美しい色





『人魚ってほんとにいるの?』

童話の挿絵で描かれている人魚姫を見つめていたラクサスは、祖父であるマカロフへと視線を移した。

『人魚は存在する』

マカロフは、懐かしそうに目を細めながら続ける。

『ワシは若い頃に出会ったことがあるんじゃ。桃色の長い髪が美しかった』

マカロフから語られる話しに聞きいるラクサスは、本を持つ手に力を込めた。その瞳は好奇心に輝き、期待と興奮で胸は高鳴っていった。
マカロフが若き頃人魚と出会った場所は、マグノリアで唯一聖域とされ一般人の立ち入りを禁じられている場所、天狼島。

幼い頃に幾度となく聞かされた人魚の話しは、年を重ねるごとに信憑性が薄れていき、十七年経った今では面白みのない夢物語という認識で片づけられた。
それでも脳内には染みこんでいて離れることはない。幼い頃はマカロフの話を信じて疑わず夢に見ていた、いつか美しい長い髪を持つ人魚と出会うのだと。
ラクサスは目蓋の裏によみがえっていた記憶を追いだすように、閉じていた瞳を開いた。晴れ渡った空と澄んだ海が視界を埋め、その間には立入禁止となっている天狼島がある。地図にさえ記されていない聖域。

「くだらねぇ」

口からこぼれ落ちた声は波音に消された。
ラクサスが居る場所は旅客船の船上。甲板の手摺によりかかりながら、近づく事の出来ない島を眺める。

「この場所になにか思い入れでもあるのか?」

背後からかけられた声に振り返れば、深緑の髪をもった青年フリードが立っていた。

「お前が場所を指定するなんて珍しいからな、ビックスロー達も気になっているんだ」

今日はラクサスの誕生日であり毎年必ず宴が開かれる。今は、夜に行われる生誕祭までの時間つぶしだ。
幼い頃は別だが、すでに成人を迎えれば誕生日を祝われる事すら面倒になる。それでも宴を開くには理由がある。
ラクサスの祖父マカロフ・ドレアーは、世界有数の大企業フェアリーテイルコーポレーションの社長であり、ラクサスは御曹司。生誕祭とは上流社会の社交場なのだ。

「なにもねぇよ、ただの気まぐれだ」

ラクサスは一度だけ天狼島を視界に入れ、すぐに外した。
人を拒むように、天狼島の周辺は渦潮と、上部には霧が発生しており上陸は困難。ほぼ確実に人の侵入は不可能とされている。
その島の茂みから、旅客船を覗いている影があった。
監視するように見つめていたその瞳は、甲板にいるラクサスを見つけて目を輝かせる。

「すげぇ……」

太陽に照らされている金糸の髪は、美しく輝いている。

「すげぇキレイだ!」

ラクサスが船内へと入ってしまうと、残念そうに身を翻した。
茂みを抜けて獣道を迷うことなく突き進むのは、未だ成長しきれていない少年。歩くたびに長い髪が揺れる。腰ほどまでに伸びているその髪は、美しい桜色。
少年の歩く速度は早くなっていき、次第に走りだす。獣道を抜けて広い空間を飛び出せば大木が構えていた。木漏れ日にあてられている大木は、扉が取り付けられており、木の中が家になっている。
少年は木の家に飛びこんだ。

「ばーちゃん、すげぇのが来てる!」

家の中には一人の老女が椅子に座って本を読んでいた。
少年の慌ただしさに、老女は不快そうに眉を寄せて、本から少年へと視線を移した。

「ナツ……いつも言っているだろう、少しは落ち着きな」

咎める目に、少年ナツは不満げに口を尖らせながら老女に近づいて行く。

「島の近くに船が来てんだよ、見た事もないすげぇでかいやつ!」

腕を広げて、己の見た船の大きさを表現しようと手振りで話す。
ナツの話しで大方察しがついたのだろう、老女は溜め息をつくと本を閉じた。

「また来たのかい。これだから人間は嫌いなんだよ」

声は不快に染まっているが、老女は興味がないとばかりに、窓から外を見やる。くり抜いただけの造りの窓は、常に家の中に自然の風が流れ込んでくる。
老女は風の流れを肌で感じながら、口を開いた。

「もうすぐ嵐がくるからね、船も沈んでくれるさ」

「……沈んだら、あそこにいる奴らはどうなるんだ?」

「助けようなんて思うんじゃないよ、人間なんか助けてもろくな事がないからね」

不安げに眉を落とすナツをちらりと見やり、ポーリュシカは小さく息をついた。

「大げさに言っただけさ。そう大きな嵐じゃない、運が悪くなければ死なないよ」

老女の言葉に頷きながらも、ナツは地へと視線を落とす。黙り込んでしまったナツに、老女は、本を手放して櫛を手にとった。

「ここに座りな」

老女の前には切り株がある。ナツは老女の手にした櫛を見て、老女に背を向けて切り株に腰を落とした。
老女は、ナツの長い髪を手に取り櫛を通していく。乱れていた髪は櫛で梳かれていく内に滑らかさをとり戻す。
ナツが心地良さに目を閉じていると、老女は流れる桜色の髪を懐かしそうに見つめながら口を開いた。

「切らないのかい?」

老女に男女差別はない。男が髪を伸ばす事を嫌悪に思うことはないが、ナツのように落ち着きのない性格ならば長髪は邪魔になるだろう。
老女の問いに、ナツは少し間を置いて口を開いた。

「父ちゃんも髪長かったんだろ?だから、俺も長くていいんだ」

「イグニールはこんなに長くなかったよ」

老女の手が止まると、ナツは立ち上がった。老女へと振り返ってにっと笑みを浮かべる。

「ありがとな、ばーちゃん」

指通りのよくなった髪を揺らしながら、ナツは家を後にした。
ナツの父親は、イグニールという名を持つ男。母親の存在は知ることはなかったが、父親の話しは老女の口から聞かされていた。少し長めの炎のような赤い髪が特徴の、物腰の柔らかい男だったと。
ナツは親の温もりを知らない。物心がつく頃には、老女と二人で過ごしていた。興味本位で島の近くまで訪れてきた人間を眺める程度で、もう一人天狼島に住む人間と老女以外には接触がないのだ。
ナツは老女の言葉を脳内で繰り返しながら、自然と岸へ足を向けていった。

「嵐のこと教えてやろうかな」

大きくなくとも嵐だ、万が一の事もある。しかし、老女の言いつけは絶対だ。人命救助ではなく、外の人間との接触が禁じられている。人間は島の生態系を脅かすからだと、ナツ自身何度も老女に言い聞かせられた。
いつの間にかナツの足は止まっていた。迷う心同様に足は動かず立ちつくす。天を仰げば、先ほどまで晴れ渡っていた空は雲で覆われており、天から水滴が降りはじめた。次第に雨の量が増し、降りそそいでくる雨が顔を濡らす。
慌てて岸へと向かい、ナツが辿りついた時には海は荒れ始めていた。

「沈んだりしねぇよな……」

遠くに見える旅客船は不安定に揺れている。見守っていると、旅客船の中から金色が現れた。ラクサスが甲板に出てきたのだ。
ラクサスは探すように周囲に視線を走らせる。ナツが訝しんでいると、その目に映っていたラクサスの姿が消えた。勢いよく揺れた船からラクサスの身体が海へと投げ出されたのだ。
考えるより先にナツは走り出していた。
島の周囲には渦潮が発生しているが、その中をくぐり抜ける術が一つだけある。
現在の天狼島は昔よりも岸が沈んでしまっている。渦潮は、その地形の変化で発生しているのだ。そして、沈む以前に存在していた洞窟があり、渦潮を越えた先に出口がある。
ナツは以前まで使われていた洞窟の入口へと急いだ。一目で洞窟だった場所とは判断つかない、地面に抉れている穴。海水が溢れているそこに、ナツは飛びこむ。
島を出る事を禁じられていても好奇心旺盛なナツが大人しくしているわけがない。ナツは何度もこの穴を通じて島の外へと出ていたのだ。
船から落ちたラクサスの姿が目に焼き付いている。ナツは焦燥感に襲われながら、泳ぐ速度をあげる。
洞窟を抜けて海面に顔を出したナツは、肺に酸素を取り入れながら周囲を見渡す。常よりも荒れている波が鬱陶しく襲いかかってくる中、目当ての色を探す。
見当たらない事に焦りながら、最悪の状況を考えて海中へと潜った。揺れる旅客船の周囲を探り、目に入ったものにナツは慌てて身体を進める。
海底へと向かって沈みかかっていたのはラクサスの身体。ナツは、ラクサスの身体を捕らえると、海上へと一気に浮上した。
ラクサスの額は微かに切れており、波にさらされても血が浮かび上がってくる。海へ投げ出された時に打ちつけたのだろう。

「おい、大丈夫か!?」

声をかけても返事が返ってくる事はない。
船を見上げれば、甲板に人影がある。ラクサスを探しているのか声が微かに聞こえるが波音でかき消されて聞きとることができない。それと同じで海面からでも声は届かないだろう。
ナツは周囲を見渡して岩場を見つけると、ラクサスの身体を支えながら岩場へと向かう。
ナツにとって泳ぎは歩行と同等に日常生活において不可欠ともいえる。だが、いくら慣れた動作とはいえ嵐の中では長時間耐えるのは困難だ。
岩場へとたどり着いたナツは、寄りかかる様に片手でしがみ付いた。

「ダメだ、こいつが一緒じゃ島に戻れねぇ」

島に人を立ち入らせてはいけない。人命と天秤にかけてまで守るべきではないとナツは思っているのだが、問題は規則ではなく、人を抱えたままで洞窟をくぐり抜ける事。
ナツは、腕の中にいるラクサスをきつく抱きしめた。嵐が過ぎるのを何としても耐えきればいい。
容赦なく打ちつけてくる波に耐えながら、岩場にしがみ付く。その内に意識は薄れていった。

目が覚めた時、陽は傾きはじめていた。岩場にしがみ付いていたはずの身体は波打ち際に流されており、その場所が天狼島でない事はすぐに察する事が出来る。
ナツは身体を起こして、共に流されたラクサスに近寄った。意識はないが、呼吸に乱れはない。
ナツは安堵に息を吐き出し、周囲を見渡した。場所の判断をつけようと視線を彷徨わせていると、少し離れた海面が跳ね小さく光る。すぐにその正体が姿を現し、ナツは表情を緩めた。

「お前が助けてくれたのか」

ナツの声に反応して顔を出したのは一頭のイルカ。呼ぶように鳴き声をあげながら、イルカが波打ち際まで寄ってくる。
限界の場所まで出てきたイルカに、ナツは手を伸ばす。

「ありがとな、助かった」

天狼島内で生活しているナツにとって自然と、天狼島内の生物はもちろん海洋生物も家族同然だ。
感謝を告げるようにイルカの鼻先を撫で、ナツはラクサスへと振り返った。
未だ目覚めることのないラクサスの髪が夕陽に照らされて輝いている。ナツはそれに惹かれるようにラクサスの髪へと手を伸ばす。
水に濡れて重さの増したそれが、指を通り抜ける。ナツは眩しそうに目を細めた。

「キレイだ……」

島から出る事を禁じられているナツにとって、ラクサスの髪は何よりも美しく見えた。島を抜け出す事はあっても、人間と接触することまではしなかったからだ。

「目も同じ色かな」

好奇心で目に手を伸ばす。閉じている目蓋を無理やりこじ開けようとするが、ナツの指が触れる前にラクサスが小さく身じろいだ。苦しそうに眉を寄せ、薄らと瞳が開く。
髪と同色の瞳がナツを捕らえ、唇が動いた。戦慄くように動く唇からは微かに声が漏れている。
聞きとろうとナツが顔を近づけるが、それを止めるように遠くから声が響いた。

「ラクサス!!」

焦りを含んだ声が近づいてくる。視線を向けるナツの目には、複数の人間が確認できた。

「ラクサスって、こいつか」

ラクサスへと視線を戻そうとしたナツは、背後に身体を引き寄せられ止められた。振り返れば、イルカが服を引っぱっている。
ナツは駆け寄ってくる複数の人影を一度見やり、海に飛び込んだ。
沖合に出て岸へと振り返れば、ラクサスに複数の人間が集まっていた。介抱する姿を確認して、視線をそらす。
揺れる海面を見つめていると、ナツの頭をイルカがつついた。ナツは、イルカへと首をひねり、笑みを浮かべる。

「ばーちゃんが怒る前に帰るか」

短く鳴いたイルカと共に、ナツは海へと潜った。







ラクサスは、駆け寄ってきた者の一人であるフリードに支えられ、上体を起こした。

「無事でよかった」

ラクサスは集まっている面々を眺め、フリードへと視線を向ける。

「俺以外に誰かいなかったか」

「俺たちが来た時には、ラクサスお前しかいなかった。誰か一緒だったのか?」

フリードが偽りを述べる事はない。
ラクサスは思案するように間を置いて口を開く。

「多分女だ。そいつに助けられた」

「あの嵐の中をか?」

目を見張るフリードが声をあげる。嵐の中を人が泳いだことに加え、運よく人が出くわしたことがありえない。あの場所には、ラクサス達の乗る船以外はなかったのだ。
ラクサスが冗談にもならない事を言うことはない。
フリードが言葉を失くしていると、共にいた一人である少女が口を開く。

「人魚と会う夢でも見たんじゃない?」

揶揄するような言葉にラクサスは顔をあげた。

「ミラジェーン、お前もいたのか」

波がかった淡い色の長髪。少女ミラジェーンは小さく笑みを浮かべながら、細い首をかしげた。

「残念だけど、船から落ちたのもあなただけよ」

ラクサスは不機嫌そうに眉を寄せ、立ち上がる。
ミラジェーンは小さく息をついて、ラクサスに向けて手を差しだした。その手のひらには小さなロケットが乗っている。

「落ちてたわ」

ラクサスは奪う様にロケットを掴み、中を開く。その中には一粒の真珠が入っており、それを確認してラクサスは小さく息をついた。

「人魚の涙。まだ持っていたのね」

ミラジェーンが呟くと、ラクサスはロケットを閉じた。舌打ちをしてミラジェーンを見下ろす。
真珠は人魚の涙とも呼ばれている。そして、この真珠をラクサスは幼い頃から大切に保管しており、ラクサスと幼馴染関係にあるミラジェーンは理由を知っていた。
見つめてくるミラジェーンの視線に居心地悪げにラクサスが目をそらす。逃げるようなその動作はラクサスには珍しく、話しが途切れたのを見計らってフリードが口を開く。

「ラクサス、気になるのなら恩人の女性を探そう。顔は覚えているか?」

意識が微かに残っている中で、顔はおぼろげだ。それでも、脳内に強く残っている特徴が一つだけあった。

「髪が長かった。桃色の……」

己を守る様に抱きしめてくる腕。嵐の中一瞬だけ意識が浮上した時、微かに視界に入った髪。再び目を覚ました時、おぼろげな視界に加え、夕陽が逆光になっていて顔までは確認できなかったが、そんな中でも美しい髪は目に焼き付いていた。
幼い頃から焦がれていた美しい長髪が、印象に強く残っている。

「桜色の髪だ」

焦がれて焦がれて焦がれて、漸く見つけた。




2011,07,16




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