再会まで
毎朝ポストを覗くのは習慣となっている。しかしポストの中には待ち望むものは入っていなかった。空だ。
まず、朝夕と覗いているのだから朝に郵便物が入っている確率は限りなく低いだろう。
「ナツ、ご飯出来てるよ」
ちょうどナツがポストの蓋を閉じた時、声がかかった。顔を向ければ短い黒い髪の女性が、隣家の玄関から顔をのぞかせている。
「おお!おはよーウル!」
「おはよう。早く食べないと遅刻するぞ」
互いに笑顔で挨拶を交わして、ナツは隣家へと入っていった。
ナツの食事は主に隣家でとるようになっている。一人暮らしをする事になる際、未成年のナツを心配したウルが申し出たのだ。ウルと友人であるナツの父イグニールも、その厚意を甘んじて受け、その生活が長い間続いている。
「よぉ。グレイ、リオン」
先に食事をとっている二人へと挨拶すれば、二人ともすぐに返してくる。
グレイとリオンはウルとは遠い親戚関係で、理由があって幼い頃からウルと共に生活している。
ナツが席に着いたと同時にリオンが立ちあがった。それにナツは顔を上げる。
「リオンは、いつも早いよな」
「ああ。蛇姫学園は、お前たちの学校より距離があるからな」
ナツとグレイが通っているのは妖精学園。それよりも倍以上の距離にあるのが蛇姫学園。リオンはそこの三年だ。
「リオンも妖精学園にすれば一緒に行けんのに」
不満そうに告げるナツに、リオンは苦笑しただけだったが、食事始めるナツをみて眉を寄せた。
「手紙、来てなかったのか」
ナツは食事の手を止めて小さく頷いた。その話題に、今まで黙っていたグレイが、ふんと鼻を鳴らす。
「あんな野郎の事なんか忘れろよ」
ウルがたしなめる様にグレイへと厳しい視線を向けた。
「グレイ!まったく……お前も友達なんだろ?その、ラクサスとは」
「違ぇよ。あいつとは、そういうんじゃねぇんだよ」
苛立たしげに食事を口へと放りこむグレイに、ウルとリオンは溜め息をついた。
リオンが家を出ていくのを見送って、ナツは食事を再開する。
先ほどウルが名を出した、ラクサス。彼こそが、ナツが手紙を待つ相手だ。幼い頃身体が弱く手術をしなければ長くは生きられないとまで言われた。そして小学校へと上がって間もなく、ラクサスは手術のために外国へと行ってしまったのだ。
その後十年間は手紙でのやり取りが続いたのだが、数ヶ月前からそれが途絶えてしまった。ナツから手紙を出しても、返ってくる事はない。
「ナツ、ラクサスも何か理由があるんだろう。また手紙を送って来るさ」
「そうだよな……ありがとな。ウル」
ウルに笑顔を向けると、ナツは食事をかっ込んだ。
食事を終えたナツとグレイは、玄関先まで見送ってくれるウルの声を背後に浴びながら家を出た。
グレイは自転車を押して、門の前で待つナツへと急ぐ。学校まではいつも、グレイが運転する自転車の後ろにナツが乗る。それが登校時の姿なのだ。
「ギリギリじゃね?」
「チャリなら間にあうだろ」
いつもよりも遅い時間だが、自転車で飛ばせば間にあうだろう。
自転車にまたがるグレイに、ナツがすぐに後ろへと乗り上げる。後部車輪のステップに足をかけてグレイの肩にしがみ付いた。
「急げ、グレイ!」
「へいへい。了解、姫さん」
「誰が姫だよ!」
グレイは笑みを浮かべながらペダルに掛けた足を思い切り踏み込んだ。しかし走れたのはほんの数秒だ。
すぐに自転車を止めたグレイはナツへと振り返った。
「……ダメだ。降りろ、ナツ」
「はぁ?何でだよ」
グレイが視線を落とす。それにつられる様にナツも視線を落とせば、潰れたタイヤ。空気がないだけでは有り得ないへこみ方。間違いなくパンクだ。
自転車は家の前へと放置して、二人は走り出した。携帯で時間を確認しながら全力疾走だ。
「グレイのバカ野郎ー!」
「悪いのは自転車だろ!くそ、このままじゃ遅刻だ」
嘆きながらも足は休めず動かすしかない。
半分ほど距離を進めた時、T字路を直進しようとしていたナツ達だったが、曲がり角から影が飛び込んできた。
「うわ!?」
影にぶつかったナツの身体が反動で背後に傾く。しかし地面に倒れる事はなかった。ぶつかった影が、ナツの腕を掴んで身体を支えたのだ。
「大丈夫か、ナツ」
「グレイ……おお、何ともねぇ」
心配そうに顔をゆがめるグレイに頷く。ナツは体勢を整えると、己の腕を掴んでくる影を見上げた。金髪の少年だ。ナツ達と同様に妖精学園の制服を身にまとっている。
ナツをまじまじと見つめる少年の手は、ナツの手を掴んだままだ。それにグレイが顔を顰めた。
「いつまで掴んでやがる」
少年は瞬きを繰り返して、ナツとグレイを交互に見つめた。
「ナツ、グレイ?」
グレイは、呆然とする男の手から奪うようにナツを腕の中に抱きこんだ。
ナツがもがきながら男を見上げれば、二人の視線が交わる。
「お前の髪……」
ナツが男の髪へと手を伸ばそうとするが、その手はグレイに掴まれてしまう。
走り出すグレイに引っ張られ、ナツは無理やり足を動かした。走りながらも、ナツは未練がましく、遠くなっていく男へと何度も振り返る。
見えなくなって諦めが付いたのだろうナツが振り返らなくなると、グレイが苦い顔をした。
「変な奴に関わるなよ」
グレイの咎めるような言葉も聞こえていないようだ。ナツは、先ほどの男の髪を思い出して、小さく呟いた。
「ラクサスと同じ金髪だった」
幼い頃に別れた友人、ラクサスも金髪だった。光に反射して輝くそれは、幼い目にとても美しく見えたのだ。
夢現のナツに、グレイは小さく舌打ちを漏らした。
「金髪なんかそこら中にいるだろ。大体ラクサスがあんなガタイ良いわけがねぇ」
幼少の頃しか知らないが、ラクサスはもやしと言ってもいいほどだった。それを思い出してナツも頷く。
「背もあんなにでかくなかったもんな」
「いや、流石にガキのままじゃねぇだろ」
十年は経っているのだ。幼い姿のままで成長しなかったら化け物だろう。
近づく学校の予鈴が鳴り響いている。それを耳にして、ナツとグレイは走る速度を上げたのだった。
再会まであと少し。
20100808