理想と現実





ゼレフの家へと招かれ、乱雑だった髪を整えられたナツは、己の短くなった髪を鏡越しで見つめ、小さくため息を落とす。

「髪なら、すぐに伸びるよ」

背後から、ゼレフがナツの両肩に手を置き言葉をかける。しかし、ナツは俯いてしまった。
そのまま黙りこむナツに、ゼレフは眉を落とす。

「そんなに会いたい?」

「あい、てぇ……会いてぇ!」

勢いよく振り返ったナツの瞳から、必死さが伝わる。

「外の人間に?」

ゼレフの低い声に、ナツはびくりと体を震わせた。
経緯など話さなくても、ナツが島の外へ泳ぎに出ているとゼレフも知っているのだ、会いたいとなれば必然と外の人間に結びつく。

「島の外に出る事は目をつぶっているけど、人間と会うのは感心できない」

ゼレフもポーリュシカ同様、決して人間を良くは言わない。そして、その時の目は悲しみと悪意が混ざっている。
ナツは物心つく頃には島の中にいたから、何故二人がそうまで人を敵視しているのか分からない。
ただ、今胸を占めている想いだけは押さえることはできなかった。

「でも俺、ラクサスにもう一度会いてぇ……会って話ししてみてぇんだ!あの髪にもう一度触りてぇ!」

ナツは左手で己の右手を掴んだ。ラクサスの髪に触れた右手は、指先から熱が広がっていくようだ。

「すげぇキレイだった」

夢うつつのように呟いた掠れた声。無理だと分かっていても、渦潮の中さえ飛び込んでいきそうだ。それこそ命をかけても。

「必ず帰ってくるって、約束してくれる?」

ゼレフの言葉に、ナツは顔をあげ、頷く。

「分かった……付いてきて」

諦めたように呟いて背を向けると、ゼレフは家を出ていき、ナツも慌てて後を追った。
森を抜けながら、ナツの脳裏にポーリュシカの姿が浮かぶ。木々の間から覗いた太陽が時間を知らせており、常ならばとっくにポーリュシカが目覚めている時間だ。
小屋を抜けだした事を知ったら怒るだろう。そう考えていたナツは、足を止めたゼレフの背にぶつかってしまった。

「、着いたのか?」

ゼレフが肩越しに振り返る。ナツは、ゼレフ越しに目の前に広がる景色を見やった。ナツが多く利用していたのとは正反対の位置にある岸。
渦潮は島全体を囲っており、どの場所からも抜けるのは不可能のはずだ。
どうするのか。目で問えば、ゼレフは岸へと顔の向きを戻した。

「まだ間に合うな……干潮の間だけ渦潮が消える場所があるんだよ」

「消える?」

「ずいぶん昔に天狼島の岸が沈み、その地形で渦潮ができている事は知っているよね。他よりもわずかに浅瀬なところがあって、干潮時に水位が下がることで渦潮が消えるんだ」

ナツはゼレフの横を通り、波打ち際まで足を進めながら海面を見つめる。渦潮が発生している海面の一部分が、まるで抜け道のような穏やかに揺れていた。

「ほんとだ」

「あの場所なら泳いでいけるよ」

隣に立つゼレフに、ナツは振り返った。

「ありがとな、ゼレフ」

先ほど見つけた時のナツの瞳は涙で覆われ潤んでいたのに、今は希望で輝いている。
ゼレフは困ったような笑みを浮かべると、懐に手を差し入れた。再び出された手には、小さな小瓶が握られている。

「ナツ、いくつか約束してほしい」

「約束?」


訝しむナツにゼレフは無言で肯定を示し、口を開く。

「三日で帰ってくること。これを一日に一回、三日間三回に分けて飲むこと」

ゼレフは取り出した小瓶をナツの手に握らせた。指でつまんだ小瓶を物珍しげに見つめるナツに、ゼレフは続ける。

「最後に……君が会いたがっている人間、ラクサスという男に、決して自分の気持ちを打ち明けないで」

ナツは、小瓶からゼレフへと視線を移す。

「気持ち?俺が助けたこと、言っちゃダメって事か?」

ナツが首をかしげるが、問いに対しての答えはゼレフの口から出る事はなかった。
ナツは戸惑ったように小瓶を指で弄び、小さく頷いた。

「分かった、約束する」

「ポーリュシカは僕がうまく誤魔化しておくよ。さぁ、水位が上がってしまう前に行っておいで」

「おお!行ってくんな!」

小瓶をポケットにしまい、ナツは海へと飛び込んだ。目立つ桜色の頭、しばらくしてすぐに海面へと消え、ナツの姿は確認できなくなった。
海を眺めていたゼレフは、視線落とす。

「信じてるよ、ナツ」

届かない声を落としながら、心の中で謝罪する。
ナツは自分の中に生まれてしまった恋心に気付いていない。それなのに、先に釘をさし、半ば無理やりに約束させたのだ。
再び心の中で謝罪を言葉にしながら、ゼレフは海へと背を向ける。

「想いを告げてしまったら、君はきっと帰っては来ないから……」

三日後にナツが帰還する事を信じて、ゼレフは森へと足を向けた。今はポーリュシカを誤魔化す方法を考えなければならないのだ。










事故の翌日である昨日は部屋から出る事なく過ごしていたラクサスは、海岸へと来ていた。ゆっくりと砂を踏みしめながら歩く。
目的場所があるわけではなく、たまに足を止めては海へと視線を向ける、それを繰り返していた。
頭部の怪我はたいしたことはなく、事故などなかったように何も残らなかった。
時間はまだ早く、海岸へ来ている物はラクサス以外いない。静かな分、砂を踏みしめる音と、波の音がより大きく聞こえる。
何度目かの足を止め、ラクサスは海へと目を向けた。その瞬間、穏やかだった海面から鮮やかな色が顔を出した。
ピンク、桜色と表すのがしっくりくる色。それは髪の毛だと遠目でも分かり、その持ち主は顔を半分出した状態で岸に向かって泳いでくる。
ラクサスは言葉を忘れたように息をのみ、海へと駆けだした。
靴の中に海水が入り、服が濡れて重みを増しても気にする余裕もなく、激しく音を立てながら桜色に向かう。
ようやく目的地が見える場所まで来たナツは、乱れた呼吸のまま足の届く場所まで泳ぎ進める。
胸辺りまで海から出す事が出来たナツは、近づいてくる音に気付き顔を上げた。
髪と同色の瞳がラクサスを捕らえる。

「あ……」

ラクサスを見つけた瞬間ナツの表情が緩み、距離をつめたラクサスはナツの腕を掴んだ。

「見つけた」

瞬きを繰り返すナツの身体を捕らえるようにきつく抱きしめる。
しかし、ナツが状況を把握しようと頭を働かせている間に、ラクサスはナツから体を離した。
ナツの髪をすくい取り、まじまじとナツの顔を見つめる。

「な、なんだ?」

間近に金色がある上に触れられているという事実が、ナツの鼓動を速める。
ラクサスは困惑するナツの手を引いて、岸へと向かった。
少しずつ海から出て体が露わになる。濡れた服が肌に張り付き、体格がはっきりとした。
砂浜に足を踏み入れたラクサスは、ナツに向き合うと、見て分かる程に落胆を表情に露わした。

「男か……」

「なにか変か?」

己の身体に視線を走らせるナツに、ラクサスは深くため息を吐いた。

「人違いだ」

「あ?なんだ、そりゃ!」

ラクサスの態度はナツに怒りを生ませ、先ほどまで高鳴らせた胸を嘘のように消し去った。
睨みつけてくるナツに、ラクサスは顔をしかめり。

「俺が探してるのは、お前と同じ髪の色した女なんだよ。そんな短くねぇ、長い髪だ」

「なっ、お、俺だって……」

長かったんだ。
反論しようとしたナツは、口を開いたままで固まった。

『決して自分の気持ちを打ち明けないで』

ゼレフの約束の言葉が脳裏をよぎったのだ。気持ちという言葉が表している意味がナツには理解できていない。
助けたことは言ってもいいのか。島の事は元から口外してはいけない。髪を切った事はどうなのだろう。
何が言っていい事なのか、ナツには判断ができなかった。
混乱する頭にうんうん唸っていると、ラクサスが小さく息をついてナツに背を向けた。歩きだすラクサスに、慌てて手を伸ばす。

「待てよ、ラクサス!」

「、何で俺の名前を……!」

「おわ!?」

ラクサスの服を掴んで引いた瞬間、砂に足をとられてナツの身体が傾く。背後に倒れるナツと共に服を掴まれているラクサスも転倒し、大きな水しぶきを上げて二人は海に体を投げた。
水際だから溺れる事もないし、痛手もない。しかし、転ばされた事はラクサスに苛立ちを生ませた。

「ガキ!なにしやがる……」

体を起しながら低く呻るラクサスは、上体を起こしたまま身動きしないナツに眉を寄せた。
ナツは声もあげずに、己の足を押さえており、それがどういう意味か分からないわけもなく、ラクサスは舌打ちをもらした。
歩けるけど足が痛い。そう言われ、ラクサスはナツを連れてホテルへと戻った。
常のラクサスならば面倒事は御免だと放っておくところだが、後で騒がれた方が面倒になる。ラクサスは仮にも御曹司という立場であり、問題が起きれば会社の名前も出る。それは避けたかったのだ。
呼びつけた医者に診せれば、軽い捻挫と診断された。
ナツはソファに身を預けながら、手当てされた足首に視線を落とす。先ほどまで居た医者には、泳ぐ事はもちろん、完治するまでは安静するようにと告げられた。

「三日で治るかな……」

ゼレフとの約束は三日間。その間に治らなければ、泳いで移動しているナツは島へ帰る術がない。
つまらなそうに足をぶらつかせていると、濡れた服を着替えてきたラクサスが部屋に訪れた。

「お前、家はどこだ」

「い、家?」

「送らせるから場所を言え」

口外してはいけない、天狼島。送ってもらう事事態が無理だ。
見下ろしてくるラクサスに、ナツは視線をさ迷わせた。頭を悩ませた結果、ナツは俯いたまま、窓から見える海を指さす。

「あっち」

「……馬鹿にしてんのか、てめぇ」

不快に顔を歪めるラクサスに、ナツは顔を上げると、吊り上げた目で睨みつける。

「あっちはあっちなんだよ!」

「住所も言えねぇガキか、あァ?」

一触即発の雰囲気で睨み合う二人。そこに一人の訪問者が現れた。ノックもなしに開かれた扉、向けられた二対の目に映ったのはミラジェーン。

「外まで聞こえたわよ」

ミラジェーンは笑みを浮かべながら二人へと近づく。ナツへと視線を向けて、首を傾けた。

「怪我は痛む?」

「薬飲んだから平気だ」

「よかった。ラクサスに乱暴されたのよね、かわいそうに」

「妙な言い方するんじゃねぇ」

誤解されるような言い方に、ラクサスは怒りを通り越して脱力した。
ミラジェーンは、まるでラクサスなど視界に入らないかのように、視線を向けることはない。
見つめてくる視線にナツが首をかしげると、ミラジェーンは笑みを深めた。

「もしよかったら、泊っていかない?私達もまだここにいるつもりだし、怪我をさせたままで帰すわけにはいかないわ」

「おい、なに勝手なこと……」

「あ、ご家族に確認しないとダメよね」

勝手に進んでいく話しにラクサスが反論しようとするが、ミラジェーンは耳を貸す事なく、携帯電話をナツへと差し出す。
ナツは、携帯電話をじっと見つめて首をかしげた。

「小せぇ無線だな」

ナツの発言にミラジェーンは固まった。ラクサスも見開いた目でナツを見やる。
携帯電話を受けとり、物珍しげに眺める。そんなナツの姿に、硬直から溶けたミラジェーンが口を開く。

「それは無線じゃなくて携帯よ」

「けったい?」

天狼島には電波が届かない。電話もなければ、島の外の情報が薄いナツには携帯電話や最新機器の知識は全くなかった。
きょとんと首をかしげるナツに、ラクサスは唖然としながら声を落とす。

「お前、本当にどこから来たんだ」

「……あっち」

目をそらしながら、窓の外を指さすナツに、ラクサスは溜め息をついた。それは諦めでもあり、ミラジェーンの案の承諾だった。

「これじゃぁ埒が明かねぇ。部屋は用意する、怪我が治るまでここに居ろ」

立ち上がったラクサスは、そのまま部屋を出て行ってしまった。
それを見送ったナツは、つまらなそうに口を尖らせる。

「なぁ、あんな奴なのか?」

「あんな奴って、ラクサスのこと?」

ミラジェーンは困ったように眉を落とすと、口を開く。

「そうね、言葉が乱暴なところがあるわね。でも、悪い人ってわけじゃないのよ……怖い?」

窺ってくるミラジェーンの目に、ナツは顔を俯かせた。

「怖くねぇけど、思ってたのと違った」

足首に巻かれている包帯を見つめつナツの脳裏に、綺麗は金糸の髪が過る。
綺麗だと思っていた。実際に近くで何度見ても、同色の瞳も綺麗だと思える。声も低く、鼓膜を震わせてくる。
でも、中身だけは想像とかけ離れていた。

「キレイなのに、性格悪ぃ」

顔を歪めるナツの口から発せられた言葉に、少し間を置いてミラジェーンから笑い声が上がったのだった。




2011,08,31


島のみの生活だったナツには一般常識というものがないので、まァ何でもいいかなぁと。
ナツの、綺麗発言はミラジェーンのツボに入ったようです。
髪(色?)フェチ過ぎるラクサス。


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