04


朝はすがすがしいほど晴れていたのに、窓の外を見ればいつの間にか雨が降っていた。そういえば天気予報でそんなとを言っていたような言ってなかったような。夜まで降り続けるのだろうか。もしそうならマヨナカテレビをチェックしなければならないなと教師が黒板に何かをチョークで書きなぐっている音と、シャープペンでそれを追うように字を書いている音を聞きながら思った。

そういえば、あの日も朝は晴れていたのに放課後は雨だった。


***


しくじった。と玄関を出て、打ちつけるような雨を見て溜息をついた。
テレビの中に入るようになって、天気予報は常に気にするようにして、今日は午後から雨が降るとわかっていたはずなのに、肝心な傘を忘れてしまった。
いつもなら玄関に誰かわからない傘が常に置いてあって、傘を忘れた者はそれを拝借するのだけれど、今日に限って傘のストックが一本もない。
誰かと一緒に帰ろうにも今日は図書館で勉強をしていて知り合いは当にみんな帰っていて打つ手なし。家に電話して傘を持ってきてもらうことも一瞬考えたが、菜々子にそんなことをさせられるはずがない。
仕方ない、走るか。

「……瀬多、先輩?」

覚悟を決め走り出そうとした瞬間、遠慮がちに掛けられた声に振りかえった。

「水無瀬」

俺が名前を呼ぶと水無瀬はぺこりと会釈をした。
十日ほど前、陽介に後輩である彼女を紹介され、気にしてやってくれという彼の言葉通り、彼女を見かけたらできるだけ挨拶をしたりすこし話したりもした。あの青い車内で長い鼻の老人が言った繋がり――コミュニティが彼女からも発現するかもしれないという思いもあってだ。
先輩だから呼び捨てでいいと言われたのは一週間ほど前で、初めて会った時から比べれば距離は縮まっている気はするけれど、まだ彼女はどこかよそよそしく俺に接していた。コミュニティも生まれる気配はない。なにか別のきっかけがあるのか、それともやはり嫌われているのではないか。懸念したが、陽介曰く本当に人づきあいが苦手で戸惑っているだけだから気にしないで気長に付き合ってやってくれということらしかった。お前は水無瀬の保護者かと苦笑すると、ほっとけないんだよなと陽介もまた苦笑した。
その気持ちはなんとなくわかる。俺はほんの少し話したことがあるだけだが、水無瀬は気を許している相手にはとても素直に感情を表現する子だった。その相手は今のところ陽介しか俺は知らないが、いつもどこか不安そうな顔をしている彼女は、陽介を見つけるととても安心したような、柔らかな表情を向けていた。菜々子が堂島さんや俺に見せる表情ととても似ているように感じる。水無瀬にとって陽介は兄のような存在らしかった。

「今帰り? 今日バイトは?」
「今日、は、なくて……。えと、先輩は……?」
「図書館で勉強してたんだけど、傘忘れちゃってね。走って帰ろうと思ってたところ」
「……あの、良かったら、つかい、ます?」
「え?」

はい、と差し出された傘と水無瀬の顔を交互に見ていると、水無瀬は不思議そうに俺を見ていた

「傘、ないんですよね?」
「そうだけど……」
「なら……」
「それ水無瀬の傘だろ?水無瀬はどうするの?」
「家、遠くないので」

それは自分が濡れて帰るということか。そんなことさせられるはずがない。言えば、水無瀬は驚いたように少しだけ目を見開いておろおろと視線を彷徨わせてしまった。断られると思ってなかったのだろう。困ったように眉尻を下げる水無瀬は、どうやら俺に傘を貸すことを譲らないらしい。かといって俺も譲るわけにはいかない。

「じゃあ、途中まで一緒に入れてもらっていいかな?」

水無瀬は困惑した声と表情で俺を見上げた。少しだけ戸惑ったようにうつむいて逡巡したあと、狭いですけど……と小さな声で呟いて傘を開いた。自分よりだいぶ高い俺が入れるようにと傘を持った手を高くあげている。

「ありがとう」

礼を言って、傘をさりげなく水無瀬の手から自分の手に移す。きょとんとする水無瀬に腕が疲れちゃうだろ?というと、やはり戸惑ったようにありがとうございますと消え入りそうな声で言った。

陽介に、亜希のことをどう思う?と聞かれたことがあった。可愛いとは思うし、いい子だとも思う。けれど、それだけだ。正直、陽介に言われなければ彼女と話すこともなかった。なにより、水無瀬自身が俺によそよそしいのだ。どう思うといわれても、別にとしか答えようがなかった。なにかきっかけがあれば変わるのかもしれないけれど、今のところ、そんなきっかけが生まれる気配もない。このままだったら、きっと彼女とは深い繋がりを築くことは出来ないだろう。そもそも、出来る気がしない。
現に今だって水無瀬は、無意識なのだろうが俺から徐々に距離をとり、肩が雨に濡れてしまっている。すでに何回か見られた光景で、そのたびに濡れるよと言って傘を彼女のほうに傾ける。すると彼女は俺が濡れないようにと慌てて距離を縮め、また離れていく。キリがない。
そこまで警戒されるような人間ではないと思うのだけれど。陽介は一体どうやって彼女に普通に接してもらえるようになったのだろうか。

「……あ」

河川敷の土手で、ふと水無瀬が立ち止まったかと思うと、彼女は先に帰っていてくださいと河原のほうに走って行ってしまった。慌ててそのあとを追うと、水無瀬はうずくまっていた。どうしたのかと傘を差し出してやりながら覗き込むと、彼女は何かを大事そうにタオルに包んで抱えていた。タオルの隙間からにゃーという小さな声が聞こえる。猫だった。
水無瀬は隙間から顔を覗かせた猫の頭をなでる。猫は気持ちよさそうに喉を鳴らした。

その時の水無瀬は、笑っていた。
とても優しそうに、嬉しそうに。頬を少しだけ赤く染めて、幸せそうに、笑っていたのだ。

彼女の無防備に笑った顔を見るのは初めてで、その顔がとても可愛らしくて、思わず見とれた。

俺の視線に気づいたのか、水無瀬が俺を見上げて、ばっちりと目が合った。思いのほか至近距離で、心臓が跳ねる。
そんな俺に、水無瀬は不思議そうに首をかしげた。

「……どうかしたんですか?」
「え?」
「顔、赤いです」

水無瀬の言葉にばっと手で顔を覆った。やはり水無瀬は不思議そうに俺を見上げている。
身体中の体温が上がっていく感覚がした。

「ごめん! 入れてくれてありがとう」

早口にそう言うと、俺は彼女に傘を押しつけて走ってその場をさった。後ろから水無瀬がなにかを言っている気がしたが、雨と自分の鼓動の音で聞こえなかった。

前言撤回。それだけなんて嘘。深い繋がりを築けないだなんて絶対に嫌だ。今この瞬間、俺は水無瀬がすごく気になる存在になってしまった。いや、今までそのことに気付かなかっただけかもしれない。なんにせよ俺が意識をするには充分だった。

これも一種のギャップというやつなのだろう。
普段、あの不安そうな表情からはまったく想像もつかないあの笑顔。
あんなの、反則だ。





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