サンキュー!





七月に入って二日目の朝。土曜日で学校も休日の為早く起きる必要はなかったのだが、その日のラクサスは常よりも早く目が覚めた。二度寝する気分でもなく、居間へと下りていく。
水で乾いた喉を潤おしていると、居間に飾ってあるカレンダーが目にとまった。それは、月が変わった今も、先月のままで放置されている。
ラクサスは手にしていたコップを片すと、カレンダーの前で足を止め、一枚めくった。不要になった六月分を破り捨てて、姿を現した七月の頁。
本日の日付の場所に目をやれば、後から書き加えられたような赤い丸でくくられている。主張するような歪な赤い円に、ラクサスは意味を察して額に手をあてた。
六月にも一つだけ同様の印があったのだ。

「忘れてた」

ラクサスの脳内には、未だ夢の中だろう少年の姿が浮かんでいる。
家に来て一年足らずの少年、ナツ。すでに家族同然だが、父親が海外赴任の為に一時的に預かっているだけに過ぎない。
兄どころか血の繋がりさえないラクサスに記憶しろというのは無理があったのかもしれない。

「今日はあいつの誕生日だ」

すでに当日である七月二日の今日はナツの誕生日。
ラクサスの年齢なら別だが、ナツのように幼い子供にとって誕生日は一大行事といっていい。祝わなければ傷つくだろう事はラクサスにも安易に想像できた。忘れていたなど、もってのほかだ。
マカロフがいれば何かしら準備をしていたかもしれないが、今はいない。ラクサスは頭を働かせて、幼い頃己がマカロフに祝われた事を思い出した。
ケーキ、プレゼント、テーブルに並べられる好物。思い出したくもないが、小さい頃はミラジェーン達友人も呼んだ誕生日会も開いた事があった。

「ケーキがあれば何とかなるな」

食べ物に目がないナツだ、ケーキさえあれば間違いない。近くにある洋菓子店での購入を考えながら時計へと視線を向けた。
開店まで時間はゆうにあり、その間に家事を終わらせることができる。
思考が男子高校生にあるまじき主婦の様だが、マカロフまで海外転勤していってからは全ての家事をラクサスが一人で請け負わなくてはならないのだ。

「おはよー」

下から聞こえた舌足らずな声に、ラクサスは身体を強張らせた。視線を下げれば、ナツが欠伸をして立っている。

「お前、いつからそこにいた」

「いつからっていつからー?」

寝起きで思考がおぼつかないのだろう、目を擦りながら問いに問いで返している。
ラクサスは、ナツを追い出す様に背を押した。

「すぐに飯の準備するから顔洗って来い」

今まで眠さで半分ほどしか開いてなかったナツの目が完全に開いた。

「メシー!」

洗面所に向かって走っていくナツを見送って、ラクサスは溜め息をついた。

「あいつ、自分の誕生日忘れてんのか?」

ナツの事だから開口一番にせがむだろうと、ラクサスは予想していたのだ。しかし、その予想が当たる事はなかった。

朝食をすませ、洗濯が終わる頃になっても、ナツの口から誕生日の話しが出る事はなかった。
洗濯ものを干し終えたラクサスは、洗濯かごを抱えて部屋の中へ戻っていくナツを振りかえった。
いつもの休日と変わらない。ナツは、家事の手伝いも遊んでいるかのように楽しそうに行っている。

「ナツ」

名を呼ばれ振り返るナツに、ラクサスは続ける。

「少し出かけてくるから、お前は留守番してろ」

常ならばすぐに頷くナツだが、ラクサスの言葉にナツは目を見開き、慌てたように口を開いた。

「お、オレも一緒に行く!」

「買い物に行くだけだ、すぐ戻る」

ラクサスが念を押すように名を呼ぼうとするが、その前にナツは顔をそらし、部屋の中へと入っていってしまった。
その後は自室に引きこもってしまい、声をかけても出てこない。

「なに考えてんだ、あのクソガキ」

ラクサスにとっては、忘れていたとはいえ誕生日を祝おうとしているのだ。ナツの態度に、時間が経過するごとに苛立ちが募っていった。

ラクサスは今、洋菓子店でケーキを購入し帰路についているところである。
常より乱暴な足取りで家まで足を進める。その途中、家が目の前にさしかかったところで見知った人物と出くわした。

「……ラクサスだけなのね」

ミラジェーンだった。ラクサスの存在を確認してすぐに周囲に視線を向け、隠す事なく残念そうに眉を下げた。
ミラジェーンはナツを気に入っているのだ。ラクサスが舌打ちをして顔をそらすと、その先に更に顔見知りが近づいてきていた。

「ラクサス、ミラさんも。もしかして、ミラさんも同じですか?」

同級生であるルーシィだった。その手にはラクサス同様に洋菓子店の袋がある。ラクサスも今漸く気がついたが、ミラジェーンの手にも同じものがあった。
袋を持ち上げるルーシィに、ミラジェーンは笑みを浮かべた。

「もちろんよ。だって今日はナツの誕生日だもの」

当然のように笑い合うルーシィとミラジェーンに、ラクサスは眉を寄せた。

「なんでお前らがその事知ってんだ」

ラクサス自身、カレンダーに気がつかなければ忘れてしまっていたのだ。ナツの誕生日自体を知ったのは先月の己の誕生日の時だった。
ラクサスの言葉に、ルーシィは口を開く。

「だって、昨日までナツがずっと言ってたのよ?別にせがまれたわけじゃないけど、あんなに楽しみにしてるの知ったら祝わずにはいられないわよ」

「あいつが言ったのか?」

ミラジェーンも同様なのだろう、頷く。
ラクサスは、先ほどまで募っていた苛立ちが一気に膨れ上がっていくのを感じた。
ナツは、ラクサスに誕生日の話しをしていない。ひと月近く前に教えて以来口になどしなかった。
袋を持っていた手に力が込められる。誰が見てもラクサスは怒りを纏っており、ルーシィはその姿に顔を引きつらせた。

「ちょ、ちょっと、なによ急に」

慌てるルーシィとは逆で、付き合いの長いミラジェーンにはラクサスの怒る理由に察しがついたのだろう、呆れたように溜め息をついた。このままでは必然とナツにまで被害がいく。
ラクサスの怒りを鎮めようと口を開いたミラジェーンは、予定していた言葉ではなく視界に入った人物の名を紡いだ。

「グレイ」

ラクサスの家を挟んでラクサス達とは逆方向から歩いてくるグレイの姿があった。その手は台車を押しており、ラクサス達に気付いたグレイは顔を歪めた。
距離があって確認はできないが、グレイが舌打ちをした事は容易なく想像がつく。
ミラジェーンがグレイへと歩み寄っていく。ルーシィもそれに続こうとするが、立ちつくしたままのラクサスに振り返った。

「ラクサス」

ラクサスがいなければ家には入れない。ナツが出ればいいが、グレイを家に入れてはいけないとラクサスが規則を作っているのだ。
ラクサスは不機嫌な顔のまま、ルーシィと共に足を踏み出した。
グレイの押している台車には箱があった。グレイの背丈の半分ほどのそれには、洋菓子店の店名が刻まれている。

「それって、」

ルーシィが箱を指さすと、グレイは箱に手を乗せる。

「ケーキに決まってんだろ」

「やっぱり!」

「ずいぶんと大きいわね」

箱を眺めながらしみじみと告げるミラジェーンに、グレイは勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

「俺のナツへの愛だ」

いつもならナツに対して偏愛を見せるグレイの言動にラクサスが少なからず制裁を加えるのだが、今日は違った。
ラクサスはグレイに突っ込まずに、玄関の鍵を開けて扉を開く。

「入るんならさっさとしろ」

家の中へと足を踏み入れたラクサスは、その足を止めた。玄関先で待ち構えるように、ナツが膝を抱えて座っていた。
ラクサスの姿に、ゆっくりと立ち上がる。

「おかえり」

泣く寸前のように歪んだ表情に、ラクサスの顔は訝しむ様に顰められた。
ミラジェーン達は、家の中に入ろうとするが入ってすぐのところでラクサスが壁になっており、中に踏み込めない。
グレイがナツの姿を確認して気を引こうと手を振るが、ナツの目はラクサスに向いたままでそらされる事はなかった。
言葉もなく見下ろすラクサスの目に、ナツは一度顔を俯かせた。そろりとラクサスを見やり、口を開く。

「今日、オレの誕生日だぞ」

口ごもりながらも、漸くナツ自身から出た言葉。

「知ってる」

ラクサスはケーキの袋を持ち上げた。

「だから、買いに行ったんだよ」

少し不機嫌そうな声。それでも、先ほどよりは苛立ちは薄れていた。
ナツは、ラクサスの持っている物がケーキだと分かると、瞳に涙を溜めた。耐えるように唇を噛みしめ、足を踏み出す。
素足のままで土間に降り、ラクサスに歩み寄るとラクサスの服を掴んだ。

「ケーキなんかいらねー」

「……プレゼントじゃねぇのが不満か」

おさまりかかっていた怒りが沸き起こってくる。ラクサスの低い声に、ナツは首を振るった。

「ケーキもプレゼントもいらねーよ……オレ、ラクサスが一緒にいるだけで嬉しかったんだ!」

飛びこむようにしがみ付いてくるナツに、ラクサスは目を見開いた。
ナツの父親イグニールは仕事で多忙だ。職業については詳しくは知らないが、ナツが家に一人で過ごしていたのも数え切れないほどだろう。そして、おそらく誕生日でさえ。
ナツが機嫌を損ねたのは、一日中家で過ごすと思っていたラクサスが出かけると言ったからだったのだ。

「ひとりはイヤだ」

顔を隠すようにラクサスの腹に顔を埋めるナツの頭に、ラクサスの手がのる。なだめるように頭を撫でながら、ゆっくりと口を開いた。

「誕生日おめでとう」

ラクサスには似つかわしくない程に優しい、その声にナツは身体を震わせ、ただ何度も頷いた。







夕方にさしかかった頃、マグノリア商店街の中にある洋菓子店FAIRY TAILの厨房内では二人の従業員が作業しながら話しをしていた。

「今日は誕生日多いんだな」

桜色の髪の少年が心底疲れたように声をもらす。それに、金髪の青年が同意するように溜め息をついた。

「ウェンディグケーキ頼んできたやつもいたな」

「あれも誕生日なんだろ?そんなの頼むなんて変な奴だよな」

客の注文を店側で揶揄するわけにはいかないが常識から外れている。
会話を続けていると、客足が引いた店内にいた販売員の金髪の少女が、厨房へと振り返った。

「しかも、全部同じ名前よ?あんたと同じ」

少女が厨房内の少年を指さす。少年は口を尖らせながら、頭をがりがりとかいた。

「同じ名前で同じ誕生日かよ」

「そろそろ時間だな」

青年が時計を確認して、腰に巻きつけていたエプロンを外す。それに少年が首をかしげた。

「もう終わりか?今日は早いんだな」

ひと段落はついたところだが、常の土曜日ならば作業途中である。片づけに入ろうとする少年に、青年は口を開いた。

「後はジジィに任せてある、お前はさっさと着替えてこい」

「なんかあるのか?」

青年は厨房との遮られている扉に手をかけながら振り返る。

「レストラン予約したんだよ」

言葉の意味が理解できずにきょとんとする少年に、青年は続ける。

「今日はお前の誕生日だろ。祝ってやるって言ってんだ、さっさとしろ」

口調は愛想のないものだが、それが照れ隠しであると少年は分かっている。少年は表情をほころばせながら販売員の少女へと振り返った。

「大至急でなっちゃん頼むな!」

「任せて!」

親指を突き出す少女の輝く瞳に、青年はげんなりと顔を歪めた。
なっちゃんとは少年の女装した姿で、青年の初恋の少女を見事に再現したできだ。その姿に毎度、切なさと古傷を抉られる気分を同時に味わっている。

「止めろ」

「なんだよ!好きだろ、なっちゃん!」

不満そうに口を尖らせる少年に青年は口を開く。

「そのままのお前でいいんだよ。分かったら早くしろ」

無意識だったかもしれない、表情豊かな少年を見る青年の目は、愛おしさに細められていた。
厨房から出ていく青年を見送った少年の頬は隠しきれないほどに紅潮している。青年が消えていった扉をぼうっとながめていると、来客を知らせる音が店内に響き渡った。
少女の来店を歓迎する声に、少年は我に返って振り返る。店内へと目を向ければ、ケーキの並んでいるケースを赤い髪の男が眺めている。

「、父ちゃん」

少年は無意識に呟き、男を食い入るように見つめる。
男は販売員の少女にケーキの注文をすると、どこか遠くを見つめながら、目を眩しそうに細めた。

「どうしたの?」

少女の声に、少年は目を向けた。
少女の手にはホールのケーキと、メモのような紙切れがある。

「はい。“おたんじょうびおめでとう、ナツ”ね」

紙切れに書いてある言葉を読み上げながら、少女はケーキと紙切れを少年へと差し出す。
少年はケーキを見つめ、店内を眺めている男をちらりと見やった。
少年の父親は行方不明になっている。その父親を探すために少年は洋菓子職人として働いているのだ。そして、今店内にいる男は少年の求めている父親によく似ていた。

「……でも、違ぇ」

若すぎるし、纏っている雰囲気が違う。少年は、心配そうに窺ってくる少女の目に苦笑して、ケーキを受けとった。
ハート形の白いチョコレートに言葉を刻み、ケーキに乗せれば、それだけで世界にたった一つの贈物になる。ナツはこの作業が好きだった。今回は己と同じ名前というのが妙に気恥ずかしいが。
メッセージの刻まれたケーキは販売員である少女にわたり、包装されて男の手に渡った。
男が退店するのを見送った少年は、思い出したように慌ててエプロンを外す。

「やべぇ、待たせたら怒られる!」

慌ただしく出ていこうとする少年に、少女が名を呼んで呼びとめる。振り返る少年に少女は笑みを浮かべながら、ただ短く言葉を紡いだ。

「誕生日おめでとう」

少年は瞬きを数回繰り返した後、はにかんだ。

「サンキュー!」




2011,07,02

ナツ誕生日おめでとう!愛してる!

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