それは今から10年前、桜のつぼみが開く前の3月のことだった。手元にある枯れた花は、卒業式にコサージュとしてつけていたもの。コサージュに生花を使用するなんて、と思ったのをよく覚えている。水に差しても、コサージュにしてしまえばもう生きられない。数時間しかない命を与えられて、花たちもかわいそうに。私たちの卒業のために死んでしまった花が、なんだか報われない気がしてならなかった。
だけど監督は言った。限りある命だからこそ素晴らしく輝くのだと。私たちの卒業とこれからの未来のために、彼らは自ら首を差し出したのだと。
花が自分から死を望むなんてありえないですよ。そう言って笑った私に、監督、もとい久遠監督は再び言うのだ。

「残りの時間を君たちの胸で過ごすように、先生方が頼み込んだのかもしれない」

ど、どうしたんですか監督!そんなこと言って…!
あの監督が、鬼のように怖くて、それと同じくらい優しくてクールな監督がちょっと中二くさいことを言った。らしくない。監督が泣いていると、みんなも悲しそうに笑うんだ。視界の端で秋や夏未がぼろぼろと涙を溢す。そっか、二人とも円堂とは違う学校か。春奈もあんなに泣いちゃって。あ、風丸も泣いてる。珍しいなあ。鬼道の答辞、感動ものだったもんね。

「名前、」

ふと同じクラス委員だった鬼道が、こちらに手を伸ばした。

「今までありがとう」

「こっちこそ、本当にありがとう」

鬼道は泣かないタイプだと思ってたけど、そうでもないみたい。ゴーグルを外した鬼道の瞳に溢れんばかりの涙がたまっている。鬼道の素顔なんて、私でも何回かしか見たことない。握った手はすごく温かくて、私の中で何かが込み上げてきた。

「名字、泣いてるのか」

いつの間にか鬼道は円堂たちのところへ行っていて、目の前にいたのは豪炎寺くんだった。たしかスカウトを受けて、県外の学校に行くことになったんだよね。だからなのか、豪炎寺くんの制服のボタンは全てなくなっていた。中々会えなくなるし、最後のチャンスだもんね。同級生や後輩にあげたのかな。私もちょっと、欲しかった、かも。
あんまりにも私がボタンのない制服を見つめるもんだから、豪炎寺くんは「あぁ、」とそれに気づいたように話しはじめた。

「欲しいとせがまれてな。さっき最後のを持ってかれた」

「そっか。豪炎寺くん人気だもんね。…あ、制服の袖ボタンまでなくなってる!私そこ狙ってたのになー」

「……名字」

いつもより少しだけ低い落ち着いた声が、私の名を呼ぶ。それから手を出すようにと言われてそうすれば、手のひらにコロンと何かが転がった。

「え、」

「………第二」

ぼそりと呟かれた声に顔が赤くなる。手中にあるのはボタン、それも第二らしい。なんで、とか。私は制服の袖ボタンでいいのに、とか。言いたいことはたくさんあるはずなのに上手く出てこなくて、それでも何か伝えねばと自身の制服のリボンをほどいて差し出した。

「あげ、る!リボン!」

「……あぁ、ありがとう」

なんでそんなに悲しそうに笑うの。なんで泣きそうになってるの。溜めていた涙が溢れて、地面に落ちた。周りの音なんて聞こえない。こんなにつらい思いをするなら、早く言えばよかった。こんな関係のまま終わらせたくなかった。泣き崩れる私に、彼は「ごめん、」と一言だけを溢していった。





死期が近いわけではないのに、まるで走馬灯のようにあの日の出来事が思い出された。手元にある枯れたコサージュと、第二のボタン。家にあるリボンのない制服。
そして、黙って私の話を聞くみんな。

「それで、その人とは…?」

「んー、時々連絡する程度かな」

「そっそんな話卒業式前日にしないでくださいよお!縁起悪い!」

「狩屋っ!」

「あはは、いいの。だって本当のことだし」

あれから10年後の春。今度は桜が満開の日。明日、三年生が卒業する。三年生と部活のできる最後の日となった今日、休憩の合間に天馬くんたちが私の元へ話を聞きにきた。そしてはじめて、あの日のことを人に話した。毎年春がくる度に思い出していた10年前の卒業式。その想いが色褪せることはない。今でもきっと、私は豪炎寺くんが好き。豪炎寺くんの名前は出していなかったけど、葵ちゃんは女の子としてそのつらさが分かってくれたみたい。悲しそうな顔をしている。

「練習始めるぞ!」

神童くんの声がグランドに響く。「ほら、練習行かないと!葵ちゃんも、ドリンクの準備!」みんなの背中を押して、半ば強引にそれぞれの場所に送り出す。
見た目は変わってしまったけど、私もここで生活を送っていたんだ。この地を踏み締めて、生きていたんだ。思い出したら泣きそうになってしまった。

「(…豪炎寺くん…)」

自惚れなんかじゃないけど、きっと彼も私を好きでいてくれた。
私からでも彼からでも、言い出せば何かが変わっていたのかもしれない。ほんと、早く好きだって言っちゃえばよかった。

「…っ、好きだよ、豪炎寺くん…」

雷門のみんなの卒業式が私みたいに悲しい思い出になりませんよう。幸せがみんなのために咲き誇りますよう。
一人グランドを見ながら、私は静かに涙を溢した。