後日、ジオに彼専用の携帯を渡してやると、彼は子どものようにはしゃぎ喜んだ。
機種は私と色違いのものを選んだ。彼の希望だったからだ。古い型だったので新しい方がいいのではないかと言ってみたが、同じものがいいとジオは譲らなかった。良くわからん。色々な機能がついている方が楽しそうだと言ったのは彼自身なのに。


『お前と連絡が取れればそれでいいさ』


全くもって、よくわからん。

それから彼が携帯の使い方を覚えるまで付き合わされた。とりあえず最低限の扱い方と機能の説明だけは頭に入れさせた。
メールという(ジオ曰く)画期的なコミュニケーション手段を身に付けた奴は、数メートルしか離れていないにも関わらず無駄にメールを送りつけてくるもんだから、いらっとして着信拒否にしてやった。素直にごめんなさいをしてきたので、またやったら携帯没収の約束をさせた。
ただ喋るのはぺらぺらな日本語も、どうやら文字にするのは難しいようだった。漢字は簡単なものしかわからないらしく、ほぼ文面はひらがなで構成されている。読みにくいったらない。そんなわけで『初めての漢字ドリル1』を買ってあげた。もうすぐ終わるらしいので次は2を買わないといけない。


天音、最近楽しそうね。何かいいことあった?

ついこの間、小雪に言われた言葉を思い出す。
楽しそう?私が?。

そっか、私、楽しいんだ。

そうかもね。小雪に言うと、彼女は天使のような微笑みで良かったねと言った。
でもたまには、私にも構ってほしいな。
あぁ、こういう子こそ、『可愛い』というんだ。

何故か少しだけ、ちくりと胸が痛んだ気がした。




***




「店長」

「なんだ」

「暇です」

「知ってるよ」


仕事に入って3時間。現在午後8時30分。来店したお客さんの数、3組。もともと15席ほどしかない小さな店だが、ここまで人がいないことは初めてだ。


「いつもと差がありすぎじゃないですか。いつもならもっと席が埋まるくらいお客さんくるのに」

「……大通りの方に客が流れてんだよ」

「………ああ……なるほど……」


最近大通りにお洒落なカフェレストランが出来たと大学の友人から話を聞いた記憶がある。噂によれば店内の雰囲気も良く、味も良く、値段も手ごろ。しかも店員さんが男女問わず皆美形揃いで超優しい。らしい。
色々うちの評判とかぶってはいるのに、なぜこうも違いが出るのかと言えば……。


「美形でも堅物で常に眉間にしわ寄せてて視線で人が殺せるような店長がいる店より優しい方がいいに決まってるもんなぁ。うん」

「おまけに従業員は色気もなんもないクソガキしかいねぇしな」


このやろう鼻で嗤いやがった。顔が良い奴に見下されると何故こうも腹が立つのか。とりあえず今はまだ仕事中だ。客がいようがいまいが仕事中は我慢しろ私。仕事が終わってからおもいっきり殴ってやろう。


「おまえもう帰れ」

「……え?」

「これ以上待ってても仕方ねぇよ。給料はちゃんと出すから安心しろ」

「は、いや、そんな働いてないのにもらえませんよ」

「たった3組だろうがその制服着てこの店で客を出迎えてんだ。充分だよ」

「でも」

「変なところで律義な奴だな。店長命令だ。いいから上がれ」


店長は苦笑しながら、ぽんぽんと頭に手を乗っけた。久しぶりに見た店長の笑った顔に、逆らえないと悟った私はしぶしぶ頷いた。


「『猫』は元気にしてるか?」


思い出したように店長は言った。『猫』?と首を傾げたが、えばジオのことを猫って表現したんだと思い出した。


「ええ、まぁ、それなりに」

「今度連れてこいよ」

「だから、いやですって」

「連れてこなかったらお前クビにするから」

「はぁ!?」

「じゃあな、お疲れさん」


ひらひらと手をあげて彼は奥にひっこんでしまった。
あの目と口調は、本気だ。マジだ。
なに考えてんだ、あのくそ店長。


あ、しまった。


「殴り損ねた……」






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