魔の最終日
それは新学期を迎える朝。
長い休日でなまった体には騒がしい声が響き渡った。
「ラクサスラクサス!!!」
扉を破壊せん勢いで部屋に入ってきたのはナツだ。いまだ夢の中だったラクサスは強制的に覚醒せざるを得なかった。
不機嫌そうに目を開いて、顔を覗き込んでくるナツを見つめる。
「うるせ、今何時だ……」
ベッド近くに置いてあった目覚まし時計へと視線を移せば、まだ目覚める時間には早い。
その時間にナツが起きているのも不思議だが、まだ覚醒しきっていないラクサスの頭には怒りしか浮かんでこなかった。
「まだ六時前じゃねぇか」
「助けてくれ!」
涙ながらに訴えてくるナツに、ラクサスは訝しむ様に顔をしかめた。これ程までにナツが必死な姿は珍しい。どうせこの状態では眠らせてはくれないのだ。
ラクサスは上体を起した。
「……何があった」
ナツは目を潤ませると、ラクサスに抱きついた。
ぎょっと目をむくラクサスに、ナツは身体を震わせる。そんなにも心を乱す様な事があったのか。
ラクサスはナツの顔を上げさせると頬に手を当てた。
「落ち着け。何があった」
真剣に見つめてくるラクサスに、ナツは浮かんでいた涙を手で拭うと、吐き出すように告げた。
「自由研究やってなかった!」
部屋に沈黙が下りる。ラクサスもナツの言葉を理解するのに時間がかかった。
「自由、研究」
「ドリルも読書感想文も、リサーナとグレイが手伝ってくれたんだ……でも、自由研究だけ忘れてた!」
夏休みの宿題だ。しかも、全て他人の力を借りている辺りナツらしいと言える。
「てめぇ、そんな事で俺を起こしたのか」
怒りに身体を震わせるラクサス。ナツは助けを請うように、必死にしがみ付いた。
「ラクサスしかいねぇんだ、助けてくれ!」
「グレイとリサーナに言え」
「起きねぇんだよ!」
「だからって俺を巻き込むんじゃねぇ」
わざわざ早朝に飛び込んで人を叩き起こすのは勘弁してもらいたい。ラクサスだって高校に通っているのだ。ナツ達と同じく今日が登校日。授業はなくても寝不足となれば辛くなる。
「今日のオレのおやつやるから!」
「てめぇと一緒にすんな。俺が食いもので釣られると思ってんのか」
ダメなのか。驚愕するナツに、ラクサスは脱力した。食べ物で全て解決すると思っている短絡的な思考は幼いうちに直すべきだ。
ラクサスは仕方がないとベッドから抜け出した。
「さっさと終わらせるぞ。時間ねぇんだからな」
ナツは表情を輝かせるとラクサスに飛びついた。
かと言っても自由研究など何をするのか、小学生の記憶など残っていない。というよりも短時間で出来る事が思い浮かばないのだ。外に行く時間もない。ナツが興味をひくもので短時間で終える事が出来るもの。
思考をめぐらすが、一つしか出てこなかった。
「……食いものか」
食べ物を作る。ナツが今まで経験した事がない事だ。それを体験として行うのなら、テーマとして成り立つのではないか。ちょうど朝食の準備もしている頃だろう。
「ナツ、飯を作れ」
きょとんとするナツに、ラクサスが続けた。
「飯を作ったら、食った奴らに感想聞いてそれを書け。写真も乗せりゃ形にはなんだろ」
「そ、そっか!じゃぁ、急がねーと!」
ナツはラクサスの手を引いて部屋を出た。ラクサスが付いて行く必要はないのだが、抵抗するのも面倒くさい様でラクサスも食堂へと向かった。
食堂ではすでに料理長が準備を始めていた。
「ずいぶん早いな。飯はこれからだよ」
困った様に眉を下げる料理長に、ラクサスが簡単に説明した。
料理長は手を動かしながらも話しに笑みを浮かべた。ナツらしい、そう言いながら。
「でも、火も使うからナツには危ないんじゃないか?」
小学生には危険だろうと、少し渋っていた料理長だが、思いついた様に表情を和らげた。
「ナツ、マシュマロ好きだろ。マシュマロが何で出来てるか知ってるか?」
ラクサスも菓子には詳しくない。料理長の話しに耳を傾けていると、料理長はあっさりと答えを出してくれた。
「あれは、卵で出来てるんだよ」
「う、ウソつくなよ!だって、白いしふわふわしてんじゃねーか!」
「卵白だけを使うんだ。それに砂糖やゼラチンを入れる。材料なんて家にあるもので簡単に作れる」
ラクサスが料理長の考えを察して口を開いた。
「それなら、短時間で出来るのか?」
「手早くやれば一時間ぐらいだな。朝食には間にあうよ」
時間がない今、ナツの意見など聞いている暇はない。
料理長が、朝食の準備をしながら指示を出してくれる事になり、ナツはマシュマロ作りに取り掛かった。実際に小学生にもさして難しいものではない。分量を量り、手順さえ踏めば失敗はないだろう。
火を使わないようにと、ゼラチンを溶かすのもレンジで済ませた。卵白を泡立てるメレンゲづくりも電動ミキサーでやればすぐだ。
生地を冷やしている間に、レシピやポイントなどをまとめていく。
「マシュマロの型はどれがいい?ハートもあるよ」
妙に楽しそうな料理長に、ラクサスは呆れた様に溜め息をついた。何故こんなにも施設の者たちは楽観的なのか。というよりも、ナツに甘い気がする。
料理長と共に抜き型を眺めるナツの頭をラクサスは叩いた。
「てめぇはさっさと書け」
誰の為に朝から動いていると思っているのだ。そういう自分も、ナツに甘い様な気がして、朝から疲れを見せるラクサスだった。
その後マシュマロを完成させ、宿題を完成させたのだった。
20100901