小学校のときってさ、足速い人ってやたらとモテるよね。その言葉は私の中で凰壮も足速かったよね、に変換されるけど口に出したのは前半の言葉だけにとどめた。それを聞いていた凰壮は軽くストレッチしながら「あぁ、そうだな」と聞いているのかよく分からない返事を返す。


「かっこいいよねー、足速い人って」


「女子がやたらとうるせぇだけだろ」


「凰壮ってば分かってないなー」


自分のクラスの男の子がぶっちぎりの1位だったときの高揚感とか、2、3人を軽く追い抜いて次の人に楽させてあげるのとか、正直今でもかっこいいなあと思うし、大抵の女の子はそういうスポーツができる男の子に惹かれるのだ。勉強が多少できなくったって、全くスポーツ神経のないガリ勉よりはおバカなスポーツマンのほうがいいに決まっている。両方できればそれですごいけど、そんなに優れた人間は生まれてこのかた、たったの3人しか会ったことがない。まあそのうちの1人は、他の2人に比べて飛び抜けて頭がいいのだけれど。


「あ、竜持2位だ」


「でもそんなに差ねぇだろ」


「相手、陸上部の子だよ。この間の大会出たんだって」


「ふうん」


「…なに、興味ない?」


「べつに。てか、俺と走るのその大会で優勝したやつなんだけど」


「え!あ!ほんとだ!」


青のはちまきをしていた竜持が係りの子に大きく2位と書かれた旗の前に並ぶ列に連れていかれる。隣には1位の列があるのだけど、自分から1位をとった陸上部の子を一瞬ちらりと見て眉間に皺を寄せて、その後何食わぬ顔でその場に座った。ここから見ていても分かる。竜持は文化部なのだから、なにもそこまで気にしなくてもいいのに。
そして同じく運動部ではあるけれどそういった走ることを専門としていない部に入っている凰壮も、そんなに気合い入れなくていいのに。相手はその分野に長けている選手なのだから、負けてしまっても仕方ないことだ。少なくとも私はそう思うのだが、どうもこの三つ子は揃いも揃って負けず嫌いしかいないらしい。長男だけだと思っていたそれは、しっかりと受け継がれていたみたい。


『これより最終レースを始めます。走者の人はスタート位置についてください。』


竜持の並んでいた2位の列が定番の音楽と拍手と共に退場する。続いて校庭中に響く声に今の今までストレッチをしていた凰壮が腰を上げて、レーンに入る。


「あ、普通にかっこいい」


「なにが?」


「ほら、大会で優勝した子。かっこよくない?」


「あー」


私の声にくるりと振り向いた凰壮に、「あの子」と指をさす。私たちのちょっと離れたところでいかにも運動のできそうな感じの男の子がみんなの注目とその子と同じ緑色のはちまきを巻いた子達の歓声と期待を背負って、ついでにちらりとこちらを見てレーンに入った。半袖をさらに肩までまくり上げていて、陸上選手とは思えない白い肌と緑のそれが対比している。


「てかさあ、」


聞こえた声に今度は私が振り向いた。ポケットに入れていた手を抜いて、今度は頭の後ろで組む。凰壮の頭で白のはちまきが風に揺られていて、ふと思った。
凰壮だって最終レーンを走る走者なんだ。柔道部にしても運動はできるほうだし、負けたなら仕方ないといいつつも私だって少なからず期待してしまっているのだ。同じ白の団の子達もきっと、同じだと思う。
私をじっと見たまま何も言わない凰壮を促すようにして「なに?」と聞き返すも、やっぱり何も言ってくれない。私を見ているはずなのにどこを見ているのかわからない。その瞳がゆっくりとこちらを向いたのはそれから数秒後のことだった。


「俺のほうが、かっこよくね?」


「……は、」





「降矢、早くレーン入れよなー」


「おーわりぃ、今行くわ」


「…え、あ、ちょ、凰壮!」


わけがわからないまま、例の大会で優勝した子に呼ばれて凰壮はレーンに入ってしまった。かっこいいって、どういうこと、なの。見た目がってこと?勉強もスポーツも両方できるってこと?それとも、


「降矢先輩頑張ってーーー!」


「きゃああっ!抜いた!あ、また抜いたよ!!」


「すごいね!かっこいい!」


すぐ隣で白いはちまきを巻いた女の子たちが身を乗り出すようにして大きく手を振った。それにはっとなって慌ててレーンを見る。陸上部の子が一位。次いで凰壮が二位。だけどその差は大きく開かれていて、そう簡単には縮まらないように思える。走者と見ている側では同じ差の感じ方も違うわけだし、なによりあの距離は大きい。今年は竜持も凰壮も二位かあなんて目を伏せた、そのときだった。

ひときわ大きな歓声が辺りを包んだ。


「あ」


私の小さな呟きなんてあっという間にかきけされて、続いて一位がゴールするときに鳴る発砲音とゴールテープが宙を舞った。僅差で一位を勝ち取ったのは、凰壮だった。
隣でうさぎみたいにぴょんぴょん跳ねて高揚感をおさえきれないといった様子の同学年や後輩たちが、抱き合ったり凰壮の名前やよくわからない歓声を上げて喜びを全身で表している。だけど私は、何故かその輪の中に入っていけなかったのだ。凰壮の一位が嬉しくないわけじゃない。むしろ嬉しい。負けてしまっても仕方がないと思っていたのに、凰壮はそれすらも壊したのだから。離れたところで竜持がよくやってくれましたと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべているし、凰壮が一位でゴールしたのが夢でした、なんてオチはもちろんない。


「名前」


今まで歓声のど真ん中にいた凰壮がいつの間にかこちらに歩み寄ってくる。すぐ後ろで最後の最後で凰壮に抜かれてしまった大会の子が悔しそうに拳を握りしめてグラウンドの砂を蹴っているのが見えた。そんな様子を知らずか気づかない振りをしているだけなのか、凰壮は両手をポケットに入れて嬉しそうににやにやしている。(すくなくとも私にはそう見えた。)
なに余裕こいでんだ空気読めバカ壮、くらいの憎まれ口を叩くつもりでいたのに、だんだんと近づいてくるその姿を見たら何も言えなくなる。
静かに、よく目を凝らさないとわからないくらいの小さな動きで、凰壮は肩は上下していたのだ。相変わらず嫌な笑い方をしているけど、その額にはうっすらと汗を浮かべているのこともわかった。余裕なんかじゃ、ないよね。相手は大会で優勝しているんだから余裕なわけがないんだ。凰壮は、あの滅多に本気にならない凰壮は、必死だった。必死に走って必死に手を伸ばして、どんなに距離が開いていようとも足掻いて前に進んで。一歩を踏み出す度につらい思いをしたかもしれない。もう走りたくないと泣いてしまいそうだったかもしれない。だけどそれでも、それでも凰壮はテープを切った。そんな凰壮は、きっと、


「で?どうだった?」


「……うん、そうだね、」


凰壮のほうが、かっこいいかなあ。


そう溢した私の言葉を聞いて満足したのか、凰壮は「だろ?」とずいぶん上から目線で、今度は少し照れたように笑った。


――――――――――――――


体育祭優勝記念。