お母さんはポケモンと一緒に旅をすることが嫌いらしくて、娘のわたしが旅に出たいと言い出せば物凄い剣幕で反対された。
普段幼なじみであるトウヤくんとはたくさん話すけれど家では話したことがなかったから、わたしが旅に出たいと言ったらどんな反応をするのかな、ぐらいの考えだったのに、話題を持ち出せばそれまで穏やかだった夕飯の場が一転した。

「旅なんか許しませんよ」って怒鳴り散らすお母さんははじめて見るような怖い顔をしていて、それを宥めているお父さんも焦っているのが見てとれる。
けれどわたしにとっては、ずっと夢をみてきたポケモンとの旅を、いちばん身近である家族に全否定されたことがショックでならなかった。何年も前にトウヤくんといつか一緒に旅に出て色んな世界を見にいこうって話をして、わたしにとっては何よりも大切にしてきた約束だったのに、こんな形でお母さんに否定されるなんて。
途端に目頭が熱くなって、食べかけのシチューをテーブルに放って思わず立ち上がる。

「わたしはっ…!トウヤくんと…!」

トウヤくんと、旅に出るんだもん。
後半はもう半ば泣き叫ぶようにしてお母さんに負けないくらいの大声で怒鳴って、それからお父さんの声を無視して家を飛び出した。
途中でぼろぼろと涙がこぼれて服を濡らして、それでもわたしは走りつづけた。ほんとうはどこか遠いところへ行ってしまいたかったけれどポケモンを持たないわたしにとって1番道路とその先は野生ポケモンがうじゃうじゃいるので、出ようものなら見境なく攻撃されてしまうほどに危険な場所だ。
わたしはいつかその先へつづく世界を駆け抜けて、強くなって、立派なトレーナーになりたい。カノコで終わるだけでなくて、もっと素敵な世界をこの目で見てみたい。トウヤくんと一緒に、旅に出たい。

そんなことを考えていたためか、あるいは頭にのぼった熱がまだ冷めていなかったのか、わたしの足は自然と1番道路へと向く。
もしこの道路を抜けてカノコを出れば、お母さんもわたしが旅に出るのを認めてくれるんじゃないかって、そんな風に考えていた。さっきまでは危険な場所だからと避けていたのに、人間気が動転していると何をするか分からないってほんとうなんだ。
ざくり、とカノコと1番道路をつなぐ敷居まで来た。ここを出てしまえばきっとわたしは、

「名前!」

と、そこでぐいっととんでもなく強い力に腕を引かれて我にかえった。びっくりして振り返ろうとしたのとその強い力のせいで背中から後ろに倒れたのはほぼ同時のことだった。
ぼすん。けれどわたしの背中にあたる感触は想像していたものとは違ってずいぶんと柔らかくて、反射的につぶっていた目を恐る恐る開いて状況を確認しようと辺りを見渡す。

「いっ、た…」

「とっトウヤくん…!?」

わたしの背中を支えてくれていたのは部屋着を着たトウヤくんだった。わたしを庇ったのか尻餅をつきながら顔を歪めていて、慌ててその場から立ち上がってから「大丈夫!?」と手を伸べれば「大丈夫」とすぐに握りかえしてくれる。

「よ、よかったほんとうに…!怪我してなくて…」

「そりゃどーも。…それより名前、1番道路は自分のポケモンを持ってないと危ないって何度言ったら分かるんだ」

今入ろうとしてたろ?
普段無表情のトウヤの口許がゆるりと綺麗な弧を描く。けれども目は一切笑ってなくて、思わず私まで顔がひきつったのが分かった。うわ、ぜったい怒ってる!

しばらく「えっと、その…」と言葉を濁してなんとかトウヤくんの視線から逃れる方法を探したけれど見つかるはずもなくて、相変わらずじっとこちらを見つめるその双眼に耐えられなくなり、小さく「…ごめんなさい…」とこぼす。
そのあと小さくため息をついたトウヤくんは、「気をつけろよ」とひとこと言ってからはそれ以上何も言おうとはしなかった。
やっぱりトウヤくんは優しいなあ、なんて考えながらそういえば、と疑問に思っていたことを口に出す。

「あっ、あの、トウヤくんはなんでここに…」

「夕飯食ってたら隣からすごい怒鳴り声が聞こえたんだよ。様子が気になって外に出たらお前は泣きながら走ってくし、おじさんに後を追ってくれって頼まれるし」

「お父さんが…」

「…おばさん、すごい泣いてたけど」

トウヤくんの言葉にびくりと肩が揺れる。
つづいてため息を吐いて、服の汚れを払いながらめんどくさそうに言った。

「名前が家族とケンカするなんて珍しい。さっさと謝んないと気まずくなるのはお前なんだから、早く帰るぞ」

なに、それ。ぜんぶわたしが悪いの?

「おばさんに何言ったんだよ、ほら、一緒に謝ってやるから」

さっきのわたしのように、トウヤくんはこちらに向けて手を伸べた。だけどわたしはそれをとる気にはなれなくて思いっきり音を立てて叩き落とす。

「……なんだよ、それ」

急にトウヤくんの顔つきが変わった。わたしに叩き落とされた手を引っ込めて、こちらを睨みつけながら今度は無理矢理わたしの手を引っ張る。

「さっさと帰るぞ」

「やだ、はなして!」

「わがままいうな」

「っトウヤくんはわたしと旅に出たくないの!?」

「はあ?」

まったく意味がわからないといった表情を浮かべてから、トウヤくんはわたしの手を引いたまま力は抜いてわたしと向き合った。わたしに理不尽にも怒鳴られたというのに、トウヤくんは落ち着いているみたい。
引き換えてわたしは迎えに来てもらったというのになんて酷いことを言ってしまったんだろう、とひどく後悔していた。

どうしよう。トウヤくんに酷いこと言っちゃった。
反射的に俯いて次の言葉に困っていると、トウヤくんは手を握っていないほうの手でわたしの頭を数回撫でながら「どういうことだよ」と優しい声で尋ねた。それをきっかけにぷつん、とまたいつの間にかとまっていた涙が溢れだす。

「っおか、あさんが…」

「ん」

「わたしが、ポケモンと旅に出るのは許さないって…」

「……」

「わたしはっ、トウヤくんと一緒に旅に出ることが夢なのに、」

「……」

「それをあんなに強く否定されて…」

「……」

「っトウヤくんと旅に出れないなんてやだよ…、っわ!」

それまでわたしの手を握ってくれていた手も頭を撫でてくれていた手も、ぱっと離れたあとすぐに背中にまわされる。突然のことに少々驚いたものの、ごく自然な成り行きでわたしはトウヤくんにからだを預けた。

「だから家を飛び出したわけか。てか、1番道路に行けば旅が認められるとでも思ったのか?」

「そ、それは…」

「違うだろ。そこはイコール関係にはならない。ただもっとおばさんに心配かけて、余計に旅なんてだめだって言われる」

「っだってわたしはトウヤくんと…!」

「俺も、名前と一緒に旅がしたい」

ぎゅ、と背中にまわされている腕に力がこもった。

「だから、二人でおばさんに話をつける」

「え、?」

「二人で言えばおばさんだって納得してくれるかもしれないだろ」

「で、でも…」

「っていうか、おばさんが頑なに反対してるのは、お前が危ない目に遭うかもしれないって心配してるからだろうし」

「そ、それはそうかもしれないけど…」

「だから、名前は俺が守ってやる」

一瞬、耳元で言われたその言葉に思考が停止した。
守ってくれるって、トウヤくんがわたしを?

「それなら、おばさんも了承するだろ?」

ゆっくりとわたしを離したトウヤくんは、視線を絡ませてから「な?」と言って少しだけ笑った。
それからわたしの手をさっきと同じように、けれどもずいぶんと優しく引くと半ば引っ張られるような形で帰路につく。

「帰るぞ」

「…うん、トウヤくん、ありがとう」

目元をこすって涙を拭ったあと、その手に堪えるようにしっかりと握りかえす。あんまりにもわたしがぎゅうぎゅうに力を込めていたら、トウヤくんに「痛い」と睨まれてしまった。「うん、ごめんね」それでもわたしはもちろん、トウヤくんも手を離そうとはしなくて、手から伝わってくる温度が心地よくて。
家を飛び出してきたときはもうお母さんと口きくもんかって思ってたのに、今はちゃんと話し合わなきゃって思えている。
それもこれも全部トウヤくんが来てくれたからで。

「ありがとう、トウヤくん。だいすき」

「…知ってる」

今度は、幼い頃旅の約束をしたときのような、それでもすごく大人びたかっこいい顔で、トウヤくんはまた少しだけ笑った。