氷肌玉骨、閉月羞花、錦上添花、朱唇皓歯、人面桃花、傾城傾国、綽約多姿、春蘭秋菊、詠雪之才、絶世独立、天香国色、八面玲瓏、媚眼秋波、曼理皓歯、幼窕淑女など、これらの言葉すべては彼女のためにあるのだと学校中の人間が口を揃えて言う。人形のように透き通った肌とくりんとした大きな瞳、それからすらりと伸びた細すぎず太すぎない手足とさらさらの髪。それら全てを兼ね備えた容姿を持つ彼女は僕ら男子の中でも、いや、女子や教師、学校周辺の人たちの中でも飛び抜けて注目を集めていた。その上に聞き心地のよい声と穏やかな性格で、成績優秀・スポーツ万能ときた。非の打ち所がない完璧な女生徒に向けられるそれらにだって妬ましい憎らしいなんていうマイナスなものは一切ない。それはきっと僕にだって当てはまるだろうに、何故かそういうわけにはいかなかった。
―――いや、何故か、なんて今さらだ。僕が彼女に感じるそれはたったひとつ。同族嫌悪だった。


「何してるの?」


静かに、二つの大きな瞳がこちらに向けられた。瞬きを数回したあと彼女はこてん、と首を傾げて「チョロ松くん、忘れ物?」とまるで音楽を奏でるかのように声を紡ぐ。にっこりと微笑むその顔は学校中の男子だけでなく女子や教師までを虜にすると謳われるだけはあってとても可愛らしいものだった。どこからどう見ても欠点のない彼女は今日も今日とて美しい。
ただひとつ、彼女のこれまた綺麗な足が、色とりどりの紙袋を踏みつけていること以外は。


「……何、してるの?」


「なにって、あ、これ?」


ぐりぐりと足元で潰されていくそれはたしか、誕生日祝いだと、放課後になる前彼女が友人から渡されていたプレゼントだった。嬉しそうに受け取っていたのを同じ教室で僕も見ていた。それがどうして、あんなことに。


「中身ね、」


「、え?」


「プレゼント。中身ね、手作りのお菓子なんだって」


「う、うん、でも、だからって、」


「わたし潔癖性なの」


ぞくり、と鳥肌が立った。


「…だからってそんな、潰すなんてことしなくても、」


「あれ、チョロ松くんも、貰ったのが自分だったら同じことするでしょ?」


まただ。いつものように笑みを絶やさずに友人から貰ったプレゼントを踏み潰しているからじゃあなくて、もっとこう、気持ちが悪いものを目にしてしまったという、嫌悪感に襲われる。
同じ。そう、同じだ。彼女と僕は何もかもが同じなんだ。だからこそ分かる。彼女はきっとプレゼントを踏みつけるのは慣れっこで、日常で、今回がはじめてなんかじゃない。きっと彼女のことだ。今まで誰にも気づかれずに上手くやっていたはずだ。だから、今僕にその決定的瞬間を見せつけたのはわざと。普段は隠しているその顔を僕にわざと見せているのだ。
まさか彼女からアクションを起こしてくるなんて考えもしなかった。自分の顔から表情が抜け落ちたのが分かる。


「わたし知ってるよ。今朝のホームルームで先生が言ってた、商店街の近くであった乱闘。あれ、チョロ松くんでしょ?」


「……」


「昨日見ちゃったんだよねぇ。あの真面目な優等生委員長、チョロ松くんが怖い顔して人を殴ってるところ」


「…それがなに?今までお互いソコについては関わんないできたんだからさぁ、見なかったことにしてくれればそっちだって楽できたのに、今さらなんなんだよ。」


かけていたメガネを外してそこらの机に放り投げる。こうなったらもうこっちも猫を被る必要はない。それにこちとらガキの頃からずいぶんとやらかしてきたんだから、今さら乱闘のひとつやふたつ、どうってことないんだけど。何言うつもりなんだ。「へえ、チョロ松くんて思ってたよりもいい性格してるんだね」耳障りな声だなあ、ほんと。


「うーん、最初はそうしようと思ったんだけどね?やっぱり人は殴っちゃいけないなって思って」


「んなこと微塵も思ってねぇだろこんの性格ブス。第一たかが殴ったくらいでなんだよ。同じことしてるくせに僕はダメなわけ?殺してないんだからセーフだろ?」


「性格クズなのはチョロ松くんも一緒だよ。ていうか、わたし人殴ったことないよ?」


「人の好意踏みにじってんだから殴ってんのと大差ないと思うけど。むしろタチ悪い」


「好意?嫌がらせの間違いでしょう?」


わたし人から貰ったものって気持ち悪くて食べられないから、と言うのと同時に足に力を込めたらしい。ぐしゃり、と音を立ててさっきよりもずいぶんとへこんで原形を無くしてしまったそれをまるで汚いものを見るような目で見やる。


「見た目も中身も可愛い子なんているわけないのに、みんなして馬鹿みたい」


たしかに、それには同意だ。僕も彼女も自分にとって有利な立場を築きたいから全てを演じることを選んだだけで、それは本心ではないし、言うなれば"偽りの姿"であって本来の僕たちではない。なんて、ちょっと美化してみたけど言ってしまえば自己中を拗らせた捻くれ者なだけだ。自分さえよければいい。他人なんて知ったこっちゃない。そもそも自分にとって有益となるもの以外全てに興味がない。人間としてどこか欠けているそんな部分を隠す術が"演じること"だったという、それだけの話。
「一緒に帰ろうよ、チョロ松くん」明日の授業で使う辞書をかばんに詰めたあと、先に教室を出ていた彼女に続いて廊下に出る。そして床に捨てられたままの色とりどりのプレゼントを眺めながら、扉を閉めた。


「……放置かよ」


「え?何か言った?」


「別に何も」


僕もお前も、いい性格してるよな、ほんと。声には出さずに唇の裏でそっと呟く。
何もかもが同じな僕らが、二人一緒に下校する日が来るなんて思わなかった。今までお互いを嫌悪し、自分と似たやつがいるなって、そんぐらいにしか思っていなかったんだから当たり前か。でもお互い決定的なその瞬間を見ていなかったから、というのもあるけれど、少なくとも僕はこの先一生関わることはないと思っていた。それがどうだろうか。どうして今になって彼女は声をかけてきた?人のことはあまり言えないけど、性格ブスの考えることはさっぱり分からない。けれど、少なくとも、昨日ふっかけられた喧嘩がこんなきっかけを作ってしまったようだ。そうと分かっていたのなら、あんなクソみたいな奴等の喧嘩なんか買わなかったのに。似た者同士の僕らが関わりをもった。こんな面倒なことはない。はあ、とため息をひとつ漏らした。


「結局、何の用で声かけてきたんだよ」


前方を歩いていた彼女のスカートと髪がふわりと揺れる。


「ひみつ」


振り返った彼女はもう先程までの彼女じゃあなくて、健気で、可愛くて、心優しくて、誰にでも好かれる学校のマドンナだった。