昔から男性に接することが苦手だった。目を合わせて話すことや近くにいられることが慣れなくて常に距離を保って学校生活を送っていた。そのためかクラスでは浮いた存在になりつつあり、演技ではないかなどという噂が学校中に流れては泣きそうになるのをこらえた。
そんな私を心配してか、お兄ちゃんは私と自分の男友達をよく会わせるようになった。そんなことで慣れはしないと思っていたが、無理矢理ともいえる荒治療に効果が出はじめたのだ。例えば、同級生の男子と話せるようになったり、少しなら近づいても大丈夫になったり。目は数十秒しか合わせられないという残念なおまけつきだが、最初に比べればずいぶん進歩したものだと褒めてもらいたい。

「ねぇ名前ちゃーん」

「ひっ…!」

「十束、あんまり名前いじめなさんなや」

だから、最近その進歩を疑いたくなるようなことばかりする十束さんには本当に困っている。はじめて会ったときからやたらと近づいてきたり、触ってきたり。泣きながらお兄ちゃんに通報する私を見て笑うみんなもどうかしている。

「お、お兄ちゃん!」

「心配すんな。十束も悪気あってやっとるわけやないんや」

「草薙さん優しいー」

「うっさいわ」

カウンターを挟んだ向こう側でお兄ちゃんがにこやかに言うけど、隣にいる十束さんは私をからかうことをやめようとはしない。あああもう、また肩に手置いたりして…!

「十束さん、名字嫌がってますよ」

肩に乗せられていた腕がどかされ、立ちっぱなしだった鳥肌がだんだんと引いていく。ありがたい話、いつも十束さんから助けてくれるのは八田くんだ。今も十束さんの腕を肩からどけてくれたのだが、

「あ、ありがとう八田くん……だけど、ははは背後には立たないで…」

「うおっわりぃ!」

ばっと横にずれてくれた八田くんに申し訳なさを感じながらも、仕方ないと思ってしまう自分もいる。十束さんにもうひとつ奥にずれてもらうように頼んでから、出されたジュースを飲む。十束さんとは反対側に一つ席を空けて八田くんが座ったのを視界の端でとらえた。

「八田、くん。さっきは本当にありがとうね」

「お、おう。どどどっどうってことねぇよ」

どもりながらも返してくれるが、決してこちらを見ようとしない八田くん。八田くんに会う前はお兄ちゃんから、女性は丁寧に扱う優しい子なんて聞いていたから女の子馴れしている子なんだとばかり思っていた。けれど実際に会って話してみると、彼もまた私と同じく異性に上手く接せないようで。それでも、すごく純粋でうぶな子なんだと分かったときは私とは違ってすごくいい子だなと羨ましく思ったのをよく覚えている。

「名字は、さ」

「う、うん」

「俺と話してて楽しい、か…?」

「え、えぇ!?」

「ななななんだよ…!」

「八田くんがそんなこと言うとは思わなくて…」

「べっべつにいいだろ、そんくらい!」

「そ、そうだね、ごめんね…!」

「…で、どうなんだよ」

「すっすきだよ!八田くんと話すの!」

「ばっ…!すすすすきとか簡単に言うなよな!」

「あ、ご、ごめん!」

「お前らいい加減目ぇ見て話せや」

「は!?」

「おっお兄ちゃん!?」

お兄ちゃんの声に八田くんと同時に声を上げる。たしかに二人してお兄ちゃんのほうを見ながら話していたけどとその顔を見れば、まるでおもしろくないといった表情を浮かべていた。

「さっきから二人して顔真っ赤にしよって……いい加減お互いの顔見て話さんかい!」

「っ、きゃ…」

突然くるりとイスの向きが回転し、視界がお兄ちゃんから八田くんに切り替わる。カウンター側から伸びてきた腕がイスを回転させたのだと気づいたときには、八田くんの顔は真っ赤になっていた。

「あ、え、えっと…」

「はい顔そらさない」

いつの間にか近くにいた十束さんが私の顔を再び八田くんに向けた。彼もまたお兄ちゃんから私と同じようなことをされたらしく、おずおずとこちらを見てくる。
私と彼のイスがお兄ちゃんに向かい合わせにされたことは分かった。向き合ってるどころか目まで合っている。そんな状態に体温が急上昇し、うまく言葉が出てこない。

「……名字、」

「わっ…!は、はい!」

名前を呼ばれるのと同時に両手に温かい感触を感じる。異性に、しかも八田くんに両手を握られたのだと気づきさらに体温が上がった。

「…八田くん…」

胸が締めつけられたように痛くなる。しかし重い痛みではなく、痺れるような甘い痛み。感じたことのないそれに戸惑いながらも彼の両手を握り返せば、それに比例するように八田くんの込める力が強くなった。

「っ、名字、俺…!」

「う、うん」

「えと、その…」

「……み、」

「俺……って、み?」

「みみ、みみみみさ、みさ、き、く……ん!」

「う、お、おう!」

「み、さきくん!あのね!」

ぎゅうぎゅうとお互いに力を込めているはずなのに、何故か痛くなくて。異性が苦手なせいで長時間話したことはないから、なんだかふわふわする気持ちを総称することはできないけど、それでも何か伝えたいと身を乗り出せば突然視界が真っ暗になった。

「はいそこまでー」

「八田も名前ちゃんもこれ以上くっついたら、ちゅーしちゃうよ?」

「ちゅ、ちゅー…!?」

十束さんの言葉に鈍器で殴られたかのような衝撃が走る。八田くんも驚いたのか、それまで握りあっていた手がぱっと離された。と同時に視界を覆っていた手がどき、視界が開ける。すると先程よりも距離をとった八田くんが目に入った。

「その……わりぃ、名字…」

「わ、私こそ……ごめんね、八田くん…」

「なんやこの空気」

「まるで俺たちが邪魔したみたいだね」

「そんなつもりは…!」

「あったでしょ?八田のこと名前で呼んでたし」

「そ、それは…」

「八田も嬉しかったよね?」

「………っす」

照れくさそうに、だけどしっかりとこちらを見て言うもんだから、せっかく引いてきた頬の火照りが再び戻ってきてしまった。何かを確かめるように小さく「美咲くん」と呟けば彼もまた顔を赤くさせて「おう、」と返事をした。

「やーい八田ってば顔赤ーい」

「十束さん!」

「赤いっすね」

「鎌本てめぇ!!」

今までのことをからかわれたらしく、何人かを追っかけていく八田くんを見送ってから私はカウンターに向き合う。つがれたジュースを一気に飲みほせば、にやにやと笑うお兄ちゃんと目が合った。

「………なに、お兄ちゃん」

「いや?名前もついにお兄ちゃん離れかと思てな」

「そんなことないよ。まだまだお世話になります。」

「これからは八田ちゃんに頼むとええわ」

「八田くんに?なんで?」

「なんでって、好きなんやろ?八田ちゃんのこと」

好き?男性が苦手な私が、八田くんを好き?
たしかに異性を好きになるのは自然なことだけれど、まさか私がそうなるなんて。そう思いながらもいまだに取っ組み合いを続ける彼を見れば、ちくりと胸が痛んだ。

「好き、なのかなぁ…」

「あっちも自覚してるやろうから。まぁ、お互い頑張りや」

くしゃりと頭を撫でてお兄ちゃんは奥に行く。なんだかよく分からなくて「うー」やら「あー」やら唸っていると、心配してくれた坂東さんに驚いてイスから落ちそうになってしまい、やはり男性が苦手なのは変わらないのだと、騒がしい一室で一人苦笑いをこぼした。


(甘美たる二人の純情)


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恐怖症とまではいかないけど男性が苦手な草薙妹が八田くんとかわいい恋をする。そこにまさかのアンナちゃん乱入。っていう話が書きたいです。