなってしまったのだからどうしようもない。


「(……いい加減、覚悟決めないと…)」


分かってる。分かってはいるんだ。
早いうちに私から連絡を入れて、まずは謝って、ちゃんと事情を話して、それから、和成の連絡先を聞く。自分で決めたことなのに、なんだか無謀な挑戦のような気もして。それでも、やらなきゃいけないことに変わりはない。彼ならこの時間に寝ていることはないにしても、もう11時になる。今から電話をかけるっていうのは失礼だ。分かってる、分かっているけれども、それでも今日一日これからかける電話一本のために覚悟を固めていたのだからここでかけなくてどうすんだ、と自分を鼓舞して再び携帯を手にとった。明日になったら、きっと私はまた連絡できなくなる。指を画面に滑らせて、ロック画面を外して電話帳を開いて。それから、『緑間真太郎』の電話番号を表示させる。

無意識に唾を飲んだ。緑間だと思って出た着信が和成からであったあのときから、私は緑間との連絡を避けてきた。緑間もきっと和成から色々と話は聞いているだろう。二人がどんな関係なのかは分からないけれど、電話をかけることができるということは少なからず友人という間柄であることの可能性が高い。二人ともバスケ部だと思うし、考えれば考えるほど共通点が出てきて、でも、二人がスマホを勝手に触るるほどの仲だなんて、少しおかしい。二人は全然似ていないから、仲良くしてる姿なんて想像もつかない。その事実が、私の知らない間に和成が友好を広げて、どんどん知らない男の子になっていることを告げている気がして、苦しくなる。
あの日から和成からの連絡が一切ないのは当たり前。でも緑間が私に一切連絡をよこさないのは彼なりの気づかいなんだ。緑間はたしかに堅物だけど、そういう仲間思いなところもあって本当はすごく優しい。
だから、まずは緑間に謝らないと。そして、ちゃんと、和成とも話をしなければならない。彼には誰よりも迷惑をかけたから、たくさん、謝らなければならない。


「(…よし、)」


一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
そしてそのまま通話をタッチして、耳にあてる。無機質なコール音が鳴っている間も私の心臓は激しく動いていて、ばくばくと全身に血液を送っている。出てほしい、出ないでほしい、でも、やっぱり出てほしい。矛盾した気持ちがぐるぐると渦巻く中、何回目かのコールがぶつりと途切れた。


『はい』


だめだ、逃げるな。
手から汗がぶわり、と滲み出た。何か言わないと、と思っても、連絡を入れる前まではたくさん言葉が浮かんでいたのに、まるでそれが嘘のように空っぽになってしまう。喉がひゅっと音を鳴らす。


『名字』


「…っ、」


『…ゆっくりでいい。用件があるから連絡を寄越したのだろう』


「…ぁ、み、緑間、」


『ああ、久しぶりだな、名字』


落ち着いて、落ち着いて深呼吸。何回か息を大きく吸って吐いてを繰り返し、やっとのことで「…ひさしぶり、緑間。話すのはあの日以来だね」となんとか話ができるようになった。どれだけ自分が臆病でこの状況から逃げてしまいたいと思っているか、それだけ私は最低なやつなんだなって、分かっていたことだけれど胸がぎゅっと苦しくなる。


『まったくなのだよ。たまにはこちらにも顔を見せたらどうだ。黄瀬ばかりお前と話していてずるいと、桃井が言っていたのだよ。』


「さつきとは頻繁にやりとりしてるんだけどなぁ」


黄瀬ともあれから会えていないし、私もまた部活に入ったから忙しくなるだろうし、まだまだ東京には帰れそうにない。


『夏には帰ってこられないのか?』


「え、夏?インハイ?」


『あぁ。おそらく、あいつらも集まるだろう』


それって、インターハイでキセキ同士が試合するってことかな。たしかにみんな強豪校に進学したみたいだしなあとそんなことを考えていると、ふと、違和感を覚えた。


「あれ、冬じゃないの?」


『は?』


「えっ、だって前に赤司くんが、冬の予定は明けておけって…」


そう、たしかに赤司くんはそう言っていた。
『近々キセキが揃うことになるだろう』
『冬の予定は空けておけ。いいな』
それに私はてっきり、キセキの全員が全国に上がることは不可能だから、インハイは全員が揃わないと、そういう意味だと思っていた。なんたって大輝と緑間と黒子が3人して東京にいるんだから、そんなことがあってもおかしくはない。
だけど、


「…、…ううん、なんでもない」


きっとこれは言わないほうがいいんだろうな。
赤司くんの家に泊まったあの日に言われた言葉は、あのときの私には理解できなかったけれど、今の私ならなんとなく分かる。頭では一人を望んでるのに本心は助けを必要としている。自分の殻にとじこもって、私は何も行動を起こさなかった。想うだけで、和成に歩み寄ろうとしなかった。傷つけてしまうなら一人になったほうがいいって変な風に考えて、本心では離れたくなんてなかったし、今でもずっと、和成のことが好きで、本当はあのとき、助けてほしかったの。今なら分かる。
だから、私は赤司くんの言葉を信じるよ。


『なんなのだよ、さっきから』


「ごめんね、なんでもないよ。別の用事と勘違いしちゃったみたい。―――それで、ね、緑間、」


だから、私はもう逃げないよ。


「…和成の連絡先を、教えて、ください」