28 学生の本分を全うすることになりました。

教室に戻れば既にクラスメイトのほとんどが来ていて、何人かとおはようを交わしながら自分の席に近づく。美琴ちゃんはもちろん、さすがに財前くんも来ていたみたいで、「おはよう」と言えば「おはようさん」「はよ」と返してくれた。


「名前、用事は終わったん?」


「うん、おわったよ」


「用事?こんな朝から何してたん」


「えっ、と、一氏先輩と合宿のことで話があって」


「…ふーん」


席についてからなるべく二人の顔を見ないようにしながら一時間目の教科書やノートをとりだして重ねたあと、机のすみに置いてからちらりと二人の顔を伺えば、美琴ちゃんはそうでもなかったけれど財前くんはあまり納得のいかないような顔をしていた。

嘘を吐いたことは申し訳ないが、私も先輩もこのことについてはあまり他者を介入させたくないと思っている。私たち二人がああしてぶつかってしまうことも本当は避けたかったことだけれど、結果的にうまく収まったのでそこはよしとしよう。けれどこれ以上事を知る人が増えるのは本心ではない。自分のそういった部分を知っているは自分達だけでいい。私も先輩も口に出してはいないけど、暗黙の了解であることは当然のように分かった。


「…財前くんどうかした?」


「…」


「ん?財前どしたん?」


「…はぁ、まぁ、言うつもりがないならええわ」


その言葉に、内心ほっとした。白々しくどうしたの?なんて聞いたから何かしら言われると思っていたんだけど、そこはさすが財前くん。私に言うつもりがないと分かったら何も聞かずに「ユウジ先輩言うたら、昨日気まずかったやろ。」と嫌らしく笑って机に肘をついた。


「それなりに。…でも、たぶんもう、大丈夫だと思う」


「ほんまか。先輩結構しつこいで」


「はは、たしかにそうやったね。名前も大変やなぁ」


「でも悪い先輩じゃなかったから」


「庇ってもええことないで」


「庇ってなんかないよ」


むしろ私が庇われたみたいなものだし。
最後の言葉は口には出さずに飲み込んで、「だからもう大丈夫!」と笑えば、なかなか自分の言うことに肯定を示さないことが不服なのか財前くんは少し不機嫌そうにしていた。それでも「ま、ええわ」と言い残して、それとほぼ同時に担任が教室に入ってきたのでそのまま前を向いた。美琴ちゃんも前を向いたけれど、挨拶をしたあと先生が列ごとにプリントを配りはじめてすぐにまた顔を合わせた。


「げっ」


前の席からまわってきたプリントを見て、美琴ちゃんはあからさまに嫌そうな顔をした。美琴ちゃんだけでなく、クラスのあちこちから不服そうな声が上がる。「面白く嫌がれんのなら騒ぐなやー」なんて担任からの注意は、東京から来た私にとってはそれは注意とは言えないのだけれど、人間、慣れは早い。もうその注意を聞き流すくらいにはこの四天宝寺高校に慣れてしまった。
そんな私は、「地獄のはじまりや…」と項垂れている美琴ちゃんからプリンをうけとり、1枚を手元に残してその他を後ろの席の子へとまわした。


「…期末試験…」


プリントには、期末考査の範囲とかかれていた。
これは美琴ちゃんも嫌そうにするわけだ。私だって試験はストレスもたまるし好きなこともできないし、できればやりたくなんてない。だけど学生であるかぎり試験との縁は切りたくても切れないものだ。
まぁ四天宝寺高校は帝光と違って赤点をとった人にもそれなりの措置が行われるみたいだし、私が苦手としている数学もむしろその措置を受けたほうが改善されるかもしれない。中間のときは赤点の子にプリント課題が出されていたから、今回もきっとそうに違いない。けれどだからといって はじめから措置に頼っていいものでもないことは確かだ。でもまぁ、できる限り頑張ってみるけど赤点だってとるときはとるんだ。それにプリント課題なら部活にもあんまり影響ないだろうし、少しくらい悪くても―――


「自分ら分かっとると思うけどな、赤点とったら夏休みにある補習には毎日来てもらうでー」


…あ、あれ……と、いうことは、


「名字」


「は、はい」


「ここで赤点とってまうと、合宿は留守番やから気ぃつけや」


やっぱり死ぬ気で勉強しよう。







「遠山金太郎くん?」


「せや、ウチのゴンダクレや」


部活後いつものように帰宅し夕飯の支度をしていると、自室の荷物を整理していた謙也くんに勉強をみてほしい人がいると頼みごとをされた。
名前は遠山金太郎くんというのだと言われ、もしかしたらと思って謙也くんに写真はないかと聞けば、見せてくれたのは謙也くんが中学生のときテニス部レギュラーで撮った写真だった。その中で美味しそうにたこ焼きを頬張っている男の子を指さして「この子だよね?」と確かめるように言ったら、謙也くんは驚いた顔をして「なんや、知り合いやったん?」と肯定を返した。

やっぱり、この間会った遠山くんで間違いないらしい。てっきり同い年かとばかり思っていたけど、どうやらひとつしたの中学3年生らしいのだ。
だからあのとき、高等部とは逆方向の中等部へ帰っていったから、遠山くんはいつの間にかいなくなってたんだ。

そんな遠山くんは、なんでも毎回ほぼ全教科真っ赤な点数しかとらないらしい。担任から今回ばかりは庇いきれないので赤点をとればそれまでのプリント課題や先生との面談なんかでは済まされず、夏休みはほぼ全て返上して学校で勉強しなくてはならないと言われたのだそうだ。むしろよくここまで補習を逃れられたもんだ。私は驚きだよ。
なんでも遠山くんは中等部のテニス部のエースらしくて、彼がいないと部活に支障が出るためそういった措置をとっていたらしい。


「毎回中学のテニス部の誰かしらが頑張って教えとったんやけど結果はあかん点数ばっかりでな…。せやけど今回ばかりは1個もとるわけにはいかへんのや!」


「だから、な?頼むわ!」と手を合わせてこちらに頭を下げる謙也くんに、後輩にそこまでしてあげるなんて謙也くんは優しいなぁなんて考えながら、「私も自分のことでていっぱいだし、さすがに無理だよ」と断りを入れた。謙也くんの頼みでもあるし、話からすると高校はここを受けるみたいだし、テニス部にも入るみたいだ。未来の後輩のためにも一肌脱ぎたい気持ちもある。けれどやっぱり私も合宿に参加できないなんてことにはなりたくはないし、本当に申し訳ないけれど自分のことでせいいっぱいだ。


「ひとりやないで!白石も俺も金ちゃんに教えるさかい、名前も得意教科の解き方とかちょろっと教えるだけでええねん!」


「でも、」


「頼む!この通りや!」


「…うーん…」


せいいっぱい、なのだけれど、こんなに必死に頼みごとをしている謙也くんに再度断りの返事もしにくい。
「言い方が悪いかもしれないけど、そんなに手のかかる子なの?」いまだに頭を下げつづけている謙也くんに聞けば、「かかるのは手だけやない。足だって頭だってかかるわ」とどこか遠い目をされてしまった。足も頭もかかるって、どれだけ大変なんだろう。

けれど本当にどうしたらいいんだろう。遠山くんのことは私なんかが役に立つのであれば、もちろん助けてあげたい。謙也くんの頼みでもあるからいつもお世話になっている彼の力にもなりたい。「…数学が、なぁ…」でもやっぱり、苦手である数学に集中したい。


「名前、数学苦手なん?」


「うん。基礎まではなんとかなるけど、応用がいまいち…」


「せや、ならこれでどうや!」


謙也くんはばっと顔をあげて、私の手をがっちりと掴む。


「名前が金ちゃんに教えるかわりに、名前の数学も見てもろたらええねん!」


「え、それって私も数学教えてもらえるってこと?」


「そーゆーこっちゃ!今ならお得なことにマンツーマンで教
えたるで!」


あとから「白石がな!」とつけたすあたり、さすが謙也くんだと思った。でもたしかに、それだったら私もみんなの力になれるし、数学だって教えてもらえる。私にはメリットばかりで反対する理由もない。


「でも、白石先輩はそれでいいの?自分の勉強とか…」


「あいつ普段からきっちり勉強してるさかい、試験前でもそんながっつりやらんくてもええらしいねん」


「え、でもたしか白石先輩って、」


「おん。学年5位以内キープしてるで」


「そ、それはすごすぎる…」


白石先輩、あんなにテニス部が忙しいのにどこで勉強してるんだろう。部活も勉強もその言葉通りしっかりと両立できていて本当にすごいと思うし、私にはできないことだとも思う。くわえて優しいし顔も整っているし、女の子に人気な理由がよく分かった。


「で、どうするん?白石数学教えるの上手いで」


「……じゃあ、お願いしよう、かな」


「ほんまか!」


「うん。でも白石先輩にはちゃんと確認とってからだよ」


「わかっとるって!」


これで金ちゃん対策はばっちりや、なんて言いながら、謙也くんはドタドタと階段を上っていく。
謙也くんからだけでは悪いからあとで私からも連絡を入れておこう。そんなことを考えながら壁にかけてある時計に目をやればすでに6時半をまわっていて、急いで作らなければと私は手元の料理を再開させた。