※夢主のクラスメイト視点


夏休みの真っ只中。部誌を書くにも冷房のきかない部室では暑すぎるので、当番の日は部室の鍵を閉めたあとこっそり教室で書き上げて顧問に出しに行くのが私の中で恒例となっていた。中学からつづけていたバスケは私の生活の一部となっていて普段は部活後でも何人かでストバスに行ったりしていたけれど、さすがに夏休みのバード練習あとには行く気になれなくて、部員は基本的にまっすぐ帰路につく。
私も例外なく、普段はそうしているのだけれど部誌兼鍵当番の日はなかなか早く帰ることができなくて、家につく頃には8時を回ることだってある。
それでも部誌を部員全員が順番に書くという当番は部活の大きな決まりでもあるしサボろうなんて思ったことはない。ただ人を待たせておくには気が引けるので、普段一緒に帰っている友人たちを先に帰して、そして冒頭の通りひとりで部誌を書くのがいつものことだった。

疲れきっている足を叱咤して階段を上る。そして普段の授業で自分が使用している教室の扉を開ければ、ふわっと顔にあたる冷気に心地よさを覚えて思わず「すずしー!」と声を上げてしまった。
けれど、夏休みの間はあまり使われていない教室で冷気を感じることができるなんて、もしかしたら直前まで誰か使っていたのかも、と中をよく見渡せば、窓側の席に腰かける親友の姿が目に入った。

「あ、名前じゃん!」

少し前からこちらに気づいていたらしい名前は私の顔を見て驚いた顔をするも、すぐに「久しぶりだね。部活お疲れさま」と小さく笑った。

私は中学から運動部であったし、クラスでもそれなりに上手くやっていたから友人とも呼べる人はたくさんいた。クラスでも目立つ子、控え目め子、やんちゃしてる子、ひとりが好きな子。様々なタイプの友人がいる中、名前はどれかといわれれば控えめなほうだけれどそれでいて明るくてクラスでも慕われていて、誰にたいしても優しい子だ。そんな名前は私のいちばんの親友で、1年のときからクラスが同じで。出席番号が近かったために比例して席も近く、入学後はじめて話しかけたのは名前だった。
よろしくねと手を差しだしたのは私で、彼女は優しく手を重ねて「こちらこそ、よろしくね」とかわいらしく笑った。今でもよく覚えている。

「何か忘れ物でもしたの?」

「名前こそ!どうして教室にいるの?」

名前は帰宅部だった。故に部活動もない彼女がわざわざ制服を着て学校に来るなんてどうしたのだろう、とただ純粋に疑問に思った。まあ、真面目な彼女のことだからなんとなく想像はつくけど。

「わたしは課題終わらせちゃいたくて」

予想通りだった。
名前は手元にあった参考書を持ち上げて「今回難しくなかった?」と言われてもまったく手をつけていなかったので苦笑いをしたら、察したのか「運動部って大変だよね。わたし3日ももたない」と同じように苦笑した。
それから、帰宅部にくわえて今年は田舎に帰ることと幼なじみの一家と一緒に毎年恒例であるバーベキューをすること以外に特に夏休みに予定があるわけでもないので、だいたいは学校の自習室で昼から夕方まで課題を片づけることにしているのだそうだ。けれど主に受験を控えた3年生が使うために席がとれないこともあって、そういう日には教室で勉強するのだと言われた。今度は私が部誌当番の日に同じく自分も教室で作業していると話せば、名前も納得したような表情を浮かべて「そうだったんだ」と言ったあとに、「運動したあとに冷房がきかない部屋で部誌なんて、そりゃあ教室使いたくなるよね」とも言ってくれた。さすが名前、わかってる!

そんなことを話しながら名前のすぐ隣の席に座って部誌を開く。鍵当番も兼ねてるからみんなが部室を出るまで残っていなくちゃいけないのだけれど、その待ち時間でだいたい書く内容は考えていたし、今日は早めに終わりそう。「私も早く課題やんなきゃ」ひとりでこぼした言葉に、名前は無理しない程度に頑張ってねなんてかわいいことを言ってくれた。

名前は中学のときから帰宅部だったらしいのだが、そのわりには運動部に関して理解が深いし、この間まで体育の授業にてバレーが行われていたのだが、実技では高得点をとっていた。元々運動神経がいいわけでもない(本人談)らしく、そう言っていた通り他のスポーツの授業ではみんなと同じような成績だったのを覚えている。
そのことについて尋ねれば、名前は「幼なじみが小さい頃からバレーをやってるんだけど、わたしも練習相手にさせられてたから」とお弁当を頬張りながら話してくれたのは記憶に新しい。そのときは相槌をうって会話は終わったのだが、私はあることに気づいた。

名前との普段の会話の中でその「幼なじみ」が頻繁に出てくるのだ。部活のない日に学校帰りに遊びに行こうと誘えば幼なじみの買い物に付き合う予定があるとのことで断られたり、休日何をしているのかなんて話したときは幼なじみの試合を見に行っていると言われたり。話からすると名前と幼なじみはすごく仲がいいことが分かる。だからつい私もその幼なじみが女の子だとばかり思っていたのだが、それは大きな間違いだった。





しばらくして部誌を書き終えた頃、名前は教科書やらルーズリーフやらをすでに片付け終えていて、お互い何も言わないけれどこのまま一緒に帰る流れなんだろうと当たり前のように思った。私もさっさと片付けてしまわなければとてきぱきシャープペンを片づけながら、そうだ、と名前のほうを向く。

「帰りどっかいく?」

部活に加えて部誌当番だったこともあって普段なら絶対にしない、というかできない寄り道も名前が一緒なら疲れも忘れて楽しめる。そう思ってのお誘いに名前もぱっと顔を輝かせたので、つられて私も頬が緩むのを感じた。そして名前が恐らく同意を示そうとした、そのときだった。

名前が手に持っていたスマホから無機質な音が響く。反射的に視線をスマホにおとした。合意の返事がまだ聞けていないのだけれど、名前は指で画面をスライドしはじめたので私は黙って荷物整理に戻る。そうして少ししたあとに、彼女は画面を見つめたまま目を見開いてぱっと窓の外を見た。なんだなんだと視線を追うも正門が見えるのみで私にはなにがなんだかよく分からない。「名前どした?」声をかけて、やっとこちらを向いた名前の顔は、普段の学校生活ではあまり見ることのないくらい柔らかい表情を浮かべていて、

「せっかくだけど、ごめんね。幼なじみが近くまで来てるの」

ああ、そうだ、これは名前が幼なじみに向ける顔だ。
名前はその幼なじみと帰宅するのだろう。それは端から聞いていれば誰でも分かることだけれど、名前がどれだけその幼なじみとの時間を大切にしているかはきっと少し長い時間を共にしないと分からない。けれどまぁ、相手が幼なじみなら仕方ない。
名前とは普段もあまり遊んだりできないから残念だなと思いながら、「じゃあまた今度ね!」と言えば「うん、約束」と言って鞄を肩にかけた。
それから教室の電気を消して、名前の「冷房消すよー?」の声に返事をしたあと私もエナメルを肩にかける。二人で階段を降りていって、昇降口脇にある職員室で顧問に部誌を渡した際に完全下校が近いから早めに帰るようにと言われ、小走りでロッカーに向かうとすでに履き替えたらしい名前がロッカーに背中を預けて立っていた。

「あれ、先に帰ってもよかったのに。幼なじみ待ってるんでしょ?」

「でも、せっかくだからそこまで一緒に帰りたいなって思って」

そこまで、とは正門をくぐった学校前のことなのだけれど、ちらりとそちらを見れば遠目だが人影が見えた。
「あ」思わず漏らしてしまった声に、名前が「どうかした?」と首を傾げる。

「んーん、なんでもない。じゃ、そこまで帰ろ!」

完全下校も近いしねと二人で正門に向かって歩き出したのは、すでに7時を回っていたと思う。夏なのでまだ真っ暗だというわけではないが、昼間に比べたら圧倒的に暗いし、この辺の道は特に人通りが少なくなる。そんな中で名前の話を半分聞き流してしまったけれど、私の目はまっすぐ彼女の幼なじみの姿をとらえていた。
名前があれだけ楽しそうに話したり、大切そうに笑ったりする相手がどんな人なのか単に気になっていたのだと思う。
そして、正門近くまで来たとき、私は目を見開いた。

「おせーよ、名前」

低い声。黒髪の短髪。するどい目つき。そんでもって、すごく背が高い。
「待たせてごめんね、飛雄」名前が口では謝っているのにどこか嬉しそうに、あの特別な表情を浮かべた相手は、どこからどう見ても男の子だった。

「じゃあ、またね」

「……あっ、うん、また!」

真っ黒なジャージのポケットに手を突っ込んで立っていたその幼なじみは、名前が私に手を振って彼の元に歩いていったあと、そのするどい目で私をとらえてから軽く会釈した。私も慌てて頭をさげれば、彼はすぐに名前に向き直ってポケットから手を出したと思ったら、彼女の鞄を半ば奪いとるような形で手にした。その行動に名前は「ありがと」といつもの声音で、それでも嬉しそうにお礼を言っているのが聞こえる。
私はそんな二人に背を向けて歩きだしたのだけれど、ここらが田舎で閑静ということもあって二人の会話は丸聞こえだ。

「この辺はあぶねぇんだから、遅くなるときは迎えにいくって言っただろ。おばさんに頼まれるまで俺知らなかったし、一人で帰るつもりだったのかよ」

「だって、飛雄は部活大変だし、疲れてるのに来させるのは悪いかなって」

「…名前に、何かあるほうが嫌だ」

「飛雄、」

「……つぎはちゃんと呼べよ」

「…うん、ありがとう」

あぁなんて、素敵な幼なじみなんだろう。
これは名前が好きになるはずだわ。
ちらり、と会話に耳を傾けながら後ろを振り返れば、遠目だけれど間違いない。二人ともぴったり寄り添って歩いているくせに顔はお互い下を向いていたりそっぽを向いていたり。けれど二人して耳まで赤くなっているところはお揃いで、思わず小さく笑ってしまう。そんな二人を背に、私も前を向きなおす。

「あーあ、私も彼氏ほしーなー」

少し大きめの声が住宅街に響く。
夏も終盤にさしかかったいま、あちらこちらで鳴く虫の声を聞きながら、足元の小石を大きく蹴った。