09 マネージャーになってほしいと言われました。
発車を知らせる汽笛が大きくなるに比例して、黄瀬が溜めていた涙がぶわっと溢れた。苦笑する私と、黄瀬を新幹線に連れ込もうとするマネージャーさん。それに対抗して私にしがみつく黄瀬。「ちょっと!これで最後っつったでしょーが!!」「いやっス!俺もう名前っちから離れたくないいいい!!」なんなんだこの茶番は。
いつまでたっても離れない黄瀬に「びーびー泣く男は嫌い!」と渇を入れれば、彼はしぶしぶ新幹線の中へ入っていった。
すぐに窓が開かれて手を握られたけど、これでしばらくは会えないのだと思ったら、なんだか私まで悲しくなってきた。
「っえっぐ、名前、っちぃ…!」
「またすぐ会えるよ。メールだって毎日するし、」
「で、でもっ…!」
ファーッとひときわ大きな音が響く。ゆっくりと動きだす機体に、黄瀬は身を乗り出した。
「変な男に引っ掛かっちゃダメっスよ!あと、俺も名前っちに頼られたいっス!」
「うん、わかった」
「また今度!名前っち大好きっスよー!」
「わ、私も黄瀬のこと好きだからー!」
最後の方はやけくそで、力任せに叫んだ。徐々に小さくなっていく黄瀬は、最後に私の名前を叫んだ、気がする。マネージャーさんも苦労してるんだな。
さて、と振り返れば、待ってましたと言わんばかりの勢いで美琴ちゃんと財前くんが駆け寄ってきた。
「ちょ、名前!どういうことなん!?」
「あんた黄瀬の彼女やったんか?」
「ち、違うよ。黄瀬は親友のひとり。恋人なんかじゃないって」
中学校が同じだったのと伝えれば、二人とも納得したように私から離れた。にしても財前くんが興味を持つなんて珍しい。まだ出会って二日と経ってないけど、彼は興味のないものにはとことん興味がないということが見ていてよく分かった。だから、これを機に少しは仲良くなれるかな、なんて…
「ま、あんたが誰と何してようが俺には関係あらへん」
ちょっとでも考えた私がアホでした。
*
「た、ただいまー…」
倒れ込むようにして玄関に寝そべれば、謙也くんが出迎えてくれた。メールの通り、東京から来た友達と話して、買い物をしてきたとナマズのポーチをお披露目。すぐにはたきおとされて、「ちっとも可愛くないわドあほ!!」とか言われたけど私はめげない。
「夕飯の支度できとるで」
「ありがとう。先に着替えてくるね」
エプロンの紐をほどく仕草がまるでお母さんみたい。二階にある部屋でさっさと着替えを済ませて、ついでに分からないところでも聞いておこうと買ったばかりの問題集を手に再び階段を下りる。
「う、わ!豪華!」
すでに食卓に並んだ数々の食べ物を見て、つい声を漏らしてしまった。謙也くんは得意気に鼻を高くして、「ほら、さっさと手ぇ洗ってこんかい」と私を流しへ押し出す。にしても謙也くん、私より料理上手だ。ちょっとショック。向こうでは意外と上手い方だったはず、と合宿時に私の作った料理を「うまい!」と絶賛してくれたときのことを思い出す。
だけど常にさつきが隣にいたのを思い出して、ああみんなが褒めてくれたのは私とさつきが並んで料理をしていたからなんだと思い直した。神様に料理の才だけをすっぽりと抜き取られたようなさつきと、上手くもなく下手でもない私を比べたら、人はみな錯覚してしまうだろう。あたかも私が料理上手だ、と。
そこまで考えたら、なんだか無性に泣きたくなった。きっとキセキのみなさまは帰宅後母親のおいしい手料理を食べて、「あ、名前のより全然うまい」と夢から覚めたに違いない。私だけが勘違い。勘違いもいいとこすぎるよ。
「謙也くん!料理教えて!!」
勉強教えて、のはずが料理教えてに。謙也くんはびっくりしたみたいだったけど、にっと笑って「ええよ」って言ってくれた。
*
洗い物もデザートも、ついでに勉強も済ませた。買ったばかりのナマズのポーチを写真に収めて、緑間にメールを送る。パタン、と携帯を閉じたところで謙也くんがお風呂の戸を開ける音が聞こえた。タオルケットと着替えは自分で用意していたから、私は牛乳でも出しておこう。
「上がったでー」
いい湯やったな、と謙也くんどかりと座椅子に座った。ぽたぽたと髪から水がしたっている。あまり拭いてないなとタオルを持って謙也くんのそばに行く。
「ほら、まだ濡れてるよ」
「お、すまへん」
タオルを広げて髪を覆うようにしてそれを被せた。私が拭きはじめると、「あ」と何か思い出したように首だけでこちらに振り返る。
「どうしたの?」
「おん、今日白石と話とったんやけどな、名前テニス部のマネージャーやらへん?」
どくん、と胸が跳ねた。テニス部のマネージャー。
謙也くんいわく、私がバスケ部マネージャーであったと聞いて白石さんや他のテニス部員で考えたのだそうだ。そんな大事なことを部長抜きで話し合ったりしていいのかと問えば、なんでも白石さんは次期部長候補であるそうな。いや、だからといってやはり部長抜きで決めるのはあれだと思うけど。
マネージャーと言われて思い出される記憶は、さつきと笑いあってドリンクやタオルを準備したこと、試合を選手席から見たことなど様々であった。たくさんの思い出の中、色あせることなく私に微笑みかける和成。輝かしい中学時代の全ては、あのとき男子バスケ部のマネージャーを志願したときから始まっていたのだ。
「名前はマネージャーやっとんたんやろ?」
「そ、そうだけど…」
「俺らんとこにおったマネージャー、みんな男目当てやったんよ」
たしかに謙也くんたちはイケメンの部類に入るだろう。ちょっとでも近づきたくてマネージャーになる子も大勢いると思う。
中学時代黄瀬がバスケ部に入って、それを目当てにたくさんの女の子がマネージャー志望をしてきたのと同ように、四天宝寺高校でイケメン目当てのマネージャー志望者が大勢いてマネージャー業がはかどらずに困っている、ということだろう。
赤司くんが部長になったとき「マネージャーは名前と桃井だけで足りている。これ以上採るつもりはない。」と言ってくれたおかげで黄瀬をはじめとするキセキのみんなを狙う女の子のマネージャー志望はぱたりとやんだわけだが、そこに至るまで本当に苦労をした。一度マネージャーを三人採ったことがあったが、彼女らは全くといっていいほど仕事をしなかったのだ。呆れた部長が退部を命じたものの往生際が悪すぎたため、次のマネージャーは私とさつき、先輩のマネージャーたちで女として見極めてから採用するかを検討しよう、となった。だが名乗りを上げる女子は誰しも「キセキを狙ってます。」といってるも同然であったため、結局マネージャーは、先輩方が卒業したあと私とさつきの二人だけに。私たちの期待は自然と新入生へ向いたのだが、それはもうキセキ目当ての新入生ばかりあった。こぞって志望してくる新入生を見極めるも、やはりどの子も同じであったため、私とさつき、キセキのみんなで対策を考えていると部長である赤司くんが私たちを代表して、話の冒頭にあるマネージャーは足りているから必要ない宣言を全校集会の場で行ったのであった。
私だって鬼じゃない。入部したいと言ってくれるのはすごく嬉しい。だけど私たちはマネージャー。選手を支えなくてはならないというのに練習の妨げをしてしまってはマネージャーの意味はない。全国三連覇のためにならない子たちは、正直邪魔になるだけ。仕方ない対処であった。
そんな出来事を思い出しながら、全国共通で肉食系女子は怖いな、と再び髪を拭く手を再開させる。
「白石も名前がミーハーやないって知っとるし、話聞いた部員も俺らが推すんやから問題ない言うとる」
「でもバスケ部とテニス部のマネージャーって、なんか違ったりしない?」
「ようはマネージャーや!違いなんてあらへんっちゅー話や!」
マネージャー業に違いはないとの言葉に、たしかにそうかもしれないと中学時代のマネージャー業を思い起こす。
ドリンクとタオル、朝早く来てモップがけにボール磨きや空気入れ。合宿時家事全般を担当することから試合の日程表作成にスコアの記入。選手一人一人のデータを記憶。体調管理だけでなく精神面のケア。
そしてモップがけをコート整備に、ボール磨きや空気入れをテニスボールの回収や調達かなんかに変えれば、テニス部のマネージャー業になりはしないだろうか。
うーんと頭を捻っていると、謙也くんの大きな手が私の頭に乗った。
「心配あらへん。俺がきっちりサポートするさかい、な?」
にっと得意気に笑う姿に、大きく脈を打つ。今一瞬、和成と重なって見えた。
「っ、そう、だね。やってみようかな…」
「ほんまか!」
立ち上がった謙也くんはそのまま携帯片手に白石さんに連絡してくると言って廊下に出た。楽しそうに報告をする謙也くんの声がなんだか遠くに聞こえる。
「(…和成、)」
テーブルに置いておいた携帯を握りしめ、叶うはずもない身勝手な想いを彼に馳せるのであった。
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