12 彼の幸せを祈りました。

「遠山くんと友達になったのー」と自慢気に話す私に、美琴ちゃんも財前くんも「ああ、あのゴンダクレか…」となんともいえない顔をした。おおう、二人とも遠山くんのこと嫌いなのかな……とちょっとショックを受ける。
あのあと遠山くんとはぐれながらもなんとか教室に戻れば、先生も外部入学組もすでに戻って自習をしていた。なんで!?とあらぶる私に対して、先生は「おー迷子かいな。元気なやっちゃなー」と豪快に笑った。くっそこのろくでなし!とは言えず、ひきつった笑みを浮かべて私は席に着く。遠山くんがどこのクラスかは分からないけど、再会をまいう棒の奇跡に任せるとしよう。

「というか名前、メアド教えて」

「あ、うん。いいよ」

唐突に言われて携帯を出す。そのまま赤外線で連絡先を交換してしまおうとすれば、「財前、あんたもや」「は?」「え?」なんだって。

「なんで交換せなあかんのや」

「なんでって、あんたら友達やろ?交換しとくに越したことないやん?」

それでめ納得しない財前くんに美琴ちゃんが「ほら、名前ってむっちゃ真面目やん?課題とか…」「写させてください。あ、ちゃうわ。交換してください。」なんだかすごく悲しくなった。でも電話帳に名前が増えるのは嬉しいし、私も交換したい。携帯の赤外線でそれを交換して、新しく名前が登録される。

「財前、光…」

「なんや、知らんかったの?」

こくりと頷いたあとに、光くんと呟けばぎろりと睨まれた。す、すみません。
視線を落としてディスプレイに表示された"月村美琴"と"財前光"にほそくそ笑んでから、そういえば財前くんのこと名前で呼ぶ子っていないなとちらりと彼を盗み見る。

「ま、連絡するしないは別として、登録させてもらたわ。」

「うん、よろしくね。財前くん」

「…よろしゅう、名字」

「え、ええ!?」

き、聞き間違いじゃなければ今、私の名前を…?
ついに幻聴がと耳に手を当てていると、財前くんの頬がほんのりと赤みがかっていることに気づいた。幻聴じゃなかった…!

「みっ美琴ちゃん!財前くんがっ!財前くんが私の名前を…!」

「ああ、驚いたわ。ゴキブリを踏み潰してもうたときと同じ感動やわ。」

「例えが分かりにくいわ!」

「別に、気が向いただけや」とそっぽを向いた彼の頬はやっぱり赤くて。これって友達にランクアップしたよねと嬉しくなった私は、美琴ちゃんと小さくハイタッチをした。





入学したての私たちが唯一胸を張れることは、他の学年より何時間も早く帰宅できることだと思う。窓からこちらを羨ましそうに眺める先輩方には申し訳ないが、入学直後に訪れる私たちの小さな楽しみを許してもらいたい。
美琴ちゃんと財前くんはそれぞれ用事があるらしく、昇降口までは一緒に下りてきたが、そこからは風の如く帰ってしまった。残された私はのんびり歩いているわけだけど、今晩は何食べようかなーとか呑気なことばかり考えていたりする。
そして何気なく開いた携帯が、一通のメールを受信した。謙也くんからだ。

「今晩何にする?か…」

まだ考え中だよっと返信をすれば、今日から部活が始まるため帰りが遅くなるとのこと。了解なのだよと送って携帯を閉じようとするけど、まてよと再び開く。
まいう棒の恩恵で遠山くんと友達になれたのも、美琴ちゃんと財前くんとメアド交換したのも名前を呼んでもらえたのも、もしかしたらペンギンのぬいぐるみ風キーホルダーのおかげ?おは朝のおかげ?ちょっと嬉しくなって緑間に「これからも毎日お願いします」とメールを送る。なんだかすごくいい日だ。青い空に、どこまでも飛んでいけるような気がした。





病院に立ち寄っておばあちゃんから話を聞けば、お店のほうは日曜日だけ開けてくれればいいとのことで。
いらしてくださるお客様に色々な柄を見せて、気に入ったものを包んで手渡し、現金払いしてもらえばそれでいいらしい。ただお店に立つときは着物を着ること、ときつく言い付けられた。それがお店のしきたりみたいになってるみたい。「着付けはできるん?」と聞かれたから「前に友達に教えてもらったから大丈夫」と言えば、生粋の都会っ子が着付けできるなんて、と驚いたように笑った。太陽のような暖かさになんだかぽかぽかした。それからテニス部のマネージャーをすることにしたと伝えたら、満面の笑みを浮かべるおばあちゃん。今日配られたばかりの入部届けに"男子テニス部 マネージャー志望"書いて手渡す。それに目を通してから保護者名を書いて、印鑑を押してもらった。

「名前、頑張るんやで」

「うん!」

じゃあまた来るねと席を立って、小さく手を振りながら病室を出た。すっかり顔馴染みになった看護師さんに頭を下げて、すれ違う人たちが花束を持っているのを眺める。誰かに元気になってもらいたくて一生懸命に選んだ花は、きっとその人のためにきれいに咲いて幸せを届けるのだろう。私も何回かおばあちゃんに花を届けたけど、「名前が来てくれるだけで十分や」と言われてそれ以来持っていってない。庭にチューリップとか植えてみようかな、なんて考えながら帰路につく。

「お、名字さんやんか」

「白石さん!」

こんにちは、とお互いに挨拶を交わす。こんなところで何をしていたんだろう。白石さんはユニフォームの上から学校指定のジャージを羽織っていた。うっすらと汗を浮かべているから練習の途中、だったとか?でもどうしてこんな街中に…

「あの、今日は部活だって聞いたんですけど…」

「おん、部活やで」

ほらと掲げられたビニール袋の中には、ドリンク剤やテーピングから包帯、テニスボールまで入っていた。

「これ、もしかして白石さんが…」

「そうや。マネージャーおらんさかい、休憩の合間縫って買いに行っとったんや」

「そっそんな…選手の練習時間は貴重なのに…」

「交代制やし、仕方あらへんわ。せやけど聞いたで、名字さん、うちのマネージャーやってくれるんや?」

「あ、はい!明日からお世話になります!」

ぱっと頭を下げれば、「よろしゅう」と白石さんも軽く頭を下げてくれた。
それにしても選手に買い出しはまずいよ、うん。非常によくない。練習時間はもちろんのこと、休憩時間も次の練習に備えてしっかり休まなければならない重要な時間なのだ。しっかり練習してしっかり休む。体が休みきれていないと、どんどん練習の効率が悪くなるし悪循環にしかならない。
それを防ぐためにマネージャーがいるのにとすごく悔しくなった。

「白石さん、今日は帰ったらゆっくり休んでくださいね。いつもより睡眠時間を多くするとか、そんなんでいいんです。絶対に無理しないでください。選手が体壊したら大変ですから。」

「おおきに。そうさせてもらうわ」

にっこりと笑った白石さんの手が、頭に触れる。くしゃり。乱れた髪なんて気にならなかった。優しい眼差しで私を見つめる彼に、やっぱり重ねてしまうものがあって。

「で、は、また明日、」

「おん、気ぃつけて帰ってな」

和成。寸前のところでその言葉を呑み込んだ。いつまで経っても引きずってるなんて、ばかな女だな、私。和成はもう新しい彼女見つけてるかもしれない。私なんか忘れて新しい道を進んでいるかもしれない。

「(っ、バスケ、したいなぁ…)」

白石さんの後ろ姿が人混みにまみれて見えなくなるまで、私はそこに立ったままだった。
和成の歩む道が、彼にとって幸せなものになりますよう。
胸を刺すような痛みは、あの日と同じように私を覆いつくしていった。