23 ここには仲間しかいませんでした。
HRが終わったのは3時を過ぎた頃だった。天文部がお休みの美琴ちゃんはそのまま帰り、私は財前くんと部室へ向かうべく荷物をまとめる。待たせるのも悪いから手早く準備して今日はどんな予定だったとかどのコートを使うとか、部活のボードに書いておくことを覚えておこうと新しく買った黄緑の手帳をとりだしたときだった。ばたばたと慌ただしく廊下を走る音が聞こえて、思わず落としそうになった手帳を慌てて持ち直す。
その音はだんだんとこちらに近づいてきて、やんだと思った瞬間に今度はがらりと扉が開け放たれた。
「名前!」
勢いよくスライドされた扉はそのままの勢いでガンッと音を立てる。走ってきたからなのか短い呼吸音が聞こえる。私を呼んだその人、謙也くんはここが下級生の教室で周りの視線を集めているのも気にしていないのかズカズカとこちらに歩いてきた。
突然のことに頭がついていかずに彼の行動の一部始終を見ていると、あっという間に謙也くんは私と財前くんの目の前にやってきた。
「け、謙也くん?どうしたの?」
「どうしたもこうしたも朝様子変やったし、何かあったんか聞こうにも携帯置いていきよるし、休み時間は白石に捕まって会いに行けんし、財前はメール返してくれへんし!一体どういうことやねん!」
「え、あ、その…」
「俺の携帯が先輩のメール拒否ってんすわ。俺のせいやあらへん」
「なんやそれめっちゃムカつくで!」
「先輩うっさいわ。…で、名字」
「な、なに?」
「先輩に言うことあるんと違う?」
そのとき、財前くんがふっと真剣な表情になった。朝のこと、忘れたわけやあらへんやろ。続けて言われた言葉を聞いて、私はいつまで財前くんに迷惑をかけてしまうのだろうと申し訳なくなる。財前くんはきっと私が直接言わなきゃいけないことだから黙っててくれたんだよね。ありがとうと小さくこぼした言葉は聞こえたかどうかは分からない。
改めて謙也くんに向き合えば、最初は首を傾げていたけど私の表情を見たらすぐに真剣な顔つきになる。二つのきれいな瞳を細めて、静かに私の言葉を待っている。私は言わなくちゃいけない。謙也くんに、謝らないといけない。
「謙也くん、あの、ね、」
「おん」
「まだけじめはついてないけど、私、謙也くんに謝りたいんだ」
「おん」
「……心配かけてごめんなさい。まだ何も言えない、というか私が言いたくないだけなんだけど、いつかちゃんと、話せるようになったら聞いてほしいの。だから今は何も聞かないでいてほしい、です…」
語尾が小さくなっていくのを聞きながら、後ろで財前くんが「こんのヘタレ…」と呟いたのを聞く。事実なのだから何も言い返せない。私は逃げてここに来て、また逃げようとしていた。それにちょっと向き合おうとしたからって私が弱いことには変わりない。私はまだきっと、和成から逃げてる。
「ちゃうわ、名前」
「え?」
「財前が言うたんは名前が弱いとかのことやないで」
「っ、どういう…」
「名前は人に頼られへんからヘタレなや。弱くないで。名前はずっと頑張ってきた。ちっとも卑怯やない。」
「謙也くん…」
「ちっとは頼ってくれへんと、寂しいやんか。なぁ、財前?」
「俺はそうでもあらへんけど、まぁそれなりに相手したるわ」
「素直やないなー」
「先輩は名字より何倍もヘタレですわ。悪い意味で」
「おいコラなんやて」
思いっきり眉間に皺を寄せて財前くんを睨んだあと、謙也くんはばっとこちらに振り返る。
さっきと同じ優しげな表情をしていた。その笑顔を見ているだけで、日だまりの中にいるような錯覚を起こす。こんなにも優しい笑顔が、私の近くで咲いてるんだ。
「せやからな、名前」
「うん?」
「名前の敵なんていないんやで。いるのは仲間だけや」
仲間だけ、か。
その言葉は思っていたよりも簡単に私の中に落ちてきた。仲間がいなかったわけじゃない。私の味方が誰一人いなかったわけじゃない。むしろたくさんの人がいてくれて、みんなが私の心配をしてくれていた。なのに私は自分から一人になったんだ。和成とのことは私だけの問題でみんなに迷惑はかけたくないって思ってたけど、でもそれが余計に迷惑かけてるなんて思いもしなくて。
赤司くんの言っていた私のために泣いてくれる人を、私が泣かせてどうするの。
「…ありがとう、二人とも」
ごめんはもう、言わないからね。
今度は二人の笑顔がなくならないように私が何かしてあげたいと、守りたいと思った。
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