追憶





クエストで数日間家を空け、予定を一日過ぎての帰還だった。
明かりの付いていない部屋、そのベッドの上には不自然な塊。いつもはないそれに、ラクサスは予想がついていた。
ラクサスはベッドに近づき、膨らみを作っている布団をめくった。

「いつから来てた」

姿を見せたのは、ナツ。
ナツは丸くなっていた体を身じろぎ、隠すようにシーツに押しつけていた顔をラクサスへと向けた。

「……きのう」

泣きはらした目と掠れた声。
ラクサスはベッド端に腰かけてナツへと手を伸ばし、少し湿っている頬を撫でた。

「情けねぇツラしてんじゃねぇよ」

昨日は七月七日。毎年、ナツが訪れてくると分かっているから、それまでに仕事を終える予定だったのだ。

「かえって、こねぇかと思った」

ナツはしがみ付くようにラクサスの腰に腕を回した。存在を確認するように腕に力を込める。
ラクサスが頭を撫でると、ナツは顔を押しつけながら小さく呟く。

「ラクサスは、俺のこと、おいてかねぇよな」

七月七日は、ナツの養父である竜イグニールが姿を消した日、その日だけは、常に明るいナツの光が陰る。だからラクサスは、側にいてやろうと決めていたのだ。
仕事に出た事を内心後悔していると、返事を返さないラクサスに不安になったのか、ナツがゆっくり顔をあげた。

「おいてかれると、痛ぇんだ……」

側にいてくれ。
絞り出した声と共に、涙が零れる。
その姿に、ラクサスは眉をひそめ、腰をかがめた。縋るような瞳を見つめながら、唇に触れるだけの口づけを落とす。

「置いてかねぇよ」

縋りつくナツの身体を強く抱きしめながら、ラクサスは己の心の中だけで誓いの言葉を繰り返した。違えることのないように。
そう、決して破ってはいけない約束をしたのだ―――――。







ナツが現れてから、妙に現実味のある夢を見るようになった。今朝見た夢を思い出し、ラクサスの思案は夢の内容で染まる。
目の前で起こっているわけでもない夢のはずが、ラクサスは、目が覚めてから落ち付かない気分と同時に、胸が締め付けられるような感覚に襲われている。
ナツと共に過ごした、わずかな日数。その間で、自身でも自覚できる程にラクサスの中でナツの存在が大きくなっていた。
ナツは昨日までと変わらない様に過ごし、先ほどまでは牧場の夫婦の元へと別れを告げに行っていた。
昼過ぎの今、戻ってきたナツが使用していた部屋から荷物を持って降りてくる。

「もう少し、居られないの?」

キルシェが寂しそうにナツを見つめる。

「仲間にも黙って来ちまったから、早く帰らねぇと。ありがとな、キルシェ、すげぇ楽しかった」

「ナツくん……」

じわりと涙を浮かべるキルシェにナツは笑みを浮かべ、キルシェの隣に立つラクサスへと視線を移した。
ナツが手を招くと、ラクサスがそれにつられて顔を寄せる。
ナツはラクサスの腕を掴み、より接近したラクサスの耳に口を寄せた。

「キルシェの事いじめんなよ」

耳元で囁かれる声に、ラクサスは横目でナツに視線を向け、桜色の頭を見つめる。
ナツは少し間をおいて、続けた。

「絶対、キルシェの事おいて行ったりするな」

ナツの手の力が緩み、ラクサスとナツの距離が開いた。漸く見る事ができたナツの表情に、ラクサスは目を見開く。

「痛ぇからさ」

――――置いてかれると、痛ぇんだ

泣くのを堪えた様なナツの表情は、ラクサスから言葉を奪うのは十分で、ナツの言葉は、再び脳裏に夢の内容を甦らせた。
出ていくナツを引き止める事など、ラクサスにできなかった。それだけ、ナツの言葉の力は大きかったのだ。
短い別れの言葉と共に、ナツは惜しむ様子もなく、早々に家を出ていった。
ナツが出ていき家の中は静まり返った。二人が歩いても騒がしい足音などたたないし、会話をしても、家の中に響く程の笑い声はない。
ナツが奏でていた音がなくなり、漸くそれが心地良いものだったと気付く。

「ラクサスさん」

座りこんで、どこか遠くを見つめるラクサスに、キルシェが声をかける。
振り返ったラクサスに、キルシェは苦笑した。

「静かになっちゃったわね」

家の中を見回すキルシェに、ラクサスは立ち上がった。

「少し、出てくる」

返事を返さないキルシェの気配だけを背後に感じながら、ラクサスは家を出た。見回るように村を歩きながら、思案にふける。
ナツは、もう森を抜けたころだろうか。まだナツは出ていったばかりだ、今追えば間にあう。
脳内を占めるのはナツの事ばかりで、二度と会えないと考えれば焦燥感に襲われる。

「ナツ、もう一度お前に……」

ラクサスが森へと視線を向けた瞬間、爆発音のような騒音が響き渡った。それと同時に、森から鳥が逃げる様に飛び立っていく。
森を眺めているラクサスは、耳鳴りと同時に激しい頭痛に襲われ、力が抜けたようにその場に膝をついた。

「ッなんだ一体」

頭を押さえながら立ち上がると、ラクサスは森へと足を向ける。
背にしている村からは、悲鳴や慌ただしい音が聞こえる。それを耳にしながら、森の奥へと足を進めた。







村を出て森を突き進み、暫くすれば森の出口が見えてきた。初めて森へと入った時は道が複雑に入り組んでいて行き倒れた。餓死寸前でラクサスに拾われたのだ。
たかが数日、わずかな時間しか過ごしていなかったのに、森を迷わず進むことができる。
出口を目前にしてナツは足を止めた。森の終わりを見つめながら、出てきたばかりの村を思う。正しくは、最後に見たラクサスの姿を。

「ラクサス、ここで楽しくやってんだよな」

破門されて町を出ていく事になった。クエストに出れば必ずギルドへと帰ってくる、そうではない初めての別れ。
ナツにもラクサスにも、期限のない別れは初めてだった。だから不安になり、消息不明の状態が、ナツにラクサスを追わせた。

「キルシェいい奴だし、元気でやって、なら……ッ」

言葉は、声がつまって止まってしまった。変わりにこぼれたのは、涙。
忘れられたのが悲しい。自分以外の者に触れていたのが苦しい。二度と会えないことが寂しい。
ナツは乱暴に涙を拭うと、思考を振り切る様に足を踏み出した。しかし、その足は轟音と襲ってきた暴風に止められた。
咄嗟に腕で顔をおおったナツは、薄らと目を開いて状況を確認する。先ほどまで鮮明に見えていた森の終わりは、発生した煙で覆われている。

「なんだ?」

状況から爆発が起きた事は分かるが原因が見当たらない。
足を進めていくと次第に煙が晴れ、複数の人影が現れた。その内の一人の男が口元に笑みを浮かべる。

「第一村人発見だ」

男達は全員ナツへと相対しており、他にはナツ以外にいない。男の言葉の村人がナツを差している事は確かであり、男達が村人でない事は間違いない。
ナツの脳裏に、夜盗の話しが過る。

「村になんの用だ」

「奪いそこねたもんを取りにきたんだよ」

一人の男は、言い終わると同時に一気にナツへと間合いを詰めた。ほんのわずかな瞬間で男はナツの懐へと飛び込んでくる。

「ッくそ」

反応が遅れながらも、男が振りかぶった拳を紙一重で避ける。下から顔にめがけられた攻撃は鋭く、ナツの服をわずかに切り裂いた。よく見れば男の手には短刀が握られている。
ナツは体勢を整えながら、間合いを広げた。

「村から何をとる気だよ!」

「魔水晶」

「魔水晶?」

窺うように見つめるナツの瞳に、男はくつくつと笑みを浮かべながら口を開く。

「しらばっくれても無駄だ。この村に強力な魔水晶が眠ってると情報がある」

「流石は霧隠れって呼ばれるだけの事はあるな、探すのも苦労したぜ。何年ぶりかのご対面か」

「今度こそ皆殺しにしてやるよ」

男たちの言葉に交じる物騒な単語に、ナツは眉を寄せた。

「お前ら、前に村を襲った夜盗だろ」

ナツの言葉に、男達はにやにやと下劣な笑みを浮かべている。それは肯定をしめしていた。
ナツの脳裏に、出会った村人たちが過る。暖かく迎えてくれたキルシェ。傷を背負いながらも明るく過ごす夫婦。そして、何より村にはラクサスがいる。
ナツは地を蹴り、先ほど攻撃を繰り出してきた賊へと飛び込み、拳を振りかぶった。一瞬の出来事で防ぐ暇もなく賊は吹っ飛んでいく。
ナツの拳には炎が纏っていた。

「魔水晶?そんなもん、あの村にはねぇよ」

あるのは、乗り越えようと支え合う優しさと、笑顔。夜盗に踏みにじられ傷ついてしまっても、前を向いていこうとする強い心だ。
ナツが口端を吊り上げながら、残る賊を見やる。ナツの抵抗が予想外だったのだろう、たじろぎながら、賊の一人がナツの姿に目を見開いた。

「こいつ、サラマンダーだ!」

何故ここにいるのか。そう戸惑うような声が上がる中、ナツの背後から声がかかる。

「ナツ」

反射的に振り返ったナツの目には、ラクサスの姿。頼りない足取りでナツに近づこうとしたラクサスはその場に膝をついてしまった。

「ラクサス!」

慌てる声と共に、ラクサスは駆け寄ってきたナツに身体を支えられる。息苦しく呼吸を繰り返しながら、顔を覗きこんでくるナツへと目を向けた。

「大丈夫か?」

不安げに眉を寄せる。そんなナツを安心させようと頭に手を伸ばすが、ナツ越しに見えた影に、ラクサスはとっさに行動を変える。
ナツの身体を抱えて、その場を飛びのいた。瞬間、ラクサス達がいた場所は轟音と共に地面が抉れた。

「なんだ、こいつは」

ラクサスは眉を寄せて、一瞬前に己がいた場所を見やる。地面を抉ったのは拳、その拳の持ち主は人ではなく怪物。それが一体ではなく、賊たちの元に集まっていた。
立ち上がろうとするラクサスだったが、激しい頭痛に、その場にうずくまってしまう。

「ラクサス」

ラクサスは記憶を失っていて魔法を使えない。賊が前に村を襲った夜盗なら魔導士であるはず、ラクサスに魔導士と対峙できる力はない。
ナツは立ち上がるとラクサスに背を向けて、賊を睨みつける。

「村の奴らにもラクサスにも、指一本触れさせねぇ……お前らはここでぶっ倒す!!」

ナツには魔力が戻っていた。今まで魔法が使えなかったのは、村を囲うように森の入口から魔法を封じる魔水晶が設置されていたからだ。先ほどの爆発は、魔水晶を破壊したものだったのだろう。
ナツは両の拳をつきあわせると、それが合図だったかのように戦闘を開始した。
チームの仲間達とで闇ギルド一つを相手にした事もあるのだ、たかが数人を相手なら苦戦することなどないはずだった。だが、今は状況が違う。戦う事の出来ない一般人となってしまっているラクサスを守らなければならなかった。
戦いに集中していたナツは、視界に入ったものに顔を強張らせた。身動きとれずにいるラクサスに怪物の拳が迫っていた。

「ラクサス!!!」

守りながら戦う事は不慣れで、ラクサスへと意識が向いた瞬間隙になった。
目の前に迫っていた賊に攻撃を受け、ナツの身体が吹っ飛ぶ。木に打ちつけ、身体は地面へと倒れた。
背を打ちつけたせいで呼吸が困難になってしまった。どうにか酸素を取り込もうとしながらナツは視線を彷徨わせる。

「、くさ……す」

ラクサスの姿が見当たらなく、先ほどラクサスを確認できた場所には怪物。怪物は地面に拳を打ちつけていた。その部分の地面は抉れ、わずかに金糸の髪が覗いていた。
ナツの瞳が揺れ、唇が震える。最悪の状況を想像し、ナツの顔から血の気が引いた。
戻りはじめている酸素を気にしている余裕さえなく、ナツはゆっくりと立ち上がった。
視線が高くなったおかげで、抉れた土に身を沈めるラクサスの姿が先ほどより確認できるようになる。

「ラクサス!」

賊と怪物を蹴散らしながら、ラクサスへと駆け寄る。必死な攻撃でわずかに間が出来、その隙にナツはラクサスの状態を見やる。
呼吸と心拍を確認すると、ナツは強張っていた力を抜いた。
ラクサスは目を閉じてしまっている。意識はない上に、怪物の攻撃をまともに受けたことで傷が軽くはない。それでも命がある事が救いだ。
ナツはラクサスの頬を一度撫でた。

「手当てしねぇと……待ってろよ、すぐにこいつら倒すから」

立ち上がろうとしたナツは、ラクサスに腕を掴まれ止められる。

「冗談じゃねぇ」

低い声に、ナツは目を見開いた。
ナツの目の前で、ラクサスはゆっくりと立ち上がり、前髪をかきあげる。苛立つ仕草と不機嫌な顔つきは、ナツにはよく見覚えがあった。

「待ってろ、すぐにこいつら片づける」

先ほどのナツの言葉を繰り返す。そこからは自尊心が窺え、それは村で共に過ごした時のラクサスのものではなかった。

言葉通りわずかな時間しか要さず、ラクサスは容赦なく賊と怪物を一掃してしまった。
座り込んだまま、戦いという名のラクサスの一人舞台を眺めていたナツは、目の前まで歩み寄ってきたラクサスに顔をあげた。
呆然としたナツの表情に、ラクサスは口端を吊り上げる。

「泣いたか?」

「な、泣くわけねぇだろ、バカにすんな!」

賊が現れる寸前、泣いてしまった。
それを思い出して赤面したナツは、浮かんできた疑問に思考を切りかえて口を開く。

「記憶戻ったんだな」

「おかげでな」

身体をほぐすように、ラクサスは首を折る。その姿を黙って見ているナツに、ラクサスは足を動かし、茂みにまぎれて申し訳程度に成長した木に手を伸ばす。
木から離した手には赤い木の実があり、ラクサスはそれを口に含んだ。

「ナツ」

名を呼ばれ、ナツの足は自然とラクサスに寄っていく。その行動は刷り込まれているかのように当然だった。
ギルドで過ごしていた頃は当然だったのだ。恋人同士で、だからこそ普通に名を紡ぐだけで、声は熱を持つ。耳にすれば、身体が痺れる。
久しぶりのラクサスの声に、ナツの鼓動は自然と高鳴っていた。

「ラクサス」

ナツの声は、無意識に甘えるように切なく奏でる。
ナツが側によると、ラクサスはナツの顎に手をかけた。
打ち合わせでもしたかのように、自然とナツは目を閉じ、ラクサスは顔を近づける。挨拶のように触れるだけ口づけ、唇が離れるとナツは薄らと目を開いた。至近距離でラクサスと視線が交うとナツが再び目を閉じ、ラクサスも再び唇を重ねる。
触れるだけのものとは違い、ラクサスは薄らと開いたナツの口に己の舌をねじり込んだ。

「ぅん、」

ラクサスの舌はすぐに引っ込んでしまった。ナツは、口内に残された異物感に眉を寄せる。
ラクサスは名残惜しむ様に、ナツの上唇を唇ではさんで解放した。

「なんだ、これ?甘い……あ、」

ラクサスに口移しで与えられた物。咄嗟に舌と上あごで潰してしまったそれから、甘味が口に広がり、甘い香りが鼻を抜ける。
これには覚えがあった。催眠効果のある木の実だ。

「闇ギルドが妙な動きをしてやがる」

ラクサスの言葉に、木の実に意識が向いていたナツは、ラクサスへと顔をあげた。

「ラクサスは、それを追ってんのか?」

「さぁな」

適当な返事を返してくるラクサスを、ナツは目をこすりながら見つめる。
木の実の効果とは言え強すぎる眠気にナツは眉を寄せた。耐えようとしても眠気など抑えられるものではない。
傾くナツの身体をラクサスが支える。
ラクサスの腕の中でナツは縋る様に見つめる。視線を遮る様にラクサスはナツの目を手ので覆った。

「お前は、俺を追いかけてる場合じゃねぇだろ」

「な、に……」

意識が途切れたのだろうナツの身体の力が抜けた。
ラクサスは、重くなった体を一度強く抱きしめると地に寝かせる。

「染まるなよ」

ラクサスの指が柔らかい髪を絡める。自由気ままに散らばる髪はナツの性格を表しているようだ。綺麗な色とは全く異なる性格。ラクサスはそれを好ましいと思えていた。
この色がくすんでしまわなければいい。
愛おしむ様にナツの髪に口づけを落として立ち上がったラクサスは、周囲に転がっている賊を見下ろした。

「行く前に掃除だな」







ナツが目を覚ました時、周囲に人の気配は感じられなかった。
上体を起こし周囲を見渡すが、ラクサスも倒れていた賊と怪物も、まるで最初から存在しなかったかのように姿がない。

「ラクサス」

名を呼んでも返してくれる声はない。
座りこんだまま呆然としていると、遠くから己を呼ぶ声が複数聞こえる。聞きなれたそれは、己の身を案じてくれる仲間たちのものだ。
ナツは目元を強く擦ると、ゆっくりと立ち上がった。近づいてくる声の方へと足を踏み出す。

「また、会えるよな」

再会の日が必ず来ると信じて。




2011,07,24

書き始めが去年の5月…恐ろしい月日が経っていたので強制終了。記憶喪失というありがちな話しでした。
ラクサスとナツが付き合ってる前提で、という…はいありがちです。


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