「いや〜…いい気持ちだなァ……」
「ホントだなあ…」
ゆっくりと降下していくメリー号。空中浮遊に気を良くしたルフィやウソップは甲板にゴロリと寝転んでいる。確かに、彼らの言う通りとても気持ちいい。目を閉じて、柔らかく吹く風を感じていると、不意に頭にずきりと痛みが走る。「いっ…」と顔をゆがめた私に気づいたチョッパーが「大丈夫か?」と駆け寄ってきたことで、みんなの視線がこちらへ。
「痛み止めの効果が切れたのかもな…昼飯たべたら、また薬飲もう」
『うん…ありがとう、チョッパー、』
「あとで肩の傷も確認するからな」
チョッパーの丁寧な治療によって、無事に回復しつつある身体。けれど、この世界の皆に比べると、やはり治りが遅いらしく、チョッパーは人一倍気にかけてくれているようだ。
チョッパーの声を聞いたナミやサンジさんが心配そうに見つめてくる。「傷が痛むなら中で休んでたら?」と提案してくれたナミに、緩く首を振ると、サンジさんが困ったように眉を下げる。
『今、中に入るのはもったいない気がして…この景色を見ておきたくて…』
「…なるほどね」
仕方ないというように息を吐いて笑ったナミ。そんな彼女と目を合わせて微笑めば、甲板に寝転んでいたルフィがいつの間にか目の前へ。じっと見つめてくる彼にどうしたのだろうと首を傾げると、やけに真剣な顔をしたルフィがゆっくりと唇を動かした。
「次は絶対、約束守ってみせるからな」
『やく…そく……?』
「おう!」
ルフィとの約束。
黄金を見せてくれるというものはすでに叶えてもらったし、ジャヤで交わした、怪我をせずに戻ってくるというものも守ってくれた。あと、彼としていた約束といえば、
“名前のことは、俺が守ってみせるから”
『…あ…』
不意に浮かんだルフィの言葉。
そうだ。確かにルフィはそう言っていた。
神官に襲われ、傷ついた私に、彼はそう“約束”してくれたのだ。けれど、今回またエネルによって怪我をしてしまった私。つまりルフィは、“約束”を守れなかったとそう思っているのだ。だから、次は守ると、そう言ってくれている。
でも、次だなんて、そんなのいつになるか分からない。空島での冒険には連いてきてしまったけれど、これが最初で最後の、彼らとの“冒険”だ。おそらく、もうルフィに守ってもらわなければならない場面に出くわすこともない。
そう伝えようとしたのだけれど、ルフィから向けられる視線があまりに真剣で、思わず口ごもってしまう。曖昧に笑って「…ありがとう」と言えば、にっと笑った彼はまた甲板に寝転がっているウソップの元へ。何だかまた流されてしまった気がする。ふぅっと息を吐いて船縁から降下していく景色を眺めていると、「…少し、いいかしら?」とロビンさんが隣へ。
『?どうかしましたか??』
「…あなたに、聞きたいことがあるの」
『私に…?』
一体なんだろう。パチパチと瞬きをして彼女を見つめると、すっと目を細めたロビンさんが“聞きたいこと”を口にした瞬間、ひゅっと息を飲んだ。
「…あなたの国は、一体、どの海にあるの?」
『え……』
何かを探るような問い掛けに目が見開く。なんだなんだ?と皆の視線が集まるのを感じながら、一歩後ずさると、小さく零れた声とともに薄く開いた唇。震えたそれを隠すように下唇を噛み締め、揺れる瞳でロビンさん見上げると、ロビンさんは視線を白い景色へと移す。
「グランドライン?イーストブルー?ノースブルー?サウスブルー?ウエストブルー?」
外を見つめながら投げ掛けられる単語は、聞いたことの無いものばかり。唯一聞き覚えのある“グランドライン”も、サボさんとの会話で一瞬出た限り、それがどこの何を指すものなのかは分かっていない。
答えあぐねる私に、更にロビンさんは声を続ける。
「以前あなたは、コックさんに、“自分の国には海賊はいない”と言っていたけれど、今のこのご時世でそんな国はほとんどないわ。…いえ、探せばあるのかもしれないけれど…それでも、この世界では、“海賊”がいることは“当たり前”のこと。でも、あなたはまるで
“海賊”がいないことが当たり前のように言っていた。なぜ?」
『そ、れは……私の国には、海賊が、来ない…からで…』
「では、どうしたあなたは、時折、この海のことを、“この世界”と表現するのかしら?」
『っ…』
「ロビン??一体何を…?」
鋭い彼女の指摘に自分の発言を呪う。
一体何を言っているのか、と他のみんなが首をかしげているけれど、ロビンさんは言葉を途切らせない。
「“この世界”と言うあなたの言葉は、まるで、“この世界”ではない“世界”を知っているよう」
「…この世界ではない世界…?」
「おいおい、ロビンさっきから一体何言ってんだ?」
ロビンさんの声にナミとウソップが怪訝そうに顔を見合わせている。ゆっくりと一度瞬きを落としたロビンさんは、そんな二人へと視線を向けると、向けられる視線の真剣さに、二人だけではなく、他のみんなも息を呑んだ。
「…“異海の巫女”」
『っ!!!』
「いかいの、みこ…?」
「ええ、聞いたことはない?この世界とは別の世界から現れる人間のことよ」
「…そりゃ、話には聞いたことくらいあるけど…それは伝説上の、作り話の中の人物で、」
「伝説ではなく、本当に実在していたとしたら?」
何を言っているんだとばかり発せられたナミの声。それ遮るようにロビンさんが口を開くと、「どういう意味だ???」とチョッパーが困惑した様子で首を傾げる。
「伝説と言うのは、過去の出来事の言い伝えでもある。つまり、実際に過去に“異海の巫女”が実在していたのだとしたら、“別の世界”があると言われていることも納得出来るわ」
「…ちょっと待ってくれロビンちゃん。実際にその伝説が本当だったとして、それが一体俺たちにどういう関係が…」
「…全く別の世界から現れるという“異海の巫女”。もし、今この世界に異海の巫女が来たとしたら、その子はきっと、“この世界”のことをあまりよく知らない。そう、例えば、この大海賊時代で、
海賊というものが、どんなものなのかも」
ロビンさんの視線が再び私に戻ってくる。彼女に吊られるように、向けられるみんなの視線が痛い。
だめだ、もうこれ以上は隠しきれない。
ロビンさんは、気づいている。
私が、“この世界”の人間ではないことに。
俯いていた顔をゆっくりとあげる。状況があまりよく分かっていないのか、ポカンとしているルフィと目を合わせると、勢いよく頭を下げた私に、「ちょ、名前…!?」とナミが戸惑った声を上げた。
『ごめんなさいっ……』
「な…どうしたのよ…なんで急に謝って、」
『私、みんなに、嘘をついていたから…』
「…どういうことだ?」
低く発せられた声に下げていた頭を上げ、声の主をみると、眉根を寄せたゾロさんが切れ長の瞳を更に細めている。怪しむようなその目に耐えきれず、 再び顔を俯かせれば、ロビンさんの手がやんわりと私の背中に触れた。
「…聞かせてくれない?あなたの、“本当の帰る場所”のことを、」
ロビンさんの言葉に小さく小さく頷き返した。
『…最初に皆に話した時、二重に攫われたのかもって話をしたけれど…あれは、嘘なの』
「嘘?」
『…うん、みんなが見つけてくれた船に居たのは、本当に攫われたからなんだけど…その前に攫われたって言うのは、違うの。本当は、私は、』
言葉が、一瞬途切れる。
その時ふと頭を過ぎったのは、サボさんの顔。
ごめんなさい、サボさん。
私、隠すのが、下手だったみたいです。
『別の世界から、来たの』
メリー号には珍しい、沈黙が流れる。
別の世界、だなんて、そんな馬鹿げた話があるかとそう思われているのだろう。でも、ここでこれ以上誤魔化そうとした所で、いつか絶対にボロが出る。どんなに嘘に嘘を重ねて隠そうとしても、それが本当になることは無い。だから、私が“別の世界”から来たという事実がなくなることは決してないのだ。
だったら今ここで話してしまった方がずっといい。
お前は嘘つきだと言われて、突き放される事になったとしても、嘘をついたままよりもきっとマシだ。
視線を下へと下ろしたまま、じっと皆の反応を待っていると、今まで黙って話を聞いていたルフィが私の目の前へ。船長からの下船宣告を覚悟し、ゆっくりと顔を上げ、ルフィと目を合わせたその瞬間、
「すっげェ〜〜〜〜〜なァ〜〜〜!!!!」
『…………え……?』
「別世界から来たなんて、名前!お前スゲェやつだったんだな!!不思議人間か!!?」
目を輝かせて、うほー!と声を弾ませるルフィ。
ちょっと待って。なにこの反応。私は、てっきり、もっと、こう、シリアスな展開がまっているのかと。
ポカンとしたマヌケ顔でルフィを見つめていると、「別の世界ってどんなとこなんだ??」「さぁな。コイツが居たってことは、アホみてえに平和なとこなんだろ」「たしかに」と、他のみんなから返ってくる反応も想像していたものとは別の、真逆ともいえるもの。どうして、と呆気に取られて固まる私に、くすくすと笑ったロビンさんが優しく目を細める。
「…まあ、彼らはそうよね。こういう反応よね、」
『…いや、あの…私はてっきり……怒らせたとばかり…』
「はあ?なんでよ?」
『だって、嘘をついていたわけだし、それに………信じえ貰えるなんて、思ってなかったから…』
はしゃいでいたルフィ達の声がピタリととまる。
だって思うわけない。別の世界から来たなんて、そんな突拍子もないふざけた話を、
こんなに簡単に信じてくれるなんて。
鼻の奥がツンとする。熱くなった目頭から、ポロポロと涙が零れてくる。なんでだろう。嬉しいのに、涙が止まらない。次から次に溢れてくる涙を隠すように手で顔を覆うと、「名前…」と労わるように私の名前を呼んだナミに背中を撫でられる。
「…馬鹿だなあ、名前は」
『っ…るふぃ……』
「俺たちがお前のことを疑うわけねえだろ?そんなことも分かんねえなんて、やっぱり名前は馬鹿だな」
にっと笑って言われたセリフがいつかのものと重なる。そう言えば、初めて彼にあった時も、彼は私に“馬鹿だ”と言って笑っていた。
ホント、ルフィの言う通り、私は大馬鹿だ。
よく考えれば分かるじゃないか。この船に、麦わらの一味に、私の話を聞いて笑う人がいないなんてこと。それが、どんなにありえない話でも。
ゴシゴシと袖口で乱暴に乱暴に涙を拭う。おそらく赤くなっているだろう目で皆を見ると、返ってくる眼差しはどれもとても優しくて、せっかく拭ったはずの涙がまた零れ落ちそうになる。
『…ルフィ…みんな、』
「ん?……どした?」
『……信じてくれて……ありがとう』
涙混じりの下手くそなお礼。けれど、少しは伝わっただろうか。こんな私の“馬鹿げた”話を、笑って信じてくれた事が、どんなに嬉しいのかが。
細めた瞳からまたポロリと零れ落ちた一筋の涙。けれどそれは、どこか嬉しそうに笑ったルフィの手拭われたのだった。
閑話休題 1