ぴん、ぽーん。


「……っ!」


その音でようやく今の状況を理解した私は、ジオの顎を思いっきり手で押し上げ、そのひるんだ一瞬で横腹にひとつ蹴りを入れた。
私の予想外の行動に、ジオはそのままソファーから落ち、蹴られた横腹を痛そうに抱えている。咄嗟のことで力の加減が出来なかったから、相当痛かったのだろう。


「お、お客さん、だから!大人しくしてて!」


そのままジオに目を向けることなく、立ち上がってリビングを出て玄関に向かう。

なに、なに、今の。なんで、あんな。

ジオの目が、鼻が、息遣いが、…くちびる、が。すぐ近くにあって、もう少しで、触れそう、で。
どうしよう、どうしよう。これじゃあ人前に出られない。だって、私、今、顔、絶対、真っ赤、だ。




****



床に座り込んでソファーに背を預ける。横腹の痛みは引いた。が、あの蹴りいつもと力の入れようが違った。加減が出来ないほど困惑していたのだろう。


「……しくじった」


焦りすぎだ、と先程の自分を思い出して、大きくため息をつく。
けれどまさか、天音がああいう行動をとるなんて、思ってもみなかったのだ。
自覚なくやっているのだから、余計に性質が悪い。


「いや…性質が悪いのは俺の方か」


俺自身、理性を無視した自分の行動に驚かされているのだから。



****




息を大きく吸ったり吐いたりを繰り返して、心を落ち着かせる。
あんなので動揺するな、私。相手はジオよ。アホよ。あんな行動、いつものからかいの延長なだけ。そう。それしかない。
自分に言い聞かせ、よし、と気合を入れて扉を開ける。


「はい、どちらさ……ま」

「玄関開ける前にインターホンで相手確認しろって何度言ったらわかんだお前は」


閉めた。
と、思ったら、がっと変な音がして、足で扉を閉めるのを妨害されていた。


「すいませんセールスなら間に合ってるのでお引き取りください」

「まぁそういうな。話だけでも聞いてけよ奥さん」

「誰が奥さんだこの野郎。その足どけろ」

「じゃあ中入れろこのクソガキ。足痛ぇだろ」

「それが人ん家に上がらせてもらう態度か」

「お前がいつまでたっても『ネコ』とやらを連れてこねぇからこっちから出向いてやったんろ。感謝しろ」


なにこの俺様。まじうざい。そこらのセールスよりうざい。このまま足引き千切ってやろうか。


「いいのか、俺まじでクビにするぞ?」


ぴく、と一瞬力が怯んだ隙に、招いてもいない来客は一気に扉を開け放った。


「ちょっ、店長!」

「邪魔するぞ」

「邪魔するなら帰れ!」

「小学生かお前は」

「いっ…!」


額にチョップをかまされた。痛い。マジ痛い。なんなのこの人。仮にも女にチョップするとかなんなの。普通に靴脱いで我が物顔で家に上がってるし。真っ直ぐリビング直行しようとしてるし。

……………リビング?


「店長、待った、ストップ、ステイ!」

「てめぇ…俺は犬か」


リビングのドアに手をかける直前、店長の動きが止まってくるりとこちらを振り返った。
せ、セーフ!


「店長、今リビング超汚いんですありえないくらい汚いんですなので別の部屋へ行きましょうそうしましょう」

「ほぅ…?」


店長は私の顔をまじまじと見て、それから笑った。にやりと。
あ、やべ、墓穴掘ったかも。


ガチャッ


「ああっ!」


こいつ何も言わずにドアあけやがった!何もアクション起こさずに開けやがった!なんなのこの人常識って言葉知ってんの!?


「………綺麗じゃん」

「……へ?」


店長の横から中を覗き込む。確かに綺麗だ。いやいつも掃除してるから綺麗なのは当たり前なんだけど、さっきまで飲んでたコーヒーのカップもなければ、一緒にそれを飲んでいた相手もいない。
か、隠れたのか…。さすがマフィアのボス、鋭い。ありがとう。
店長がもしジオを知ってても知らなくても、ジオの存在を知ったら絶対面倒なことになるに決まってる。……でも一体何処に隠れたんだろうか。


「……ふーん、まぁいいけど」


店長はそのままズカズカとリビングに入り、ソファーにドカッと座った。
ちょっと、ここ私の家なんだけど。なんでそんな偉そうなの。あ、そうかいつもか…。


「っていうか何しに来たんですか」

「言ったろ。ネコを見に来たんだ」

「……ネコなんていませんよ。あの時はああ言っただけです」

「……へぇ?」


くっ、この探るような視線が痛い…。とっとと帰ってもらおう…。コーヒーでもなんでも出せば満足するだろう…。


「おまえさぁ、」

「なんですか」

「このクッション、二つも持ってたっけ?」


ぎくっ。


店長が手にしているのは、オレンジ色のハートのクッション。私がこの間、ジオに買ってきたものだ。


「や、安くなってたのでもう一個買っただけです、よ…?」

「……ふぅん?」

「も、もういいでしょ。目的も果たしたしたんだし、コーヒー出すんでそれ飲んだら帰ってください。私だって忙しいんですから」

「ちょい待った」


キッチンの方へ向かおうとした私の腕を店長が掴んだ。にやり、と笑って。
普段にこりとも笑わない店長が、笑っているのだ。なにかを企んだように。
これ以上背筋の凍るようなものがあるのだろうか。

いや、ない。


「ちょっと、実験してみるか」

「……は?」


その瞬間、ぐっと腕を引っ張られて無理やりソファーに座らされる。両肩を抑えつけられ、背もたれに押し付けられた。店長はいつの間にか私の上に跨るような格好になっている。


「……なにしてんですか」


肩痛いんですけど放せやこの野郎。と睨みつけるが、店長は飄々としたままだ。


「言ったろ、実験だ」

「なんの」

「決まってんだろ」


ネコを誘き出すためのだよ。

ぼそり。囁かれるように言われた後、顎に手を添えられ上を向かされる。


「目ぇ閉じとけ」


は?いやいや意味わかんないんだけど。なんなのこの人頭沸いたか。


「いいから言う通りにしろ。クビにするぞ」


……このやろう足元見やがって。クビに出来るもんならしやがれ!と胸を張って言いたかったが、この人はやると言ったらやる男だ。きっと私を辞めさせても、困ることもあるだろうがなんとかやっていってしまうに違いない。
所詮学生の身、一応蓄えがあるとはいえ、収入源をなくすのは惜しい。仕方なく言われた通り目を閉じる。しかし一体何なんだこれ。


「いい子だ。今度特別ボーナスやるよ」


と、またも囁くように言われた後、段々と店長の顔が近づいてくるような気配がした。……うん?なんかついさっき似たようなことされた気が…。


バッターン!


いきなりの大きな音に反射的に身体が跳ねた。び、びっくりした…!
閉じていた目も驚きと同時に開かれ、視界に映ったのは少し身体を起こしてベランダの方に顔を向けていた店長(どうでもいいけどそろそろ肩から手を退けてくれないだろうか)の、とても面白いものをみつけた悪餓鬼のような顔だった。
私も同じようにベランダに顔を向けると、しまっていたはずの窓は開かれ、そこには先程まで一緒にこの部屋に居た男が立っていた。
……なんか、ものすごく、怖い顔をして。


「なるほど、思った以上にド派手な『ネコ』だな」

「貴様……」


ああもう、なんなのこれ、最悪だ。






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