教えて





本日も賑やかなギルド。食事を終えて腹を満たしたナツが、修行へと出かけようとしていた席を立った。ギルドを出て行こうとするナツの視界に一冊の雑誌。

「なんだこれ?」

ギルド内でよく見かける魔法専門誌ではない。写真集のようで、表紙を飾っているのは、肌を露出させている女性だ。
ナツは躊躇いもなく雑誌を拾い、めくっていく。目を通していけば、やはり女性の写真ばかりで、何も身にまとっていない女性があられもない姿をとっている。

「お前、何見てんだ……げ!!」

ナツが雑誌を読んでいたのが珍しかったのか近寄ってきたマカオは、ナツの手にある物に口元を引きつらせた。ナツの持っているものが、教育上よくない物だったからだ。しかも、その本の持ち主には心当たりがあった。

「ガキが見るもんじゃねぇ!!」

マカオはナツの手から本を奪い取ると、雑誌の表紙を見て、思わず手で顔を覆った。
思った通り成人雑誌だ。持ち主は、飲み仲間であるワカバで間違いないだろう。先ほどまでマカオと共に酒を飲んでいたが、妻のミルガーナに連れ帰られていた。どうも先日ギルドの若い女性と仕事に行った事を怒っているらしい。とにかく、この雑誌は、無理やり連れて行かれた時に落としていったのだろう。

「なぁ、マカオ」

名を呼ばれて視線を落とせば、きょとんと不思議そうに首をかしげるナツの姿。いやな予感にマカオは足を一歩後退させたが、遅かった。

「その本なんだ?」

年齢不詳とはいえ、外見からして何にでも興味を持つ年頃だ。しかし、まだ十歳そこらの子供に教える事ではない。せめて飲酒が認められる十五才以上になってからにしてもらいたい。

「マカオ!」

「だから……ガキの見るもんじゃねぇんだよ!」うまい逃げ道が見つからない。適当にあしらおうとするマカオに、ナツは余計に興味を持ったのか食いついてくる。

二人のやり取りは周囲の者も気づいていたが、あえて関わらないようにしている。うまくナツに説明してやれる自信などないからだ。しかし、いつまで経ってもナツがあきらめる様子はない。
流石に困り果てるマカオに、ミラジェーンが近寄ってきた。リサーナとエルフマンを連れて仕事に出ていたはずだが、戻ってきたようだ。

「面白そうな事してるじゃねぇか」

周囲にマカオとナツのやり取りを聞いたのだろう。意地の悪そうに笑みを作っている。何が面白いものかと、睨みつけてくるマカオを押しのけ、ミラジェーンはナツを見下ろした。

「お前もそういうのに興味を持つんだな」

「おい、ミラ。ナツに余計な事吹きこむなよ」

マカオが止めようとするが、ミラジェーンが人の言う事など聞くわけもない。

「こんな面白い事滅多にないからね。どうせナツの事だ、赤ちゃんだってコウノトリから運ばれてくるって思ってるんだよ」

マカオを見上げて笑みを深めるミラジェーンに、マカオは溜息をついた。
ミラジェーンの妹もナツと同い年ぐらいなのによく言えるものだ。まだ幼いのに、性の知識など身についていないに決まっている。
ミラジェーンの言葉にナツは口元を歪めていた。

「バカだな、ミラ。なんで鳥が赤ちゃん運んでくんだよ」

バカという言葉に、いつもなら言い返すなりするミラジェーンだったが、今回そこには引っかからなかったようだ。

「あー悪い。キャベツかレタスだったか?」

「野菜から人は生まれねぇ!」

バカにされているのが分かるのだろう、噛みつくナツにミラジェーンは頬を緩ませた。ミラジェーンはナツの子供らしいところを気に入っているところがあるから、弄るのが楽しくて仕方がないのだろう。
それにしても、よく親が逃げ道として使う手でもあるネタが当てはまらないとすると、ナツはどう認識しているのか。マカオが二人の会話に割って入った。

「ナツ、お前赤ちゃんがどこから来るのか知ってるのか?」

「おい、マカオー」

ニヤニヤ笑いながら肘で突いてくるミラジェーンに、マカオは顔をしかめた。ミラジェーンとだけは一緒にされたくない。マカオの言葉に、ナツはきょとんとしている。

「そんなの当たり前だろ」

何だと。マカオだけではないミラジェーンまで衝撃を受けていた。いったいこのギルド内で正しい性教育をほどこせる者がいるだろうか、いやいない。きっと、ナツは何か勘違いをしているのだ。
しかし、ナツが口を開いて言葉を紡ごうとすれば、ミラジェーンとマカオは耳をすませる。周囲も興味を持って聞き耳をたてる中、ゆっくりとナツの口から言葉が吐き出された。

「卵に決まってんだろ」

「……あ?」

胸を張って言いきるナツに、ナツの言葉を耳に入れた者たちは口を開いたまま固まった。

「今何て言った?」

「だから、赤ちゃんは卵から生まれんだよ」

何故卵なのか。

「お前、それ誰に吹き込まれたんだよ」

「イグニールだ」

イグニールはナツを育てた竜。以前ナツが卵を拾ってきた事があった。その時に竜の卵だとも言っていたではないか。最終的に生まれたのは猫だったのだけれど。
竜と人との違いは仕方がないけれど、ナツは人としては間違った教育を植えつけられたようだ。

「あのな、ナツ。竜は卵かも知れないが、人間は卵から生まれねぇんだ」

なるべく優しく、諭すようにゆっくりと話すマカオ。ナツは瞬きを繰り返すと、不満そうに唇を尖らせた。

「じゃぁ、赤ちゃんはどこから来んだよ」

そこに話が戻るのか。しまったと顔を歪めるマカオ。ミラジェーンは腕をナツの首にかけた。

「おいおい、私みたいなかわいい女の子に聞くなよ?」

「かわいい?いてぇ!!」

訝しむようなナツの表情に、ミラジェーンはナツの足を踏みつけた。

「何すんだ!」

「そういうのは、他のやつにしな。リサーナには聞くなよ、聞いたら殺すからな」

ミラジェーンはギルド内に視線をさまよわせる。周囲の者が目を合わせないようにと顔をそらす中、一人この話に我関せずの者がいた。会話さえ耳に届いていたのか分からない男。
ミラジェーンは口元に弧を描いた。

「あいつがいい。ラクサスにしな」

「ラクサス?」

マカオは、話を広げていくミラジェーンにお手上げ状態だ。酒でも飲みなおそうとその場から逃げた。

「何でラクサスなんだ?」

「一番おも……よく知ってそうだろ」

「そうなのか?」

「ラクサスぐらいの年は思春期って言って、そういうことばっか考えてんだよ。むしろそれしか考えてない」

酷い偏見だ。
しかし、それぐらいの年齢を経験した事がある者も、ミラジェーンの言葉に突っ込みを入れる者はいなかった。心当たりがあるのかもしれない。

「あいつなら絶対知ってるから、よく教えてもらいな」

何故言い切れるのか。しかし、予測だとしても、恐らく間違いはないだろう。ラクサスほどの年齢なら嫌でも知る事だ。
ナツはミラジェーンに背を押されて、ラクサスの元へと向かった。
ラクサスは目を閉じて、いつものようにヘッドホンで音楽を聴き、周りに壁を作っている。音楽を聞く事がそんなにも楽しいのか、ナツには理解できない事だ。

「おい、ラクサス」

声をかけるが、目を閉じたままで反応を示さない。音漏れがしているほどに音量を上げているから聞こえていないのだろう。そう判断したナツは、身を乗り出してラクサスに顔を近づける。

「ラクサス!!」

間近でナツの声が発せられ、ラクサスは思わず目を開いた。元から聞こえなかったわけではない、面倒だからと無視をしていたのだ。ラクサスは視界を遮るナツの顔に、思わず上体をのけ反らせた。

「近ぇよ」

ラクサスはナツの顔を押しのけると、テーブルに置いてあった飲み物に手を伸ばした。

「ラクサスに聞きたいことがあんだよ」

「どうせくだんねぇ事だろ。ジジィにでも聞けよ」

「でも、ミラがラクサスに聞けっていうからよ」

面倒な事が押しつけられたと瞬時に判断したラクサスは、残っていた飲み物を飲んで出て行こうと、喉に流し込んだ。

「なぁ、赤ちゃんってどこから来るんだ?」

ラクサスは盛大に噴き出した。ジョッキに口をつけていたせいで、飲み物は勢いよく顔面へと飛んできて、悲惨な事になっている。
ラクサスは顔から滴り落ちる滴をぬぐって、ナツを見下ろした。

「てめ、くだんねぇ事言いやがって」

「教えろよ!ミラが絶対に知ってるって言ってたぞ」

「あの野郎……ッ」

ラクサスは忌々しそうに口元を歪めた。離れた場所で傍観しているミラジェーンを見つければ、腹を抱えて爆笑していた。隠そうとすら思っていないようだ。

「ラクサスはそういう事ばっか考えてんだろ」

無邪気に笑みを浮かべるナツの顔面を、ラクサスの手が鷲頭かみした。

「クソガキ」

頭蓋骨が砕かれるのではないかというほどに力を込められている。ナツが痛みに涙を浮かべながら抵抗するが、力が入らない。

「一遍その頭砕けば、ろくな事吹きこまれないですむか?」

「いでででで!!割れる割れる!」

「その辺にしておけ、ラクサス!」

止めに入ったのは妖精の尻尾の風紀委員エルザだ。長いみつあみを揺らせて、ナツの危機に駆け付けた。その後ろからはボロボロのグレイの姿。街中を裸でいたところをエルザに見つかったのが原因なのだが、日常茶飯事なので誰も気にはとめない。

「大丈夫か。ナツ」

ラクサスに解放されたナツを、心配げに覗き込むエルザ。ナツは涙目でエルザを睨みつけた。

「邪魔すんなよ、エルザ」

「邪魔とは何だ、私はお前がラクサスに苛められていたから……」

「苛められてねぇ!」

むきになって否定するナツに何を言っても無駄だろう。エルザは諦めたように溜息をついた。

「それで、騒ぎの原因はなんだ?」

「それが……あ!逃げんなよ、ラクサス!」

付き合いきれないと出て行こうとするラクサスを引きとめる様に、服を掴んだ。

「そいつに聞け」

「私が分かる事なら、何でも聞いてくれ」

ナツはラクサスの服を掴んだままエルザへと振り返った。ラクサスが教えてくれないのなら、エルザでも良いだろう。

「エルザは、赤ちゃんがどこから来るのか知ってんのか?」

ナツの言葉を理解するのに多少の時間を要した。エルザが微かに頬を紅色させて、咳払いを一つ。エルザは、そのだの、だからだのと口ごもった。狼狽している様子から知識はあるように見えるが、返答しづらいのだろう。

「あ、赤ちゃんはだな」

興味深げに見上げてくるナツの瞳に、うっと、珍しくエルザが足を一歩後退させた。

「き、キャベツから生まれるんだ」

思考を巡らせた結果がそれか。ナツ達の会話を一部始終聞いていた周囲は内心で突っ込んだ。エルザが言ったそのネタはすでにナツ自身が否定している。
目をそらしながら告げたエルザに、ナツは不機嫌を隠すわけもなくエルザを睨みつけた。

「嘘つくなよ!野菜から生まれるわけねぇだろ!」

「う……す、すまない。嘘をつくつもりはないんだが、まだお前には早いと思って……」

「ガキ扱いすんなよ!!」

自分が子供だという事は自覚しているのだろうが、やはり対等でいたいのだろう。仲間が知っている事は、自分だって知っていたい。
ぐすりと鼻を鳴らすナツの目じりに涙が浮かぶ。真っ先に慌てたのはエルザだ。いつも止める側で泣かせる側ではなかったのだ。衝撃を受けて狼狽している。

「泣くな、ナツ!」

「なに可愛いナツを泣かせてるんだよ。エルザ」

己が仕掛けた事に、ずっと傍観に回っていたミラジェーンが歩み寄ってきた。その表情は至極楽しそうで、まるで鬼の首をとったかのようだ。

「ミラ!……そうか、お前が絡んでいるのか」

「おい、決めつけるなよ」

不服そうなミラジェーンだが、エルザの予想通り、話が広がったのはミラジェーンが原因だ。ナツとグレイ同様に、ミラジェーンとエルザも顔を合わせれば争いに発展する。
すでに睨みあう二人の周囲には不穏な空気が流れていた。

「くだんね」

服を捕えていたナツの手が緩んでいる隙に、その場を去ろうとしていたラクサスだったが、ミラジェーンに気付かれてしまった。

「どこ行くんだよ」

ラクサスは軽く舌打ちをした。これ以上からまれては適わないと、ラクサスは止めてしまった足を再び動かした。しかし、それはミラジェーンの言葉で止められる事になる。

「その年で知らないわけないよな。……ラクサス、あんたまさか」

はっとしたようにミラジェーンは口元を押さえた。じっとラクサスを見つめる目が揶揄するように形を変えた。ミラジェーンの思考を読み取ったように、ラクサスの口元がひきつる。

「……なんで、誰も教えてくれねーんだよ」

力なく落ちた声に周囲の視線が集まる。身体を小刻みに震わせているナツの瞳には涙がたまっていた。零れる、誰もがそう思った涙が流れる事はなかった。ラクサスの手がナツの頭に置かれたのだ。大きく見開かれたナツの瞳がラクサスを見上げる。

「ラクサス?」

「お前はワカバみたいになりてぇのか?」

唐突に引き合いに出された不在中のワカバ。ナツは問われるままに、ワカバを思い浮かべてみる。

いつも楽しそうにしているのは好きだが、妻に頭が上がらなく若い女の人が大好きだ。人間的に好きだが、そうなりたいかと言われれば、それはない。

「な、なりたくねぇ」

子供は素直で容赦がない。首を振るうナツに、周囲の者たちは不在のワカバに同情した。

「あと数年経てば、嫌でも分かんだよ。急ぐ必要ねぇだろ」

ナツはきょとんと首をかしげる。

「今、知っちゃいけねーのか?」

「あのワカバも、お前の年じゃ知らなかったんだよ」

若い頃のことなど知るはずもないから、憶測だろう。確かにナツの年齢では知る必要もない事なのだが、何故ワカバを引き合いに出すのか。
突っ込みたいのだが、話がまるく収まりかけているところに横やりを入れるわけにもいかない。周囲は出かかった言葉を無理やり飲みこんだ。

「ワカバみたいになりたいんなら、止めねぇが」

ラクサスの言葉にナツは必死に首を振るった。まるでワカバは、駄目な大人の代名詞だ。
先ほどまで暗かったナツの表情は、いつものように明るさを取り戻している。ナツはにっと笑みを浮かべた。

「じゃあ、いつか教えてくれよな!ラクサス!」

「……覚えてたらな」

その前に己で知る事になるだろう。万が一その時が来ても適当にあしらおう。
ラクサスの返事に満足そうなナツ。ミラジェーンがニヤニヤと笑みを浮かべながらナツへと歩み寄った。

「よかったな、ナツ。実践で教えてくれるってさ」

「おお、実戦か!!」

ニュアンスが微妙に違う。
これ以上この場にいても無駄に体力を消耗するだけだろう。ラクサスは、ナツの明るい声を耳にしながら、ギルドを出ていった。

数年後に己で知る事になるのか、ラクサスに教えられるのか、はたまた話を聞きながら鼻血を出していたグレイの手によって教えられるのか。どちらにせよ、ナツが身をもって知る事だろう。




2010,07,20
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