尊い君へ





君に教えられた事を、僕は決して忘れないよ。不安で心が軋んだ事も、君の笑顔を愛しいと思った事も。
全て、君が教えてくれた、命の尊さだから


煩いほどに心臓が鳴っている。もしかしたら、このまま壊れてしまうのではないかと思った。
天から降り注ぐ滴が身体に打ちつけてくるのを感じながら、ゼレフは目の前に倒れている小さい影を見下ろした。
桜色の髪先についている、赤。その赤が多くを染めているのは、細い首。いつも好奇心で輝いている瞳は閉じられていた。

「……なつ」

止まることなく流れる血が、雨にさらわれて地面に流れる。それを呆然と眺めていたゼレフは、ようやく、影の名を口にした。

「ナツ」

再び名を呼んでも、影が動く事はない。小さくとも内側に無限の魔力を秘めていた、その身体からは、今は魔力が感じられない。
これが、死。

アクノロギアクノロギアアクノロギア――

脳内を何度も呪文のように言葉が繰り返される。死を呼ぶ彼の名を、ゼレフはゆっくりと口にした。
彼は全ての命を奪っていく。それを何度目にしても、ゼレフの心がわずかにも揺れる事はなかった。当然のように失われていくものだと、思っていたから。

「ナツ」

名を呼んで、足を踏み出した。時間の経過で地面は雨を吸い、踏みしめるごとに不快な水音が耳に入る。

「ナツ」

ゼレフは、ナツの近くまで足を進めると、その場に両膝をついた。ナツの頬に触れれば、いつもは高いはずの体温が感じられない。雨に奪われてしまったのだ。

「ナツ」

ナツの顔を覗きこむ、ゼレフの頭が傘になりナツの顔に降り注いでいた雨が止まった。そのはずなのに、ナツの頬に、滴が落ちる。

「な……っ」

名を紡ごうとした声はつまって続けることができなかった。ゼレフの頬を、雨と混ざって涙が伝っていた。
視界を涙で歪めながら、ナツの身体を起し、震えた手でナツの身体を抱きしめる。

「ナツ!」

心が軋み、目の前が闇に染まっていく。光が消え、世界が死んでいくようだ。
ゼレフの口から嗚咽の声が漏れる。繋ぎとめておくように、ナツを抱きしめる力を強めた。

「酷い怪我ね」

突然雨がやみ、変わりに声が落ちてくる。ゼレフが顔を上げれば、一頭の竜が、ゼレフとナツの真上で翼を広げていた。

「……グランディーネ」

ゼレフが名を呟くと、グランディーネは強い魔力を放った。

「今度は何をしたのかしら」

笑み交じりで呟いたグランディーネの魔力は、ナツへと向けられている。グランディーネが治癒の力を持っている事を思い出し、ゼレフはナツへと視線を戻した。
色を失っていた肌が、すぐに元の健康的な色に戻っていき、小さな口が酸素を大きく吸った。

「、ナツ」

名を呼んだ声に反応して、ナツの目蓋が震えながら開く。まるで、寝起きの目だ。とろんとした瞳でゼレフをぼんやりと見つめる。

「ぜれふ?」

舌っ足らずな声に、ゼレフは身体を震わせてナツを抱きしめる。

「ナツ!」

「、っいて……いてーよ、ゼレフ」

身じろぐナツに、ゼレフは身体を離した。首を見やれば、傷が感知されていなかった。血は止まってはいるが、痛々しい傷が残っている。
グランディーネの力ならば消し去ることが可能なはずだ。ゼレフが顔を上げると、訝しむその表情に、グランディーネは口を開く。

「痛みを忘れない為に、傷は残しておいたのよ。だってその子、無茶ばかりするんだもの」

誰に似たのかしらね。グランディーネは笑みをこぼしながら、飛んでいってしまった。
竜が消えていった方を見つめるゼレフに、ナツは立ち上がった。

「オレ、ねちまったんだなー……あれ、なにしてたんだっけ?」

首をかしげながら呻るナツを、ゼレフはぼんやりと眺める。
雨はいつの間にか上がっており、雲の隙間から日が差し込んだ。まるでナツの生還を祝福するかのように、光はナツを照らす。

「……眩しい」

ゼレフは小さく呟いた。
光を纏うナツの姿は、光そのもののように眩しい。そして

「まぁ、いっか!ゼレフ、あそぼーぜ!」

無邪気な笑みを向けてくるナツに、ゼレフは自然と笑みを浮かべていた。

ああ、命とは何と尊いものか。




20110930

幼少期のいろいろ捏造ネタ。公式的にナツの首の傷の謎が解けた今開き直るしかない。


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