登校の2日目





目覚まし時計の音で目を覚ました。いる場所は自室のベッド上で、部屋には一人。
言葉を発しようと口を開いたラクサスは、なにも紡ぐことなく口を閉じた。ベッド横のカーテンを開けば、今まで遮られていた窓から陽の光が降り注いでくる。
常と変らない朝だ。平日で学校もある。数時間後には、いくつもの見知った顔と会わなければならない。退屈な日常が始まる。
ラクサスは脳裏に浮かぶ桜色を想い浮かべて、溜め息をついた。
夢だったのか。そう口にしようとしたラクサスだったが、ラクサスの言葉は、部屋の扉が開く音で止められた。

「やっと起きたか!」

年相応な、でも、己よりも少し高めの声。部屋中に響くほどの声は、朝に似つかわしくない音量なのに、妙に心地良い。
ラクサスはゆっくりと振り返って、部屋に入ってきた声の主を見やった。

「ナツ」

「おはよ!」

ラクサスの前まで寄ってきたナツは、にっと笑みを浮かべる。ラクサスは、一度言葉を詰まらせながらも、ゆっくりと口を開く。

「ああ」

おはよう。挨拶の部分は内心で呟いた。
夢だと思っていた。同じベッドで眠ったはずだったのに、その温もりが、目が覚めたら消えていたのだ。妙に現実味のある夢を見ていたのだと、非現実的な出来事だったから、なお更夢の可能性を高めていた。
しかし、今、ナツは目の前にいる。もちろん、幽霊という設定付きは変わらない。

「じっちゃん、さっき出かけたぞ」

「ジジィは仕事だろ。家にはあまりいねぇんだよ」

幼い頃から、ラクサスの祖父であるマカロフは多忙であった。以前は家政婦を雇っていたが、それもラクサスが身の回りの事が出来るようになるまでで、今は、たまに掃除で来るぐらいだ。

「なぁ、飯どうすんだ?菓子もなかったぞ」

「人ん家を漁るな」

ラクサスは着替えを後回しにして部屋を出た。後ろをナツがついて来るのをちらりと見て、台所へと向かう。

「なぁ、飯」

ラクサスは、キッチンと一体になっているリビングに足を踏み入れたところで立ち止まった。振り返って、同様に足を止めたナツを胡乱気に見やる。

「幽霊なのに何で腹が減んだよ」

「腹減ってねぇけど、食いてぇんだよ!」

ナツは幼い頃から大食漢だった。それは月日が経ち成長をとげても変わらない。昨夜の夕飯時のやり取りを思い出して、ラクサスは言葉を飲み込んだ。
昨夜は、珍しくマカロフも家におり、祖父と孫の二人の食事となっていた。それは傍から見た光景であり、ラクサスにとっては周りを動き回るナツが視界の端に映っていた。ラクサスが食事をとれば、横で口を開けて催促をしてくる。目の前には祖父がいる為、最初は無視していたが、それが不満だったのか、暫く経ってナツは横から顔を出して食事を横取りしたのだ。普通に咀嚼して飲み込んだナツに、呆気にとられたのはラクサス。

「どうなってんだ、この身体は」

脳裏をよぎっていた回想を止めて、ラクサスはナツへと手を伸ばした。頬を手のひらで数回軽く叩き、首から下をまじまじと観察する。
いたって普通である。己だけにしか見えないのが不思議で、幽霊という意識が持てない。何せ、ラクサスには触れることができるのだから。
どういう原理なのか。思わず顔をしかめたラクサスだったが、ナツと目が合い、ずっとナツに触れていたことに気付いて慌てて手を離した。

「何だよ」

口を尖らせるナツに、ラクサスは頬を紅潮させた。

「、飯にするぞ」

「……もしかして、ラクサスが作るのか?」

「他に誰がいるんだよ」

キッチンへと向かうラクサスの背をぼんやりと見ていたナツは、我に返ってラクサスに駆け寄った。
手早くエプロンを身に付けたラクサスは、冷蔵庫の中から卵を取り出し、興味深い視線を向けてくるナツを一度見やる。

「オムレツでいいか?」

問いながらもラクサスの手は、卵を割りボウルに落としていく。ラクサスの手元に顔を覗かせたナツは、ボウルの中で泳ぐ卵に目を輝かせた。

「すげぇな、ラクサス!」

「卵割っただけだろ……つーか、お前はテレビでも見てろ」

ラクサスは、学校に行かなければならない。食事の準備も考えての早めの起床だったとしても、そう余裕があるわけでもないのだ。ナツがいたのでは準備が進まない。
ナツがリビングへと行き、ようやく作業に取り掛かる。卵を溶き、調味料を入れながら、フライパンを火にかけた。熱するのを待ちながら、ラクサスはリビングにいるナツを見やる。
ナツはソファに座り、言った通りテレビを見ている。朝の時間帯ではニュースぐらいしかやっていないからだろう、ナツはクッションを抱きしめてソファに寝転がってしまった。

「狙ってやってんのか、あいつ」

いちいち動作が可愛く見えて仕方がない。
舌打ちをもらしたラクサスは、いつの間にか熱し過ぎていたフライパンに気付き、火を止めたのだった。
暫く経てば、キッチンから香ばしい匂いが漂いリビングにまで流れる。ナツが匂いをかぎ取ってすぐに、テーブルに食事が並べられた。

「すげぇ美味そうだ!」

「そりゃ、よかったな」

ナツの言葉に、他人事のように返しながらも表情が緩む。

「冷めないうちに食えよ」

「その前に……せっかくラクサスが作ったんだから、俺も手伝ってやる」

「手伝うも何もできてんだよ」

手伝うと言うなら片づけぐらいだ。
訝しむラクサスに、ナツはテーブル上に置かれているケチャップを手に取った。ラクサスが座ろうとしていた席へと回り、オムレツの上でケチャップを逆さにする。
何をしているのか。覗きこもうとしたラクサスだが、その前にナツが振り返った。もう作業は終えたようで、満足そうな猫目と間近であってしまい、ラクサスは思わず一歩後ずさりする。

「へへっできたぞ!」

己の席へと着いたナツから、ラクサスは己の分のオムレツに視線を落とした。

「っ、お前、何やって……」

オムレツの上にはケチャップでハートが書かれていた。ナツにしてはずいぶんと器用に書かれているそれに、ラクサスは思わず緩んだ口元を手で覆った。

「何って、ハートに決まってんだろ」

恥ずかしげもなく言い放ったナツの分のオムレツにも、ハートが描かれていた。おそらくナツは、オムレツにはケチャップでハートを描くのが普通だと思っているのだろう。ナツの父親イグニールならやりかねない。なんて言ったって親馬鹿だ、光景がありあり目に浮かぶ。
勝手に勘違いして動揺してしまった事が気恥ずかしく、ラクサスはきまり悪げに席に着いた。
ラクサスが座るのを待っていたナツは、スプーンを手に取った。

「いただきます」

食事の挨拶を言い終えるが早いか、ナツはオムレツをすくったスプーンに喰らいついた。
オムレツは半熟で、中にはチーズも包まれており、舌の上で一緒に溶ける。高校生が作るには上出来過ぎるぐらいだ。

「っうめぇ!」

スプーンを握りしめて満悦な表情を浮かべるナツに、ラクサスは頬を紅潮させた。

「……そうかよ」

ラクサスは照れを隠すように、食事を口へと詰め込み始める。祖父が家にいる事が少ないから、幼い頃から一人の食事は多かった。自分以外がたてる食器の音、前を向けば笑顔がある。その相手がナツだから、なお更、今の時間が心地良く満ち足りている。

「結構うまいな」

回数を重ねた料理は腕を上げていったが、今日ほどに味がよく感じた事はない。
ラクサスが呟いた声を拾ったナツは、満面な笑みを浮かべた。

「だよなっ」

やはりそうなのだ。
再び食事をかきこんでいくナツをぼんやりと見ながら、ラクサスの脳裏に幼い頃のナツの姿がよぎる。
昔は体が弱かった。そのせいでグレイには揶揄されたりもして思い出したくもないが、いつも手を引いてくれたナツとの記憶は別だ。グレイに苛められればすぐにナツが駆けつけるし、競争をすれば、最後になってしまう自分にいつも手を差し伸ばしてくれた。そして、手を重なった時に言うのだ「オレが一番だったからラクサスも一番な」と。わけの分からない理屈にグレイが突っかかてくるのが、毎度の光景だった。
ラクサスは、思わず笑みをこぼした。微かなそれも見事に捕らえたナツは、首をかしげる。

「なんだよ」

「何でもねぇよ」

ラクサスは眩しそうに目を細めるとナツへと手を伸ばした。きょとんとするナツの口元には食べかすが付いており、指で拭ってやる。

「ガキ」

指についた食べかすを舐めれば、ナツの頬に赤みがさした。一度俯き、窺うように上目づかいでラクサスを見やる。

「お前変わったな」

「当り前だろ」

どれほどの月日が経ったと思っているのか。ナツが引っ越してからは、つり合いたくて体も鍛えた。身長がナツを超えた事は、密かにだが喜んでいる程だ。

「ガキの頃とは違ぇんだ。もう、お前の助けはいらねぇよ」

グレイとも対等に張り合える。ナツの隣にも立てるし、今なら、きっと昔とは逆に手を差し伸べてやれる。

「そっか……」

食事を口にしようとしたラクサスの手は、ナツから漏れた声に止められた。ようやく吐き出した様な声は掠れており、視線を前に向けたラクサスは目を見開いた。

「そっか」

再度呟いたナツの笑みは、まるで似つかわしくない不器用なもので、そんな表情を見るのが初めてだったラクサスは、ナツが立ち上がるまで声すら発せずにいた。

「ごちそうさま」

やけに静かに聞こえる、椅子を引いた音。覇気のない声。
ラクサスが声をかける事が出来ずに目で追う中、ナツはリビングを出る手前で足を止めた。

「俺、邪魔なんだな」

「っお前、なに言って――」

「だって、いらねぇんだろ。……すぐ出てくからさ」

肩越しに振り返ったナツの瞳は潤んでおり、その言葉から、ラクサスは己の失言に気付いた。命を落としているのに、不安定にも存在している。そんな状況に置かれていて、不安なわけがない。先ほどの言葉は、ナツを否定している様にもとれる。

「いらねぇなんて、言ってねぇ」

助けられる立場から抜け出したいだけで、ナツの存在を否定することなど、過去一度もなければ、これからもあるわけがない。
ナツの戦慄く唇が薄く開くが、声を発する前にラクサスは言葉を繋げた。

「言わねぇから――」

顔を俯かせてしまったナツに、ラクサスは立ち上がりゆっくりと近づく。立ちつくしたまま身動きしないナツの頭に手を乗せ、引き寄せた。

「出て行くなんて言うな」

傾くナツの身体を支え、顔を胸に押しつける。
柔らかい髪が指の隙間をくすぐってくる。縋る様に伸びる手が控えめに服を掴んでくる。その一つ一つが、今の状況に不謹慎にもラクサスの鼓動を速めていた。
ナツからの言葉を待っていると、桜色が身じろいだ。手を退ければ、猫目が窺い見てくる。

「俺、一緒にいていいのか?」

「当り前だろ」

「明日もオムレツ食っていいのか?」

「ああ」

視線を絡めたままで、ほんのわずかな沈黙が訪れる。弱々しい瞳に捕らえられながら、ラクサスの視線は、間近にある唇に向いてしまった。言葉を発しようと薄く開いた唇に胸が跳ねる。

「じっちゃんの部屋にあった花瓶割っちまったんだけど怒らねぇか?」

不純な思考に邪魔をされて、ナツの言葉を理解するのに時間が要した。
全く関係ない話題に、次第にラクサスの眉間にしわが寄る。

「何やってんだ、お前」

「悪い」

力なく笑った目尻には涙が浮かんでいる。鼻まですすられては、咎める事はできない。
ラクサスは溜め息をついて、ナツの身体を離した。自室へと足を向けながら口を開く。

「おら、学校行くぞ。あいつらに会いてぇんだろ?」

「っおぉ!」

昨日の内に幼馴染四人の家へと訪れる予定だったが、日も暮れかかっていた為に断念したの。幼馴染の二人、ルーシィとグレイはラクサスと同じ高校に在籍しているから、登校すれば嫌でも顔を合わせることになるのだ。

ラクサスの身支度がすみ、二人は家を出た。一般的な登校には少し早く、同じ学校の生徒は見当たらない。

「なぁ、学校楽しいか?」

横を歩くナツからの問いに、ラクサスは内心首をかしげながら口を開く。

「楽しくはねぇよ」

素直に答えればそうとしか言いようがなかった。
出席日数と、勉学をそこそここなしていれば教師に咎められることはない。交友関係は多いとは言えないが、全くないわけではない。つまらない毎日を繰り返しているだけだ。ナツがいなくなってからは、そう感じるようになってしまった。
ラクサスの短い返答に、ナツは眉を落とした。

「苛められてんなら言えよ?俺が守ってやるからな」

「ガキじゃねぇんだって言ったろ」

「いあ、俺、お前の背後霊になろうと思ってさ」

「……それ守護霊だろ」

憑く気か。突っ込もうとしたが、今のナツ自身が幽霊であるのだから、すでに憑かれていると言っていいのかもしれない。考えても仕方がない思考はすぐに切った。
他愛もない会話をしながらの登校など、ナツがいなくなって以来だ。全てが戻ってきて、ナツに悪いと思いつつ、ラクサスの心は満ちていた。
ナツは地面を見つめながら、車道と歩道の境の白線の上をなぞる様に歩いている。それを横目で見やると、ナツが足を止め、見上げてきた。

「そういや、ラクサスってふたご座だったよな」

唐突な質問に、訝しみながらもラクサスも足を止めた。

「あん?何だ、急に」

「今日のふたご座は、ピンクがラッキーカラーなんだってさ」

朝食ができる間に見ていたテレビで占いがやっていたらしい。占いなど気にしたことはないが、ナツが自分の事を気にしてくれるなら、占いぐらい信じられる。
ラクサスはナツの頭をぐしゃりと撫でた。

「ちょうど、ここによく動くピンクがあるな」

手を離した直後、ナツに手をとられた。

「じゃぁ、今日はずっと一緒にいてやるよ」

にっと笑みを浮かべたナツは、ラクサスの手を握ったまま、止まっていた足を動かし始めた。
幼い頃に戻った様に、手を握りながら歩く。機嫌良く、ナツが手を揺らせば、繋がっているラクサスの手もつられて揺れる。
妙な気恥ずかしさに襲われても、ラクサスには手を振りほどけなかった。

「へへっいい事あるといいな」

な?
首をひねって見上げてくる猫目を直視できず、ラクサスの視線は前へと向く。

もう、あった。

内心だけで呟いて、手のひらから伝わる温度を握りしめた。




2012,03,07

あと少しで一年経つとこだった…設定とか今一覚えてなくて、ペーパーで書いたのとちょっと違う気がする。一年前の私は何を考えて書いていたのか。せめて、桜の開花時期とか調べてほしかった。まぁ、ギリギリどうにかなるかな?春休み直前あたりで、桜の開花が二週間近く早かったという事で(実際にそんなことがあったらしいしね!)
じわじわと進めよう。。。

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