歩きなれたアスファルトの道は濡れ、雨から守ってくれている傘はうちつける雨滴で音をたてる。いつもなら走りぬけていた道を、ゆっくりとした速度で歩んでいた。視線はつまらなそうに終始俯いており、たまに前方を確認する程度。だからこそ気付けたのだ、裏山への入り口の前を通った時、茂みから覗いていた物を。
丸い椀形に一本の太い棘のようなものがついている。手にとってみれば、コードが伸びており、茂みの中へと繋がっていた。

「何だ?これ」

コードを辿った視線を追って足も自然と動く。茂みを両手でかき分けて覗けば、手にしたものと同じ形ものが転がっていた。コードと繋がっており、そして、それとは比較にならない大きな影も転がっていた。
間違いなく人だ。身動きもしない人影は褐色のマントで姿は隠れているが、ただ、フードから零れている髪の色だけは確認できた。
雨と泥でくすんでいるが、金色だった。





雨上がり





一日中降り続いた雨は、明け方には止んでいた。カーテンが開いたままだった窓から差し込む日差しに、窓際に設置されていたベッドで眠っていた瞳が開く。光に目を慣らしながらゆっくりと開いた目は、金色。
目の持ち主ラクサスは、横になったままで、部屋の中を探る。

「どこだ、ここは」

正面に目を向ければ見慣れない天井。上体を起こして、窓から外を覗いてみる。見覚えのない景色に眉をひそめた。
一番最後に残っている記憶を脳内から引き出していると、部屋に設置されている扉が音をたてた。反射的に振り返ると、開いた扉から顔を出したのは見知った人物。

「ラクサス、起きたのか!」

桜色の髪と猫のようなつり上がった瞳。

「……ナツ?」

困惑しながらも名を呼べば、ナツは瞳に涙を浮かべながら駆け寄ってきた。飛びつくように勢いのまま抱きついてきたナツの腕が、首に回される。頬を撫でてくる桜色の髪に、ラクサスは体を硬直させた。
処理しきれない状況に直面すると、思考も停止するものだ。今のラクサスは、まさにそんな状況だった。
時間にすればほんの数秒だったろうが、ラクサスには長く感じた時間。我に返った耳に時計の指針の音が響いてきた。タイミング良くナツの身体が離れる。ベッドの軋む音と同時に体温が離れ、変わりに猫目と視線が合う。

「腹減ってんだろ、なんか持ってくるな」

出て行こうと背を向けるナツの腕を、慌てて掴んだ。

「ちょっと待て」

肩越しに振り返ったナツの瞳は少しだけ見開かれている。引きとめることが目的で伸ばした手は、ナツが振り返ろうとしたと同時に自然と離れた。

「何食いたいんだ?」

食事のリクエストと勘違いしたナツの問いを無視して、ラクサスは口を開いた。

「ここは、どこだ。何でお前がここにいる」

半ば睨む様に厳しい目を向ければ、ナツは困惑したように眉を落とした。それでも、ラクサスが引く事はないと分かって、ナツは内心で首をかしげながらゆっくりと口を開く。

「ここは俺の家だし……何でって言われてもなぁ」

心底困ったと、難しそうに顔を歪めて腕を組んだ。呻りながら首をかしげる姿に、ラクサスは信じがたいとばかりに口を開く。

「んなわけねぇだろ。大体、てめぇの家がこんな綺麗なわけねぇんだよ」

ナツの性格から考えた勝手な想像である。ナツの家の外観は見たことがあるが、中に入る程に仲が良いわけでもないし興味もない。
ラクサスの言葉に、ナツの口元は不快に歪んだ。

「バカにすんな!それに、ちゃんと片付けてねぇと父ちゃんに怒られるんだよ」

父親という単語にラクサスの瞳は訝しさを強くした。ナツの父親は竜でナツが幼い時に姿を消した。ドラゴンの存在自体を自身で確認した事はないが、ナツの話ではそうなっていたおり、父親と再会という目的は果たせていないはずだった。

「……おい、ハッピーはどうした」

常といっていい程にナツと共にいる青猫の存在が確認できていない。確認するラクサスの言葉に、口を尖らせていたナツの表情がぱっと輝いた。

「ちゃんとあるぞ!ラクサスが誕生日にくれたもんだからな、大事にしてるぞ!」

記憶とかみ合っていない会話にラクサスは思考が絡まる。整理しようと思案に沈もうとするがナツの視線でそれは遮られた。穴が開く程に見つめられ、何だと目で問えばナツは口を開く。

「帰ってくるなら連絡しろよな。そしたら、ケーキとか色々準備できたじゃねぇか」

不満げな口調の割には、頬は緩んでいて咎めているようには見えない。

「どれだけ会ってなかったんだ?ラクサスが留学したの高校卒業してからだったから……まぁ、いいや」

指折って数えていたナツだったが眉をしかめたと思えば、すぐに諦めてしまった。計算が不得手なのだと分かる。
ナツはすぐに思考を切りかえ、満面の笑みを浮かべた。

「へへっ、おかえり、ラクサス!」

酷く嬉しそうな顔と声は、ラクサスから否定や拒否の言葉を奪うのは容易かった。
部屋を出ていくナツを見送って、ラクサスは溜め息をついた。話しが食い違っていることで居心地の悪さと違和感で気分が悪くなる。

「可能性は二つか……」

一つは、あのナツが、変身魔法で姿を変えた別人であるという仮定。しかし、成りすますにしては雑だ。狙いがあるのなら、変身する相手の性格や対人関係の把握は当然であり、騙す相手が赤の他人なら別だが、ラクサスは同じギルドの人間だった上に、二人とも顔が広く知れていたのだから。
もう一つ、現在の状況につじつまが合う推測は、今居る場所が並行世界だということ。ギルドの人間であるミストガンの姿が脳裏に浮かび、可能性を強めた。彼は、元評議員だったジェラールの並行世界の姿。その事実を知ったのはいつだったか。思考が逸れそうになって、ラクサスは思考の軌道修正をする。

「魔法なら別かもしれねぇが、夢ってのはありえねぇな……」

夢や幻、魔法として可能性はあるが、かけられた覚えもなければ、そんな隙など作るはずがない。とりあえず、可能性のある二つの推測の内、企みがある敵なら倒し、並行世界であるなら方法を見つける。
待つ間もなく、すぐに扉は開かれた。

「できたぞー」

戻ってきたナツの手には皿の乗った盆があった。湯気を上げて皿に乗っているのは炒飯。食欲をそそる香ばしい匂いに、今まで意識してなかった空腹を自覚させられる。
得意気に盆ごと差し出してきたナツに、ラクサスは意外とばかりに目をむいた。

「作ったのか?」

意外な特技もあったものだと、ラクサスの記憶の中にあるナツの性格や言動では予想外としか言いようがなかった。

「冷凍だけどな。あっためるの上手いって父ちゃんに褒められたんだぞ!」

ナツが差し出したのは冷凍食品を温めたものなのだが、ラクサスの知識に冷凍食品は存在しなかった。喋ってる内容から温めるだけの簡易食料だとは察する事が出来たので、ラクサスは納得して、盆上に乗ったスプーンを手に取った。
一口分の炒飯をすくい、警戒することなくスプーンを口元付近まで運んだところでラクサスは動きを止めた。目の前まで迫っていた誘惑をナツへと差し出せば、まるで打ち合わせでもしたようにナツは食いついた。
ラクサスは、ナツの口からスプーンを引き抜き、口を動かすナツを観察する。

「あ、食っちまった!」

飲み込んでからようやく気付いてナツは衝撃を受けている。

「それ、ラクサスの分だぞ!食っちまったじゃねぇか!」

非難の言葉を浴びながら、ラクサスはナツから炒飯へと視線を移す。薬か何かが混入している可能性を考えてナツに毒味をさせたのだ。反射的に行ったであろうナツの行動は別として、体内へ取り込んでもナツに何ら別状はない。

「聞いてんのか、ラクサス!」

耳元でわめくナツを無視してラクサスはようやく食事を始めた。
暫く続くだろうと思っていたナツの喧しい声は、ラクサスが口を動かし始めたことで止まった。視線を向ければ、ナツの落ち付かない瞳と合う。まさか、予想通り薬でも盛られていたか。危惧して、飲み込みそうになったものを吐きだそうとしたが、その前にナツが口を開いた。

「美味いか?」

予想外の言葉に、ラクサスは思わず口の中のものを飲み込んでしまった。己の失態を悔やむことはなかった。ただ、返答を待って見つめてくる猫目に、ほんの少し罪悪感が沸く。
ラクサスは、炒飯をもう一口口に放り込んだ。

「まぁまぁだ」

ナツがしたのは温めるだけだが、味はいい。ふと思い出したギルドの食事には劣るが家庭料理としては二重丸だろう。これが簡易食料なら、申し分なくいい商売にもなるだろうと、どうでもいい感心さえしてしまった程だ。
美味いとはっきり言わないのがラクサスの性格で、ナツはそれを知っているのか、照れ笑いを浮かべた。
ナツの笑顔を横目で見たラクサスの中で、罪悪感がじわりと大きくなっていく。毒のようにしみ込んでくるそれを無視して、ラクサスは炒飯をかきこんだ。
一人分の炒飯はあっという間にラクサスの腹へと消えた。空になった皿は盆ごとベッド近くの床に置かれた。その隣ではナツが正座しており、ラクサスはベッドから足を投げ出す形でナツと向かい合って座っていた。

「ラクサス、怒ってんのか?」

上目づかいで窺ってくる猫目に、ラクサスは眉を寄せた。ラクサスの知っているナツはしおらしい態度などとらない。どちらかといえば今の状況に文句を言って勝負を挑んできかねない。
訝しむラクサスの表情を肯定ととったナツの表情がくしゃりと歪む。

「ご、ごめん……」

覇気のない声が謝罪の言葉を紡ぐ。素直な態度に、ラクサスは溜め息をついて強張る表情を戻した。

「怒ってねぇから、顔上げろ」

「……ほんとに怒ってねぇのか?」

頷けば、ナツが顔を上げた。数秒前の曇っていた表情から一変して緩みきった顔だ。違和感を拭えなくとも顔に出せば、また話しが止まってしまう。
ラクサスは再び溜め息をついて気持ちを切り替えた。

「お前に聞きたい事がある。まず、ここはどこだ」

「俺の家」

そうだったとラクサスは言葉を詰まらせた。目を覚ました時に同様の質問をして返答されたのだ。しかし、聞きたい事はそんな簡単な事ではない。

「質問を変えるぞ。ここは、アースランドか?」

「……それ、店の名前か?」

瞬きを繰り返すナツからは偽りは感じられない。アースランドという単語すら耳にした事がないのだろう。そうなれば、ラクサスが建てた仮設の一つが当たったことになる。

「めんどくせぇ事になったな……」

内心で舌打ちをして、ナツへと目を向ける。

「お前、俺が今まで何してたって言ってた」

正しくは、並行世界であるこの世界のラクサス≠フ事だ。
ラクサスの問いはナツには理解しがたいものらしく、自然と眉が寄った。しかし、ラクサスが黙って答えを待てば、ナツは口を開かざるを得ない。

「ラクサスは留学してたんだろ?」

「リューガク?」

「だから、外国に勉強しに行ってたんだろ!一緒に行きたかったのに連れてってくれなかったじゃねぇか」

口を尖らせて不満を強調するナツの言葉に、そうだったなと適当に頷いて、脳内で情報を整理する。
ラクサス≠ヘ外国に行っていて、すぐに会える場所にはいない。アースランドに帰る方法を見つけるまで、こっちの自分だと偽って過ごせば問題はない。運悪く本人が帰って来なければだが。

「なぁ、ラクサス」

思案に沈んでいたラクサスは、不安そうに落ちたナツの声に我に返った。ナツはきゅっと唇を引き結んでおり、目が合うと俯いてしまった。怪しまれたかと危惧するラクサスの内情とは違って、ナツは小さく声をもらす。

「また、遠くに行くのか?」

ナツは連絡もなくラクサス≠ェ帰って来たと思っている。ラクサスには、二人の関係は分からないが、ナツが非常に懐いていることが言動からうかがえる。その方がラクサスにとっては都合がよいのだが。
返答せずにいると、ナツがちらりと見やってきた。
ラクサスはナツの頭に手を伸ばすと、髪をぐしゃりとかき混ぜた。見た目とは違って、予想外にも柔らかい桜色の髪。手を放せば、驚いて見開いた猫目と合う。

「当分はここにいてやるよ」

ナツの瞳が潤んでいるのが分かる。目尻に浮かんだ瞳を隠すように一度俯いたナツは、飛びつくようにラクサスに抱きついた。腰に手を回して、押しつけるように顔を腹に埋める。
ラクサス≠ヘ分からないが、ラクサスには男に抱き疲れて喜ぶ趣味はない。顔を引きつらせていると、ナツが顔を上げた。

「ラクサス!」

「……何だよ」

「今度こそ約束破るなよ!」

絶対だからな。
念を押すナツの瞳は真剣で、ラクサスの脳裏に数日前のアースランドのナツ≠フ姿が蘇えった。バトル・オブ・フェアリーテイルで、何度も立ち向かってきたナツ≠フ姿。状況は全く違うのに、瞳が持つ強い光は世界が違っても変わらないのか。
先ほどまで抱きつかれて不快だった気分は、いつの間にか消えており、ラクサスの手は自然とナツの頭に伸びていた。

「分かったよ」

約束が何なのか、ラクサスは分かっていなかった。軽い気持ちだったのだ。ナツはラクサス≠ェ再び留学することを嫌がっていたから、その程度だと思っていた。ラクサスにとっては、暫く身が置ける場所があればよかっただけなのだ。
まさか、他の感情が混ざることなど予想もしていなかった。

「……そういや、この服はなんだ?」

着ていた物と違うと、今更ながら気がついたラクサスの問いに、ナツはラクサスから体を放しながら口を開いた。

「父ちゃんの服だ。すげぇ汚かったから着がえたんだ」

「着がえたっつーか、お前に脱がされたって事か」

自分が着せかえられる光景を想像して、ラクサスはげんなりと顔を歪めた。意識がなかったとはいえ、いい年をして、よりにもよってナツにひん剥かれたのだ。どこまで脱がされたのかとズボンを引っ張れば、下着さえも他人のものだった。

「下もか……」

機嫌が悪くなるというよりも、衝撃が強すぎて言葉も出ない。
恨みがましい目でナツを見やれば、ナツの頬が紅潮していることに気付いた。

「ラクサス……す、すげぇんだな」

「やめろ」

紅潮した頬と、今から続ける言葉を。そう含ませた一言だったのだが、ナツには伝わっていなかった。
顔を青ざめさせるラクサスにナツは首をかしげる。恥じらうように落ち付きなく体を揺らしながら、耳を塞ぎたい衝動にかられるラクサスに気付かずに、ナツは口を開いた。

「すげぇ筋肉だったぞ!」

「……あ?」

好奇心で輝く瞳に、ラクサスの思考が追い付くのにわずかに時間が要した。ナツの口から発せられたのは、予想外にも無難な言葉だった。

「前はそんなんじゃなかったろ!留学するとそんなになるのか!」

ラクサスは肯定も否定もする事が出来なかった。それ以上に、ナツの言葉を誤解して、下品な発言をすると考えた事が決まり悪い。

「俺も留学してみてぇなぁ」

幼い頃からギルドで仕事をしていた為に、ラクサスは体を鍛える事を欠かさなかった。それ故に得た体格なのだが、ナツは勝手に納得している。
勝手に勘違いしているナツを放って、ラクサスは必要以上な疲労感に溜め息を吐いたのだった。




2012,02,05

summerのラク兄さんバージョン。ただ、季節は夏じゃない。破門になって間もなく。秋口か。S級試験が12月なので、11月あたりがよろしいか。

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