子竜
ナツが妖精の尻尾に入って半年あまり。
ギルドで昼食をとり早々とギルドを出て行こうとするナツに、エルザが声をかける。
「ナツ、仕事に行くのか?」
「今日はイグニールさがしだ!」
ナツの休日は養父であるイグニール探しをする。ギルドの生活に慣れてきたナツの、休日の過ごし方だ。といっても限度があるのでたいした距離は行く事は出来ない。
「あまり遠くまで行くな。遅くなるまでには戻るんだぞ」
「分かってるって!いってきまーす!」
ギルドを駆けだして行くナツを見送るエルザ。あるで姉弟のようなやり取りだ。
ギルド内にいた大人たちが二人を微笑ましく見守っていると、その中の一人が思い出したように口を開いた。
「そういや、最近どこかの街で奴隷商が出たらしいな。ナツのヤツ大丈夫か?」
捕まれば最後奴隷として売られ人とは思えないような目にあう。人権など剥奪され自由などない。
エルザはその会話を耳にして苦い顔をした。過去の地獄のような日々を思い出してしまい身震いがする。
「あいつも魔導士の端くれだ。いざとなったら炎で黒焦げにしちまうよ!」
「そりゃ、そうだ!」
昼間から酒を飲む大人たち。盛大な笑い声はギルドの外にも漏れるほどだ。
出て行く前に忠告すべきだったかもしれないが、例えそんな話をしたとしてもナツはきちんと理解もしないまま出て行っただろう。
ギルドを出たナツは街外れから続いている山道へと入っていった。
隣町へと徒歩で行くにはこの山道を通らなければならないが、鉄道が通っているのでこの山道を使うものは少ない。山菜取りや山登りなどで利用する者がいるぐらいだ。
「誰もいねーなー」
ナツの考えでは、竜は人のいないところにいる。すなわち山や森にいるはずだと言うことで、自分の足で探すときは決まって人気のないところになってしまうのだ。その点で毎回エルザに注意を促されている。
「イグニールーッ!!」
ナツの声が山中に響き渡り木霊して返ってくるが、それ以外にナツの声に応えるものはない。暫く待っていたナツは、もしかしたら自分の声だと気づいていないのではないかと考えた。
ナツは空へと顔を上げると、口から炎を噴き上げた。立ち上る火柱に、近くにいた小動物たちが驚いて逃げていく。
「ッ化け物!」
「あが?」
ナツの炎に引きつけられるようにして、男が集ってきた。ナツは吐き出していた炎を止めて口を閉ざす。
「何の騒ぎだ」
遅れてやってきた男が顔をしかめた。ナツの魔法を見て落ち着かない男を鬱陶しそうに一睨みした。睨まれた男はびくりと体を震わせると、平静を取り戻す。後からきた男の方が目上のようだ。
「このガキが、口から火吐いてたんです」
手下の男がナツを指差すと、リーダー格の男がナツへと視線を移した。
「……桜色の髪」
リーダー格の男は小さく呟くと、ナツへと視線を合わせるように腰をかがめた。
先ほど見せていた表情から一変して人の良さそうな笑みだ。
「もしかして君、魔導士かな?」
「よく分かったな」
正直に応えるナツ。危機感をあまり感じないのだろうか、男が口元を吊り上げた事にも疑問を持っていないようだ。
ナツは、嘗めるように見てくる視線に居心地の悪さを感じた。体を身じろぐと、先ほど炎を吐いたせいで腹が減ったのだろう、空腹を訴える音がなった。
「いったん帰るか……」
腹が減っては軍は出来ぬ。引き返そうとするナツの腕をリーダー格の男が掴んだ。振り返るナツに、男は手下へと振り返る。
「火を出せ」
「ひ、火ですか?」
「お前は炎の魔法が使えるんじゃなかったか?」
首をかしげるナツの目の前に手下の男が差し出され、その手のひら一杯に炎が燃え上がる。その炎にナツがごくりと生唾を飲むと、リーダー格の男がにこりと笑う。
「食べていいよ」
「え、いいのか?!」
勧める男と喜ぶナツに、炎を出している男は驚いたように目を見開いた。思わず手を引っ込めそうになるが、その前にナツがその手をとった。
「いただきまーす」
炎にかぶりつく。数秒とかからず、炎はあっという間にナツの口の中へと吸い込まれてしまった。炎の消えた手は、ナツの行動に驚愕し震えていた。
ナツは小さくゲップをして、炎を出した男を見上げた。
「あんまりうまくねぇな」
食べさせてもらっておいて容赦ない。だが仕方がない、誰にだって好みというものがあるだろう。
軽食程度だが食べて満足しているナツを見て、確信を得たようにリーダー格の男がにやりと笑う。
「やはり、そうか。……ちょうど、君に会いたかったんだよ」
首をかしげるナツに、男は己の懐に手を差し入れた。
ギルドでは、クエストから戻ったばかりのマカオが飲み仲間であるワカバのいるテーブルへと着いた。もちろんこのまま酒を交わすのだが、酒を注文し待っている間に、マカオはふとクエスト中に耳に入れた噂を思い出した。
「物騒な噂聞いたな」
「何だよ、嫁さんの話しか?」
マカオの嫁の気の強さを知っているワカバが茶々をいれる。しかしマカオ夫妻も一人息子が生まれ間もないのだ、早々不仲にはならないだろう。
違ぇよ。ワカバの冗談に軽く否定をしながらも、マカオは顔をしかめた。
「どこかのギルドが滅竜魔導士を探してるらしい」
滅竜魔導士と聞いて思い浮かぶのはナツだ。
ナツは失われた魔法のひとつである滅竜魔法を扱う珍しい魔導士だ。まだ幼い体で魔力も未熟とはいえ、これから先成長も期待できる人材だろう。
「滅竜魔導士っていやぁ、最近ナツの事も一部で噂になってるらしいな」
炎を纏ったり食べたりと普通の魔法ではあり得ない特徴をもち、クエスト中では養父である竜のイグニールの情報収集もしている。そんなナツが噂になるのは時間の問題だったのだろう。その噂に多少なりとも尾ひれが付いているのだが。
注文していた酒が目の前に置かれて、話しがいったん途切れる。マカオは酒で喉を潤しながら、ギルド内を見回した。
「そういや、ナツは仕事か?」
近くで依頼書を見ていたエルザは、マカオたちの話しに顔を強ばらせていた。
近くで出没する奴隷商。滅竜魔導士を探しているギルド。ナツの噂。全てが脳内で繋がった。
一緒にいたグレイがエルザに声をかけようとしていると、エルザはギルドを飛び出していった。
「エルザ!……くそ、あのバカ!」
グレイも同じように飛び出していく。ナツと普段共にいる事が多い二人が飛び出していったのに、ギルド内も雰囲気が変わっていく。
あるギルドが狙っているのが、滅竜魔導士で今唯一所在が明らかになっているナツと考えるのが妥当だろう。
「まずいんじゃねぇか?マスターも定例会でいねぇし……おい、ラクサス!」
「くだんね」
我関せずとでも言うようにギルドを出て行くラクサス。
ラクサスはかけられる声を無視して足を進めていき、ギルドから出るとすぐに足を止めた。
「バカが」
ラクサスの口が忌々しそうに歪むと隠されていた牙が露わになった。通常では見られない四本の楔状の歯。
鋭くなった嗅覚で嗅ぎ取ろうと集中させ、風に運ばれてきた匂いに、ラクサスは弾かれるように身を翻した。
駆け出すラクサスの姿を通り過ぎる街の人間が物珍しそうに見ていた。
ラクサスが向かった山で、ナツはリーダー格の男が出したものに首をかしげた。
目の前でちらつかせる見た目硬そうな物質で出来ている輪状の物、それをナツへと近づける。
「子竜ちゃんにプレゼントだ」
ナツの細い首に巻きつけられる。まるで首輪のようなそれは、ひんやりと冷たい。ナツは鬱陶しそうにそれを外そうと手をかけるがビクともしない。
「こんなもん燃やして……、火が出ねぇ!」
魔力を込めようとするが、いつものように炎が出ない。ナツは困惑しながら、拳を握り締めて炎を出そうと試みるが失敗に終わる。
今まで当たり前のように身体を纏っていた炎が全く現れないのだ。それどころか力が抜けていく。
ナツは首輪を引っ張る手に力を込めようとすると、膝が折れた。かくりと足から力が抜けて、地に膝を付く。
「ちから、はいんねー」
目がかすんでいく。ぼうっとして頭が働かない。言葉を発するのさえも億劫になってくると、ナツの体は自然と地に倒れてしまった。まるで熱にうなされるように体中がだるい。
荒い息を繰り返すナツを見下ろしていた男が、口元を吊り上げて笑みを作った。
「連れてくぞ。マスターに引き渡す」
「え、奴隷商に引き渡すんじゃ?」
ナツに伸ばしかけていた手を止めて、手下の男が問う。その問いにリーダー格の男が、ナツの顎に手をやり無理やり上を向かせる。
「そこらのクズじゃこれを扱うのは無理だ。薬漬けにするのもいいが、人形にするには惜しい。俺たちの飼い犬にした方が面白いだろ……ああ、飼い竜だったな」
卑下した笑みを浮かべてナツから手を放す。支えをなくしたナツの顔が重力にしたがって地に落ちる。
苦しそうに唸るナツの姿に、手下の男が眉を寄せた。
「こいつ大丈夫ですか?死ぬんじゃ……」
「いや、この首輪は魔力を吸い取る特殊なもんなんだよ。いくら滅竜魔導士でも今は魔法が使えないただのガキって事だ。いいから行くぞ、こいつの仲間が嗅ぎつけてきたら面倒だ」
言葉とは逆に男は心底楽しんでいるように笑っている。何が楽しいのか、手下の男にも理解は出来なかった。それでも命令ならば従うしかない。
手下の男は、ナツを担ぎ上げた。
「もう遅ぇよ」
声と同時だった。ナツを担いでいた男が短い悲鳴を上げて地に沈んだ。倒れた男の体は痙攣し口から泡を拭いている。感電した時に見られる症状に酷似している。
ナツは今の衝撃で倒れた体を、辛うじて動かし声のする方へと視線を上げた。
「……ラク、サ」
どうにか言葉を発しても素直な体は苦痛を訴える。
木の影から姿を表せたのはラクサスだった。先ほど手下の男を倒したのはラクサスの魔法だったのだ。
苦しさで生理的な涙を浮かべるナツに、ラクサスは小さく舌打ちした。
「あっさり捕まってんじゃねぇよ。ナツ」
言い返そうとするナツの口からは息しか吐き出されなかった。
咳き込むナツを視界からはずし、ラクサスは一人突っ立っているリーダー格の男に目を向けた。男はラクサスと目が合うと小さく息をついた。
「あなたの事は知ってるよ、マスターマカロフの孫。まさかお孫様が来るとはね」
ラクサスの眉がピクリと動く。
「そこのバカは返してもらうが、その前にてめぇは仕留める」
「お手柔らかに。お孫様」
神経を逆なでするような物言いに、ラクサスの体を雷が包んだ。放電しているかのように、バチバチと危険な音を発している。触れただけでも感電しそうだ。
立ったまま動こうとしない男、おそらく様子を伺っているのだろう。マカロフの孫であると同時に、若いとはいえ魔導士としての強さは他のギルドでも知られているのだ。
「雷じゃ相性が悪い」
にやにやと卑下した笑みを隠すよう手で口元を覆う男。
ラクサスは、魔法を繰り出そうと手を出そうとした瞬間、とっさの判断で地面を蹴った。迫ってきた衝撃を避けたつもりだったが、瞬時右目に痛みが走る。
死角になっている地面から突き出した土が刃のように斬りかかってきたのだ。
「くッ」
右目を縦に裂くように斬りつけられ、拭っても流れ出てくる血は止まらない。
ラクサスは舌打ちをして片目で男を睨みつける。
男の魔法はおそらく土を操る能力だろう。今の攻撃も、ラクサスの周囲を纏う雷、それがなければ反応する事もなく攻撃をまともに受けていただろう。
「ラクサス……」
ラクサスから流れる血を見たナツが、地に手を押し付けて上体を起き上がらせた。それだけの動作で意識が飛びそうになる。
「まだそんな力があるのか」
ナツの行動に男が感心したように声を漏らした。
ナツは息を切らしながらラクサスへと視線を向ける。自分よりも年上で力もあるラクサスが傷を負うところなど見た事がなかったし、見たくもなかった。
唇をかみ締めても堪える事が出来なかった涙がこぼれる。
「逃げろ、ラクサ……ぐッ」
男の手刀がナツの首筋を打った。
意識を飛ばして地に伏せたナツの涙で濡れている目元を指で拭うと、男はその指を舌で舐めた。
「無理されて死なれたら困るんだよ。子竜ちゃん」
「とんだ変態だな」
貶す言葉に男は大して気にした様子もなくラクサスへと顔を向けると、低く喉で笑った。
「あながち間違ってないかもな。俺は結構守備範囲が広いんだ」
ラクサスが地に手をあてる。
「死ね」
ラクサスから発せられた雷が地を通って男の体を貫通した。
「ぐあっ?!」
「てめぇの能力が何だろうが関係ねぇんだよ。俺の雷は全てのものを捕らえる」
痺れる体を木で支えながら男が手を前に出すと、地面が盛り上がる。立ち上がるラクサスの体に巻きついていく土は次第にラクサスの体を包みこみ隠してしまった。
「絞め殺してやる」
男の手がゆっくりと握り締められていくとそれに連動しているように、土もラクサスの体を絞めていく。骨がきしむような音が聞こえ、男が勝ち誇ったように笑みを浮かべたが、土に異変が起きた。
「雷竜の……咆哮!!」
覆っていた土を吹き飛ばして雷撃が男へと向かう。
激しく渦巻くような雷撃は防ぎようもない。瞬く間に男へと直撃した。瞬時に土で防御をしたが雷はそれさえも貫いたのだ。
「そんなもんで防げると思ったのか」
ラクサスの口からは咆哮の名残の雷が漏れる。
ラクサスは地に伏せる男に近づいて、痙攣する体を足で蹴り上げる。低く唸った男はうつ伏せで転がった。
「おま、ドラゴン……がぁッ」
ラクサスの足が容赦なく男の頭を踏みつける。
雷を纏っていた足は強度を増し、男の頭が地面にめり込んだ。白目をむいて意識を飛ばした男を退かすように蹴り飛ばし、一息つくと思い出したように傷が痛み始めた。
傷のせいで熱をもつ右目に顔をしかめて倒れているナツへと近づく。
「手間かけさせんじゃねぇよ」
意識を飛ばしながらも苦しそうな表情のナツに手を伸ばすと、細い首に巻きついていた首輪を破壊して剥ぎ取った。
ラクサスの手の中で原形を失った首輪が地に落ちる。
暫くして正常な呼吸を取り戻すナツを見届け、ラクサスはナツに背を向け歩き出す。
ナツも共に連れていってもいいようなものだが、生憎とそこまでお人よしを演じるつもりもない。何より、他人に自分の怪我など失態を見せたくないのだ。ラクサスの姿は次第にナツから遠ざかっていった。
だいぶ日も落ちた夕刻、ナツが目を覚ました。
魔力をだいぶ吸われていて力が出ないのは変わらないが、首輪から解放されている分楽だ。
だるい体を起こして辺りを見渡せば、周りは少し地形が崩れ、自分を捕らえようとしていた男たちは傷を負った状態で転がっている。そして、近くには首輪の残骸。
「ラクサスだ」
はっきりとしない意識下でもちゃんと覚えている。ラクサスが助けてくれたのだ。そして、傷を負った。
「ラクサス!」
呼んでも返事もないし姿を確認できない。
男たちが倒れているという事はラクサスは無事なのだと考えていいだろうが、負った傷は深いように見えた。
ナツは立ち上がると体をふらつかせながらギルドへ向かった。本当なら場所など関係なく身体を休めたいが、ラクサスの安否を確認したかったのだ。
体を引きずるようにして歩くナツの姿に街の人たちは心配そうに声をかけたりするが、ナツはそれに対して応えている余裕はなかった。
「ナツ!?」
ギルドについたナツを迎えたのは、入り口で待ち構えるように立っていたカナだった。倒れそうになるナツの体を必死に支える。
「よかった、無事だったんだ」
安堵に溜め息をもらすカナに、ナツは苦しそうに荒々しい呼吸を繰り返しながらギルド内に視線をさまよわせる。
そこにはギルドの者たちがナツを心配して駆け寄ってきていた。その中に目当ての人物の姿はない。
「ラクサス、どこだ」
「え?」
カナが首をかしげる中、マカオがナツを抱え上げてると医務室へと運んでいく。
ベッドに寝かされながらナツはマカオの服をきつく掴んだ。
「マカオ、ラクサスどこに」
「馬鹿野郎!今は自分の心配しろ!!」
マカオの一喝でナツは口を閉ざした。
マカオも子供を持っている身として、幼い子供が弱っているのに平静ではいられないのだ。
マカオの強張る顔を見ているうちにナツは意識を飛ばした。ギルド内にいる事で気が抜けたのかもしれない。
ナツが眠っている最中、捜索に出ていたエルザたちが戻ってきた。ナツを攫おうとしていた連中のギルドが判明し、色々動きがあったようだ。
ナツが目を覚ました頃にはだいぶ落ち着きを見せていた、その間七日。
目を覚ましたナツは暫くぼうっと意識を漂わせたまま天井を見つめた。自分が何故ここにいるのか理解できなかったのだ。
正常に頭が働くようになって、ナツはベッドから抜け出た。歩こうとすると膝が折れて転んでしまったが、すぐに立ち上がり扉を開け放つ。
医務室から酒場に飛び出ると騒がしいいつもどおりの風景。辺りをめぐらすナツに声をかけたのはエルザだった。
「目が覚めたか。ナツ」
「エルザ……ラクサスどこだ?あいつ怪我してんだよ」
エルザの腕を掴んで訴えるナツにエルザはかすかに顔をしかめた。
「落ち着け、ナツ。お前体は大丈夫なのか?一週間も眠っていたんだぞ」
ナツは瞬きを繰り返した。
「一週間……」
「ああ。魔力の減りが尋常ではなかった。未発達なお前では回復にも時間がかかったんだ」
淡々と告げられてもナツは実感がわかなかった。魔力が減っていたとはいえそんなに睡眠をとる事が出来るのだろうか、その程度でしか話をとらえる事は出来ていない。
しかし、今は自分のことよりも気になる人物がいる。
「んな事どうでもいい!ラクサスどこだよ!」
「す、すまない。私は見て……」
いつものギルドの騒々しさ。その種類が変わった。馬鹿騒ぎしていただけのそれが、騒然となる。
弾かれた様に、ナツはエルザから手を放して騒ぎの方へと足を進めた。
「おいおい、ラクサスの奴どうしたんだ?」
「あの怪我……」
ナツが人だかりをかき分けて行くと、周囲を鬱陶しそうに顔をしかめながらギルド内に入ってくるラクサスの姿を見つけた。右目には真新しい傷がある。
「ラクサス!!」
ナツがラクサスへと駆け寄る。右目の傷を間近で見てナツの表情がくしゃりと歪んだ。
エルザが言っていた通り一週間もの時が経っているのなら痛みは引いているかもしれないが、見た目痛々しい。
「その怪我、オレのせいで」
「勘違いすんじゃねぇ。妖精の尻尾が舐められんのが気に食わなかっただけだ」
それでも、ナツを助けたときに負った傷である事に変わりはない。
「……オレが捕まんなかったら、お前だって怪我しなかったじゃねぇか」
ぐすりと鼻をすするナツに、ラクサスは溜め息をついた。
ナツだけでも面倒なのに今は野次馬もいるのだ。何やらとんでもない想像までしている者までいるしまつ。
ラクサスは目の前にいるナツの頭に手を置いた。驚いて目を見開くナツの頭をぐしゃりと撫でてやる。
「な、なんだよ」
ラクサスの予想外の行動に、出かけていた涙が引っ込んでしまった。
手が放された後も、ナツは目を白黒させて自分の頭を押さえる。
「くだんねぇ事言ってんじゃねぇよ。もう黙ってろ」
ナツは再び目頭が熱くなって、ラクサスに抱きついた。今度はラクサスが驚く番で、離さないとばかりに腰に手を回すナツに、身を引きそうになる。
「痛くねーのか?」
ラクサスの服に顔をうずめるナツの、くぐもった声が耳に届く。
ラクサスは少し間を置いて口を開いた。
「見れば分かんだろ。もう治ってんだよ」
「あと残ってんな」
「女じゃねぇんだ、この位でガタガタ言わねぇ」
暫く無言が続き、もう満足しただろうとラクサスがナツの後頭部を叩くと、それに反応したようにナツが顔を上げた。
「ありがとな。ラクサス」
もしラクサスが助けに来なければ、ナツは今頃考えるのもおぞましい事になっていただろう。魔力を封じられた状態がどれほど無力なのかを今回の事で知った、無防備なナツにはいい薬になったのかもしれない。
笑みを浮かべるナツの後頭部をラクサスの手が鷲づかみすると、隠すように顔を下へと向けた。引っ付いていたナツの体を離すと野次馬から抜けるように歩き出す。
「二度と掴まんじゃねぇ。次は助けねぇからな」
背後から浴びせられるナツの元気のいい返事。
それを耳にしてラクサスは口元に薄い笑みを浮かべるのだった。
2010,01,18