24 強くなろうと思いました。

ねぇ、謙也くん。謙也くん言ったよね。ここには私の仲間しかいないって、敵はいないって。私はそれを信じて、財前くんは笑ってくれて、もしかして全部嘘だったのかな。なんてそんなことを言っている場合ではない。今は膠着状態ともいえるこの状況を何とかしなくてはならない。そう思い立って私は再びちらりと前方を見た。
目の前で私を睨み付ける先輩を見たら彼が敵意剥き出しなのがすぐに分かる。その先輩、一氏先輩は今にも私に襲いかかってきそうな眼力で睨みつづけ、先程から繰り返している質問をもう一度私に投げ掛けた。


「あんた小春のなんやねん!」


「…えっ、と、小春先輩は部活の先輩で…」


「んなこと知っとるわ!俺かてテニス部や!」


「……あの、つまり一氏先輩は何が仰りたいのでしょうか…」


「だから!」


小春とはどういう関係か聞いてるんや!
再びどごんと落ちてくるような大声が頭上から降ってきてもうどうしたらよいものかと頭を悩ませていると、私の必死の願いが聞き届けられたのか始業5分前を知らせるチャイムが静かに響きわたる。
た、助かった。安堵から出た私のため息を聞いた一氏先輩は軽く舌打ちをしながら「まだ終わってへんからな!」と指をこちらに突き立ててから校舎へ戻っていってしまった。
一体なんだというのだろう。私と小春先輩なんてただの先輩後輩だし、そもそも私がテニス部に入らなければ面識すらなかっただろうし、そういう特別な関係ではないのだ。そのことを伝えようと口を開こうとすればタイミング悪く一氏先輩の声に遮られる。じゃあ私はどうしたらいいのか誰か教えていただきたい。そもそもなんで一氏先輩は私と小春先輩の仲を気にするんだろう。まるでそれは想い人の異性の交遊関係を気にする恋をする乙女のようで、


「………………ん?」


一氏先輩って、小春先輩のこと好きなの?









「なんでそこで『私のこと好きなの?』にならへんかなー…」


「だって自己紹介以外で一氏先輩と話したのは今日が初めてだったし、」


「一目惚れっちゅー可能性もあるやん!」


「ありえへん」


「なんで財前くんが否定するの!」


教室に戻ってつい先程起こったことを二人に話せば、美琴ちゃんが思いの外ぐいぐいと食いついてきた。一目惚れ、の言葉にちょっとだけ、ほんのちょっとだけどきりとしたけれど、それまで興味なさげに話を受け流していた財前くんがここぞとばかりにで否定してくる。そのことに眉を寄せてむっと軽く睨みつければ、財前くんに「先輩に一目惚れされても困るやろ」ともっともな正論を返される。それはそうなんだけどね、と私も頷く。


「ってか月村も余計なこと言うなや。名字勘違いしたらどうするん」


「せやかておもろそうやん!」


「あほか。名字、あんたの言うた通りや。ユウジ先輩好きなんすわ、小春先輩のこと」


「そ、そうなんだ……」


そうだとしたら、一氏先輩の言動にも納得がいく、のかな?
人の恋路に口を出す趣味はないけど、それでも。「……同性愛」とぽつりと溢した本当に小さな言葉を聞き取った財前くんは「ほんまにキモいわ」と仮にも先輩方であるというのに一刀両断だ。


「まあともかく、一氏先輩のことなら金色先輩に頼んだらええやん」


「え?なんで?」


「中学ん時からユウジ先輩のことは小春先輩が面倒見てんのや」


「へー、そうなんだ…」


財前くんはそう言いながら携帯を取り出すと指をスライドさせてメールを打ちはじめる。小春先輩は、言葉は悪いけれど一氏先輩のお目付け役ってことなのかな。なんだかさつきと大輝みたいだと思ったらおかしくて。
昔からさつきは大輝のすることに目を尖らせていたけれど大輝は大輝で色々と考えて行動していたと思う。もちろん全部じゃないけど。
それでもさつきは結局大輝にも私にも甘くて、ずいぶんと色々なわがままを許してくれたものだ。私がここに来るのを笑って頷いたのもさつきが最初だった。なんだかんだで大輝も私とさつきに甘いし、よく日曜日なんかは買い物に付き合わせたなと思い出しただけでこれだから、ほんとうに幼なじみって大切だと思う。
だとしたら、だ。私は二人のことを本当に、心の底から大好き。幼なじみとしてほっとけないものがあって、幼なじみとして分からないことがある。それでも私たちは幼なじみであり、この世に二人といない大切な幼なじみなんだ。さつきの受け売りだけど、いつか私たちの中ではそれが何か魔法の呪文のようになっていて、私たちを繋ぐ言葉となっていたのかもしれない。そんな幼なじみがまさに自分の目の前で、どこの馬の骨ともしらない人と仲良さげに話していたら。相手にその自覚はなくても大切な幼なじみが、とられてしまうように感じたら、私だってつらいし悲しいのではないだろうか。一氏先輩と小春先輩が幼なじみなのかどうかは知らないけど、少なくとも大切な人には変わりないんだから先輩だってとられたくないって思うはずだ。心が狭い狭くないの話でも快く思わないなんて程度の話でもない。ずっと一緒に過ごすことはできないかもしれないけど、現に私が一緒にいられていないけれど、それでも私は、


「名字、どないしたん」


ふいに聞こえてきた声が私を現実に戻す。美琴ちゃんと財前くんが少し眉を寄せて私を覗き込んでいたのに全く気づかなかった。「小春先輩、ユウジ先輩に言うてくれるらしいで」ああ遅かった。一氏先輩に悪いことをしてしまった。そっか、ありがとう。曖昧な返事か私の先程とは違う表情を見てなのか分からないけれど、財前くんはさらに怪訝そうにこちらを見ていたけどやがて視線を外し、「そろそろ合宿やな」と話題を逸らす。
その小さな優しさにありがたく思いながらそういえばと年間予定の行事からそろそろ近づいてきた氷帝学園との合同合宿を思い出す。東京に、合同合宿。前は東京なんて聞いただけで苦しくなっていた胸も、少しだけだけど和らいだ、と思う。それはやっぱり謙也くんや白石さん、財前くんに美琴ちゃん。テニス部のみんなや今も連絡をくれるキセキのみんな。なにより、おばあちゃん。みんなのおかげで私はなんとかやっていけてるし、まだ頑張れる。和成のこともきっと、なんとかしてみせる。まだ顔をつきあわせて話なんてできないけど、心の整理もできてないけれど、彼が私を待っていてくれるなんて思わないけど、私は彼に謝らなければならないんだ。謝って、それからお礼を言って。たくさんの素敵な思い出をありがとうって。本当にあなたのことが好きだって。あの日あのとき、私に声をかけてくれてありがとうって。たくさん、言いたいことがある。


「合宿って4泊ぐらいやったっけ?」


「うん。そうだよ」


「名前が4日もいてへんやなんて考えただけでもつらすぎるわ!あ、財前はいてもいてへんくてもええんやけど」


「なんやて月村」


「ちょっと二人とも、」


途端こちらを向いて「だってこいつが!」といわんばかりの二人は本当に仲がいいと思う。それに苦笑いを浮かべてから4日も東京にいるんだよね、とこぼした私に財前くんは「あんた15年もいたんやろ」と本当にその通りのことを言う。それでも4泊もあちらにいるのだから、きっとやることはたくさんあるだろう。なんせ東京に合宿なのだから費用とか持っていくものとか、あ、食事とかはどうしてたんだろう。洗濯物も合同だからたくさん出るし、向こうにもマネージャーはいるのかな。うまくできるかな。考えることもやらなければならないこともたくさんあって大変だけれど、これでみんながレベルアップするのだと思ったらそれすらも楽しくなってきた、のだけれど、


「名字、お前大丈夫なん?」


「え?何が?」


「何って、合宿のことや。ユウジ先輩、去年合宿担当やったらしいで」


なんやて、と思わず溢した関西弁に「きしょい使い方すな」と軽く頭を小突かれる。というか一氏先輩が合宿担当ってどういうことなの!話す機会が増えちゃう、気まずい!先程とはうってかわって冷や汗を浮かべて審議する私を嘲笑うかのような、馬鹿にしたような、とにかく悪い笑みを貼り付けた財前くんはにやにやしながら「俺らマネージャーいてへんかったもんなあ」と言ってきた。財前くんも私と同じ一年生で同じ時期にこの四天宝寺高校テニス部に入部したっていうのに、よく知ってるんだなあ。この間も謙也くんとダブルス組んでいたし、連携もとれていたと思う。財前くんと違ってまだ部活に何も貢献できてない私が、先輩にびびって逃げてちゃだめでしょう。ぎゅっと拳を握り締めて「私、頑張るから!」と意気込めば美琴ちゃんも財前くんも「がんばれやー」なんて気の抜けた返事をくれた。が、がんばってやる。