「ただいま」


玄関を開けて家の中に入る。しーんとした反応に首をおもわず傾げた。おかしいな。いつもなら犬の如くジオが出迎えるんだけど…。
靴を脱いで家に上がると奥でシャワーの音がした。なるほど。お風呂ね。そりゃ気付かないか。
…………なんで一瞬、寂しいとか思ったんだろ。意味わからん。

そんなことより、喉がかわいた。ちょっとお腹もすいたし、何かお腹に入れようかな。
リビングに入って、キッチンの方へ足を向ける。とりあえずお茶の入ったペットボトルを取り出して、コップに注いだ。
ふと、テーブルの上に何かが置いてあるのに気付いた。


「なにこれ。指輪……と、懐中時計、って言うんだっけ」


きらりと光るそれらに顔を近づける。指輪の方はなんだかちょっとデザインが派手だ。なんかごつい。しかしどちらもあからさまに高そうな代物だった。懐中時計とかこれ……もしかして金じゃね?まじで?いくらぐらいすんの……。


「ジオの、だよねぇ」


私はこんな立派な指輪も懐中時計も持ってない。両親たちの私物とも考えにくい。今までこんなもの見たこともない。

あ、でも。
指輪の方はなんか、ちょっとだけ、似た雰囲気のを、どっかで……。

誘われるように、私の手が指輪に伸びていく。触れる。その一歩手前。


「触るな!!!」


怒鳴り声にびくっとして、手をひっこめた。髪から水滴を滴らせたジオが、鋭い視線でこちらを睨んでいる。


「ご、めん…、かってに、さわ、ろうとして………」


その目が、声が、雰囲気が。いつもの彼ではなくて。恐くて、怖くて。いつもどおりに出したと思った声が、震えてしまった。
ジオがあんなに声を張り上げたのを聞いたのは、初めてだった。


「……いや。すまない、驚かせた」


ふ、と。一瞬にして空気が和らいだ。表情も、声も、目も、いつもの彼に戻っていた。

ぎし。フローリングの軋む音。ジオがこちらに近づいてきて、指輪と懐中時計を手にした。


「お前には見せたことなかったな」


ほら、と見せられた指輪と懐中時計。少しだけそれらに視線を向け、またジオへと戻した。


「大切な、もの?」


今度はジオがそれらに視線を落とし、ぎゅ、と握った。


「……そうだな。そうだと思う」


寂しそうな顔と声で、彼は言った。
何かに追われ、何かを背負ったような、苦しそうな、それでいて自嘲に満ちている、カオ。

目の前に居る人は、私の知ってるジオなのに。全然知らない人に見えた。


「……天音?」


どうした。と、私の顔を覗き込む男の人。

ああ、そうか。


私は、この人のことを、


「私、『ジョット』のこと、なんにも知らないんだ」









あ、れ…。

私はいま、何を、言った?
はっとして、手で口を押さえても遅かった。

ジオは目を見開いて私を見ていた。
その視線に、耐えられなかった。


「……っごめん!今のナシ!忘れて」

「天音、」

「き、今日、疲れちゃったからもう寝る!おやすみ!」

「おい、天音…!」


ジオの制止の言葉に聞かないふりをして、私はバタバタと階段を駆け上がり自室に飛び込んだ。
ドアを閉めて、その場にずるずると座り込む。


『私、“ジョット”のこと、なんにも知らないんだ』


なにそれ。どういうこと。意味、わかんない。

ジオは、童顔で、背が低いのを気にしてて、好奇心が強くて、子どもっぽくて、意外と料理が上手で、我儘で、結構、俺様なところもあって、ちょっと、いや、だいぶイラッとするところもあるけど、でも、優しくて。
漫画のキャラクターで、2次元の人で、マフィアの、ボスで。


「ほか、は?」


私が知ってるのは、この世界で、私と一緒に住んでる彼で。
この世界に来るまで、彼がどんな風に生きて、どんな人たちと一緒に居て、どんな世界を見ていたのか、私は、何も、知らない。違う。知ろうと、しなかった。


立ち上がって、クローゼットを開ける。
ひとつの大きな紙袋を出して(お、重い…)、ベッドに座った。その中には背表紙に『家庭教師ヒットマンREBORN!』と書かれた漫画が詰められている。
小雪に借りて、結局読まずじまいでいたそれを、私はようやく手にとって開いた。





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