※ゆるく注意




高校生の頃に、私はおそ松を盛大に振ったことがある。
いつものお調子者からは想像もつかないような真剣な目をしたおそ松に好きだから付き合ってほしいと言われたとき、私は同じ気持ちであったのにも関わらず言ってしまったのだ。


「…な、…何言ってるの、トド松。この間も女の子とデートしてたじゃない」


冗談やめてくれない?
って、相手がトド松じゃなくておそ松だってことも、トド松はそんな冗談言わないってことも、おそ松がどれだけ真剣だったかも、私はぜんぶぜんぶ分かっていたのに、知らない振りをしてぎこちなく微笑んだ。自分の気持ちにも蓋をした。


このときのおそ松の顔を、私は一生忘れない。







私には六つ子の幼なじみがいる。
周りの人はもちろん、トト子や親すらも誰が誰なのか見分けがつかないほど同じ顔をした彼ら。けれど何故だか私だけは、その彼らを見分けることができた。右から順に言い当てれば百発百中。周りの人やトト子はすごいと口々に言ったし、六つ子は自分たちを見分けることができるのがそんなに珍しかったのか私をひっぱりだこにして色々なところへ遊びに連れていった。私としてはただなんとなく、あ、この子は十四松だな、とか、特にこれといった確証をもって彼らの名前を呼んでいたわけではなかったので複雑なところだったか、間違えていないのなら別にいいやとその程度にしか考えていなかった。
なのに、だ。一度だって彼らを間違えたことはなかった私は、今さらになっておそ松をトド松だと言ってしまった。それもわざとだ。
あのあとひどく悲しそうに顔を歪めるおそ松に私は思わず教室を飛び出して、自己嫌悪に潰されそうになりながら必死に家に逃げ帰った。自室の扉を閉めてから堪えていた涙がボタボタと垂れて、カーペットに染みをつくっていく。私は最低なやつで、泣く資格なんてないのに。

おそ松に告白されて嫌だったわけじゃない。むしろ嬉しかったし、私だって同じ気持ちだった。小さな頃からずっと、他の兄弟の誰でもなくおそ松が好きだった。
でも自分の気持ちを自覚していくのにつれて、クラスで人気者の彼と教室の端で本を読んでいるような私とでは釣り合わないと思ったし、おそ松はずっとトト子のことが好きだとも思っていたし、さらにあの日あのとき、なんだかおそ松が全く知らない男の人になってしまったようで、なにがなんだか分からなくなってしまったのだ。自分の勝手な都合で、おそ松を傷つけた。もう元に戻ることなんてできるわけがなかった。
けれど、翌日どんな顔をして会えばいいんだろうって夜中ずっと悩んで隈をつくった私とは対照的に、おそ松は「おー名前、おはよ」なんてあくびをしながらいつものように話しかけてくるものだから、もしかしたらあれは本当にトド松だったの?夢だったの?って、そんなわけがないのに、また都合よく逃げてしまったのだ。謝りもしないで、おそ松の優しさに甘えて見て見ぬふりをしていたから、甘ったれた生活をつづけてしまったから。
だから、私は今こうして、その報復を受けているんだ。


「なあ、名前」


びくり、と大きく肩が揺れる。「こっち見ろよ」あの日から10年以上経っても変わらないいつもの明るい声じゃなくて、低くて、真剣味を帯びていて、幼なじみなんかじゃなくても分かるような怒気を含んだ声に、私は身動きすらとれずにいた。


「名前」


「っぁ、」


顔の隣につかれた手に、股の間に滑り込む脚。
それから、背中にあたる冷たい壁に、おそ松の鋭い視線。いつものように話していただけ、いや、『いつものよう』なんて私が言えたことじゃないけれど、本当にさっきまでは普通だった。昨日は何してたとか最近上司がきついだとか、そんな当たり障りのない会話をしていたのに、険しい顔をしてどんどん私との距離を縮めるおそ松から逃げようとして逆に壁際に追いつめられてしまった。
どうしてこうなったの?私がまた、おそ松を傷つけちゃったんだ。あの日と同じように、ぼろぼろと涙が溢れてきた。


「なんで名前が泣くかなー」


「っ」


「…泣きたいのは俺のほうだっつーの」


「ごめ、おそま、」


「で?なんだっけ、早く女つまえて結婚でもなんでもしろ?」


そりゃねえんじゃねぇの。


「俺の告白なかったことにしといて、んなこと言うんだ?」


だって、私は、おそ松はもう私のことなんてどうでもいいって思ってるって、思ったから。
あれから一緒に遊んだことだって二人でいることだってあったけれど、おそ松はいつも通りで、街で通り過ぎる女の子を見ながら「あの子かわいくね?」なんて話しかけてくるし、一度だってあの日のことを話題に出してこなかったから、おそ松にとってはもうなかったことになってるんだって、そう思ってた。そう思い込んで、私は、今まで逃げてきた。
だから、「いつまでたっても親に甘えたままじゃなくて、早くかわいい女の子見つけて結婚でもしたらいいのに」って。ああほんと、私ってなんでこんなに最低なんだろう。最低なのに、私はまだ、おそ松のことが好きなの。


「名前ちゃんてばひどいよねー?俺らのこと見分けられなかったことなんてないのに、あのとき俺だってわかってたくせに、わざと他のヤツと間違えて」


「!、や、ちょ、おそ松、まって、」


「十分待ったっつーの」


空いていたほうの手が、するりと太股を撫でた。
そしてそのままその手は上がっていき、着ていたシャツを捲ると、今度はゆっくりとお腹を撫でられる。


「っやめ…、やめて、おそ松、」


「…、…ほんと、お前はひでぇよ。あのとき、普通に振ってくれればよかったのに」


だから、こんなことになってんのも、全部お前のせいだよ。


それまでこちらを睨みつけていたおそ松が今度はあの日のように、悲しそうに笑うものだから、息が詰まった。
違うと、やめてと、話を聞いて欲しいと、今さらだけれど私はおそ松のことが好きだったと、何を伝えようとしても、もう彼には届かない。


「…まぁ俺らを間違えたことのない名前が、俺のことをトド松だって言うんなら、そうなのかもな」


「…っ、ちが、」


「ならさあ、名前、」


俺は、いつまでトド松でいればいい?


ぐちゃぐちゃになった視界の中で自嘲気味に微笑むおそ松に、私はやっぱり何も伝えることはできなくて、また静かに最低な涙だけを流した。