08 少しだけ帰りたくなりました。

入学式の後は各クラスで自己紹介や先生の話を聞いたりしてすぐ帰宅となった。教科書が配られたり、簡単な諸注意を言われるのはまた明日だそうで。それにこれから二、三日は授業ではなく身体検査や学力テストが行われるらしい。

「名前、このあと用事ある?」

「うーん、ちょっと雑貨店に行きたいかな」

雑貨店にナマズのポーチってあるかな?と聞けば「ナマズ…」と呟く美琴ちゃん。
うん、そうだよね。いきなりナマズとか言われても困るよね。

「実は今日のラッキーアイテムがナマズのポーチなの。」

「ラッキーアイテム?」

「おは朝占いなんだけど、友達が教えてくれて」

美琴ちゃんに話しながら、緑間から送られてきたメールを思い出す。約束通りラッキーアイテムを教えてくれる緑間には悪いが、ナマズのポーチなんて持っていない。いや持ってたらびっくりだけど…。美琴ちゃんは「へー」と言ったあとに、何故か財前くんの襟首をがしっと掴んだ。

「って!なにすんねんどアホ!」

「名前、これから買い物行くんやで?」

「だからなんや!」

「男っちゅーもんは女の買い物にとことん付き合うべきやろ」

美琴ちゃんが男としてどうあるべきなのかを嵐のように語りだす。
財前くんが助けろオーラを出してくるけど、まずは謙也くんにメールしないと。ごめんと苦笑いを返して携帯を開けば、新着メールが目に入る。

「………ええ!?」

私の悲鳴まがいな驚き声を聞いたのか二人がこちらを見てくる。
それとほぼ同時に、外で黄色い歓声が響きわたった。





「来るなら言ってくれればいいのに」

「それ言ったらサプライズにならないっスよ!」

相変わらずのイケメン笑顔が炸裂し、お店の店員がばたばたと倒れたのが分かった。お姉さんたち分かってないよ!と泣きそうになるのを必死にこらえる。

言わずもがな、彼は黄瀬である。

なんでも大阪の絶品を食す番組の収録があったらしく、こちらに来たのだと。今は近くの甘味屋だ。連絡をくれなかったことに対して頬を膨らませば、突然「あああもう名前っち大好きー!」とか叫ばれてほんとに泣きそうだった。いやもう泣いてる。

美琴ちゃんや財前くんはというと、紹介すると言ったにも関わらず何故か黄瀬とご一緒するのは気が引けると言って後ろの席に座っている。校門にてきゃーきゃー言われている黄瀬を救出したときの周りの目とか、美琴ちゃんと財前くんから説明しろと責められるのをかわしつつ謙也くんに連絡したりとか、さっきまで慌ただしかったからすごく疲れた。
きっと二人にとって黄瀬は雑誌の中のアイドルで、一緒に遊んだり笑いあったりするような友達とはかけはなれたイメージなのだと思う。でもだからってご一緒してくれないなんて悲しい。

「名前っちが大阪行っちゃうから、こっちは花がなくて寂しいんスよー」

「さつきがいるでしょ?それに毎日メールしてんじゃん」

どこも寂しくないよと苦笑をもらしたあとに「大阪でお仕事もらえるなんてすごいね!しかもテレビ!」と言えば、ぱああっと顔を明るくしたあとに柔らかく笑った。

「ところで名前っち、後ろの席に座ってる二人は誰っスか?」

「新しくこっちでできた友達だよ」

「へー」

なんだか間延びした返事だと思って黄瀬を見たとき、背筋がぴんと伸びた。細められた瞳が真っ直ぐ二人を見据えていて、言い表せない何かに頭が支配される。「き、せ?」混乱する頭を落ち着かせて声をかける。「なんスか?」先程までのことが嘘のように、人懐っこい笑みだった。

「どうか、した?」

「いんやー、ただちょっとずるいなって」

「ずるい?」

「俺は名前っちが大好きっス」

「え、あ、うん、知ってる…」

「ちょ、なんスかその反応!」

怖い顔してたから何を言うのかと思えば、私が好きなんて。なんだか拍子抜けした気がする。

「そんで、好きなのになんで一緒にいられないのかなって。俺と違ってあの二人は一緒にいられるんだって考えたら、なんか悔しくて…」

ま、名前っちが東京にいても海常には来てくれないけど。
分かりきっていても、それがつらいんだと言った黄瀬に、きゅっと胸が締め付けられた。

「分かんないよ。海常に行ったかもしれないし、」

「はは、それはないっス!あの青峰っちが名前っちを手離すわけがない」

大輝が私を手離さない。それは、いつの日か大輝が言ったことのことかな。幼なじみとしてほっとけないものがあって、幼なじみとして分からないことがある。それでもやっぱり、幼なじみは私たちだけだから。可愛らしく笑ったさつきと、鼻でバカにしたように、それでもきれいに大輝は笑った。「頼りたいなら、とことん頼ればいい」あの時の大輝は、なんだか別人のようだった。

「…そうだね、私も二人を手離したりしないよ。」

「くっそー、そのきれいな友情にも妬けるっス!」

「黄瀬も大切な友達だよ?」

「っ名前っち…!」

「あ、こら、お行儀悪い!」

腕を大きく広げてこちらに身を乗り出す黄瀬の頭を軽く叩けば、彼は小さく声を漏らして再び笑う。
その笑顔につられて私も微笑み返したら、なんだか中学に戻ったみたいでみんなに会いたくなった。