始まり





フリードの言葉通りラクサスは覚悟をしていた。
そして、実際に数日経過した現在。

「何で知らねぇ奴と結婚しなきゃなんねぇんだ!」

部屋で吠えているのは桜色の髪の少年ナツ。ラクサスはベッド端に腰かけて、その様子を他人事のように見ている。
ナツは目を吊り上げると、ラクサスに向かって指を差した。

「お前のせいだぞ!」

数日前に強引にナツの唇を奪ったラクサス。周囲が勝手に話しを進め、当の二人が話について行く前に、気付いた時には結婚させられていたのだ。未だにナツもラクサスも互いに状況も心も共に整理が付いていない。
ちなみに今は、結婚式から披露宴と諸々終わらせた後である。つまりは初夜。
ホテルの広すぎる一室に押し込まれた途端にナツが怒りを爆発させたのだ。

「お前も乗ってたじゃねぇか」

「ぐ……んな事ねぇ」

口ごもるナツに、ラクサスは溜め息をついた。

「飯うまかったんだろ」

「おお!すげぇうまかった!」

料理の味を思い出したのだろう。満面の笑みで答えてしまったナツは、がくりとその場でうな垂れた。
怒りに身体を震わせるナツから視線をそらすと、ラクサスは口を開いた。

「違ぇ」

「あ?」

顔を上げたナツの目がラクサスを捕える。
ラクサスは視線を合わせないまま、続けた。

「俺は、お前を知ってた」

ラクサスの言葉に、ナツは瞬きを繰り返した――――

去年、学園の入学式。ナツを含めた多くの生徒達が真新しい制服に身を包んだ日。そんな素晴らしき門出。二年に進級したばかりのラクサスは、賑やかな式場から離れた校舎裏にいた。
校内と外を隔てる壁。長く続くそれに沿うように等間隔で並ぶ木々。その木陰で横になっていた。
心地良い陽気の中で眠りについて間もなくだ。真上の枝が大きく揺れた。鳥がとまっただけでは有り得ないしなり方だ。
不自然な動きにラクサスが目を開いた瞬間、間近に迫っていた大きな影。

「ぅぐ!」

次に腹への圧迫感。木から落ちてきた影が腹に飛び込んできたのだ。
嘔吐する寸前の衝撃に悶絶していると、圧迫感がすぐにどいた。痛みに耐えながら顔を上げれば、陽の光を背に人が立っている。
影になっている上に痛手が大きすぎて視界が霞む。はっきりとはしないが、目の前にいるのが男子生徒だというのは制服のおかげで判断ができた。
ラクサスは怒りに顔を歪めた。

「てめぇ……!」

「悪い!大丈夫か?!」

慌てた様な男子生徒の顔が近づき、猫の様な目と視線が合わさる。
腹の底から湧き起こっていた怒りさえも忘れ、ラクサスはその目に見とれていた。それほどに珍しい色だったのだ。
だが、そんな意識さえも打ち消す様に携帯の着信音が鳴り響く。男子生徒の携帯だったのだろう、ラクサスと至近距離で顔を合わせていた男子生徒は体勢を直して携帯電話を取り出した。

「あ、悪い、今着いた……げ、入学式終わったのかよ。父ちゃんに怒られるかな……おお、体育館な。すぐ行く」

男子生徒は携帯電話をしまうと、ラクサスへと視線を戻した。

「俺急いでるから行くな!」

悪かった。
そう一言だけ謝罪の言葉を述べて男子生徒は去って行ってしまった。呆然とその場に座り込むラクサスに、足音が近づいて来る。

「……こんなところに居たのか」

フリードだ。目付役でもある彼が、呆れた様な表情でラクサスを見下ろした。
いつもなら鬱陶しそうな顔をするラクサスだが、フリードの姿も目に入っていないようにどこか遠くを見つめている。
その姿に、フリードは眉を寄せると視界が近くなる様に片膝をついた。

「どうした。ラクサス」

「……桜色の猫」

ラクサスは、去っていく男子生徒の髪の色を思い出して、うわ言の様に呟いた。ラクサスには珍しくはっきりとしない口調。

「新種か?」

本物の猫だと思っているのだろう。
フリードが心配げに声をかけるが、ラクサスはそれに返答する事もなかった――――

「あの後何度もすれ違ったが……お前は、俺に気付かなかった」

思いだしているのだろう、ラクサスは定まっていない焦点で、どこか遠くを見ている。
静かな部屋にラクサスの声が落ちる。
寂しささえ感じるその声に、ナツは何も言葉を発する事は出来なかった。




20100804

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