ふわりと鼻を掠める香りに意識が浮上する。今日は土曜日で、昨日はレポートやらを片付けたあとに疲れて寝ちゃったんだといまだにだるい体を起こそうとするけど、それはならなかった。え、なにと慌てる私の傍らに、もぞもぞと動く頭があった。

「……おう、ぞ?」

「んー…」

幼馴染みなんて綺麗な響きは凰壮には似合わない。虎太や竜持はともかく、凰壮とは幼稚園から中学校を軽く飛び越えて高校まで同じクラス、または同じグループが続いた。これはもう誰かの陰謀なんじゃないかと思いはじめたのは、凰壮と高校が同じということに気づいたあたりである。それまで気にもとめなかった何をするにも一緒という歴史に、区切りはつくのか。はたまた永遠と続いていくのか、私には分からなかった。

「名前…?」

「おはよ、凰壮。いい加減高校生にもなって布団に潜るのやめてよね。」

「おー…」

まだ寝惚けているのか、凰壮は目をこすって体を起こす。だけどすぐにまた横になって、今度は腹部に抱きついてきた。

「ねぇ凰壮ってば、」

「あとちょっと」

「私もう起きるから」

「まだ寝てればいいじゃねぇか。昨日遅かったんだろ?」

「そうだけど……って、なんで知ってるの」

昨日一緒に帰ってないよね。と聞けば、俺が寝るときに部屋の電気ついてたからと返される。よく見てるなと思ったところで、そういえばいつもこんなだったなと色んなものが溢れてきた。
たとえば何においても優秀であった三つ子に比べられて、女の子たちに幼馴染みやめろとか上履き隠されたりとか嫌がらせを受けていたのに気づいたのも、凰壮が最初だった。虎太も竜持も気づかなかったのになんで、とは言わなかった。凰壮はどこかで私とつながっていて、悲しい気持ちから嬉しい気持ちまで、全てを共有することができるのではないかと思ったからだ。今思えばそんなことはありえないはずなのに、当時はそれほどまでに感動し、優しく握られる手から伝わる温かさに声を上げて泣いた。
私が告白されたときも、はじめに気づいたのはやはり凰壮であった。一生懸命に愛を伝える男の子に応えることはできないけれど、それでも振ってしまいたくないと思った。ただ単に偽善であった。それは私がいい人を演じていたいから。なんて残酷な行為、と自分を戒める。何日も悩んで、時間が空くほど断りづらくなって、もう付き合ってしまおうかと思っていたところに凰壮の登場。「そんなことしても、誰も幸せにならないんじゃねぇの。」そう言われてはっと目が覚めた。私はまた、残酷なことをしようとしていた。ありがとうと小さくお礼を言って、私は男の子を振った。時間を空けてごめんなさい。期待させるようなことをしてごめんなさい。自分勝手な理由で振り回して、ごめんなさい。謝りつづけた私に男の子は優しく笑んで、降矢と幸せになってくださいと言った。はじめて私は、凰壮が好きなのだと分かった。いつでも助けてくれたのは凰壮だった。弱い私を守りつづけていたのは、凰壮だったのだ。あまりに近すぎて、なんてことは言わない。ただ私が凰壮を見ようとしていなかっただけ。

「凰壮、」

「なに」

「好きだよ」

ぽかんと驚いた顔に少し優越感がわいた。凰壮が驚くのって珍しいし、これはしっかりと目に焼き付けておくべきだ。
だけどにやにやといやらしい笑みを浮かべる私をよそに、凰壮は口元に手を当てて呟く。

「…なんで先に言うんだよ…」

え?と返した私の口に、柔らかいものがあたった。すぐ目の前で凰壮が欠伸をかきながらベッドを降りて、大きく伸びをする。

「え、え?」

「つながってんだろ、俺らは。」

「つな、が?え?」

「だから、言わなくても分かってるよ」

てか、言うんだったら俺からだろ。そう小さくこぼした彼にとてつもない愛しさを覚えた。
小さい頃に、感情の全てを共有する子供とは私たちのことではないかと凰壮に話したことがあった。心の奥底で繋がっている私たちには、言葉など必要ない。感情を共有することは、互いのことを理解しつくしているということ。私たちにぴったりね、なんて話したくだらない子供の妄想を、凰壮は覚えていたというのだろうか。
なんだか無性に嬉しくなってその背中に抱きつけば、よろけながらも私を体を抱きとめてくれた。

「好き、」

「俺は物心ついたときから好きなんだけど」

「まじか」

なのに私は男の子に気づかされたなんて、と落ち込む私に首を傾げて、凰壮のきれいな指が私の口元をなぞる。

「でもまぁ、名前の好きはずっと聞こえてたしな」

何年も前から、ずっと。
ああ私は、自分の気持ちさえも凰壮に見抜かれていたんだ。秘密にしていたはずの想いも全部、共有していたんだね。今度は私が、凰壮を見ているからね。
ぎゅっと握られた手は、あの日と同じように温かかった。