オオカミさんの腕の中





赤いのはランドセル。赤いのは髪。赤いのは……――――

夢から現実に引き上げられたナツは、飛びあがる様に上体を起きあがらせた。勢いでベッドが弾み、身体が揺れる。それを感じながら乱れた呼吸を整える。
薄暗い部屋の中を見渡して、落ち着かせるように深く息を吐き出した。

「……また同じ夢だ」

呼吸と同じく乱れていた鼓動も整い、漸く常通りの感覚を取り戻した。
時間を確認すれば起床にはまだ早い。再び倒そうとしていた上体を止め、ナツはベッドから抜け出した。
明かりの付いていない廊下は薄暗く不気味に感じる。ナツは眉を寄せながら部屋を出て、向かいに設置されている部屋の前で足を止める。
扉を見つめて立ちつくしていると、自動で扉が開いた。扉を開けたのは部屋の主で、主である茶髪の男は薄い笑みを浮かべてナツを見下ろす。

「ギルダーツ」

ナツが男の名を紡げば、その頼りない声にギルダーツは苦笑した。

「一緒に寝るか?」

ギルダーツは、頷いたナツを部屋の中へと招き入れた。
ナツがギルダーツの部屋に訪れるのは初めてではない。決まった時期になると、悪夢にうなされて目を覚まし、人を求める。
ギルダーツと共にベッドに入ったナツは、体温を欲するようにギルダーツに抱きついた。
これも毎度のことで、ギルダーツはそれを受け入れる。

「俺はお前を置いて行かねぇよ」

「……約束だからな」

ギルダーツの背に手を回し、胸に顔を埋める。
くぐもった声の後すぐにナツからは寝息が聞こえ始め、ギルダーツは桜色の髪を梳きながら目を細める。

「そのまま勘違いしててくれよ、ナツぅ」

ギルダーツはこみ上げてくる笑いをかみ殺して、しがみ付いている体温を逃がさぬように、両腕を回した。
ギルダーツは、ナツを置いて行かないのではない、離さないのだ。信じ切っているナツがギルダーツの真意に感づく事はないだろうが、この感情は重く黒い。
二人は七年前から共に暮らしている。血の繋がりなどなく、親族関係にあるわけでもない。
全くの赤の他人であった二人が今の関係になるには、一つの事件が関わっていた――――







ギルダーツは警察官という職業に就いていた。刑事課の強行犯係に属しており、幾度となく危険な場面と向き合っていた。
そして、七年前の夏、配属されてきた新米警察官の指導にあてられたのだが、犯人を追っている最中に殉死。
一人突っ走った新米警察官が原因とも言えるが、指導にあたっていたのはギルダーツ。ギルダーツは己を強く責め、警察官を辞職する事を考えていた。
鬱症状までも出ており仕事さえも満足に手につかない。ベテランと呼ばれて慕われてきた面影が消えていた。
そんな状態が続いていたある休日、ギルダーツは近場の公園に訪れていた。何か目的があるわけではない、呆然とベンチに腰掛けていた。
遠巻きで見てくる通行人など気にもとめず、昼に訪れ時間だけが経過していく中、ギルダーツの視界に桜色が入ってきた。

「おっちゃん、だいじょぶか?」

幼い声と、猫のようなつり目。そして、柔らかそうな桜色の髪。
俯くように座っていたギルダーツの前に、幼い少年がしゃがみ込み顔を覗きこんできたのだ。目を見張るギルダーツに、少年は背負っていた赤いランドセルに手を突っ込んだ。すぐに出されたその手には少しよれたハンカチ。
少年は、それをギルダーツへと差し出した。

「汗いっぱい出てるぞ」

ハンカチを使って汗を拭けと言っているのだ。ギルダーツが動かずにいると、少年は手を伸ばしてギルダーツの顔を拭き始めた。

「どっか痛ぇのか?」

心配げに問いかけてくる少年に、ギルダーツは必死で記憶を探った。少年とはどこで出会ったのか、いくつも事件に関わってきたのだ、その関係者か。しかし、どれほど思案しても答えは出ない。

「病院か?」

鮮やかな髪と同色の桜色の瞳。その瞳に映る己を見つめている内に、ギルダーツは心が軽くなっている気がした。実際に、純粋な目が向けられているという事実が救いになっていたのかもしれない。
己がここに存在し、許されているような錯覚。
ギルダーツは、少年の頭に手を伸ばし、ぐしゃりと撫でた。

「ありがとな、坊主」

ギルダーツの顔は自然と笑みを浮かべていた。少年も、それにつられたように笑みを浮かべると、持っていたハンカチをギルダーツに突きだす。

「これ、貸してやるよ」

今度は、差し出されるままにハンカチを受け取ってしまった。
ギルダーツは、己が持つには不釣り合いなそれを見つめ、少年へと視線を戻す。しかし、それと同時に、少年は背を向けて足り出してしまっていた。
引きとめようと慌てて伸ばした手は届かず、少年はあっという間に公園を出て行ってしまった。
ギルダーツは手の中にあるハンカチへと視線を落とす。広げてみれば、端の方に刺繍がほどこされていた。

「なつ・どらぐにる」

刺繍されていたのは名前で、間違いなく持ち主である少年の名だと断定できる。
ハンカチを手で弄ぶギルダーツの目には、桜色が焼き付いて離れることはなかった。

少年ナツと再会するのは簡単だった。ランドセルを背負っていたという事は小学生であり、公園の近くに小学校も存在する。
ナツが帰宅途中だったと予想し、休日は公園の同じベンチで待っていたのだ。一日目にして難なく再会を果たした。
ギルダーツの顔を覚えていたナツは、警戒心もなく隣へと座り込み、ギルダーツの顔をまじまじと見つめると、にっと笑みを浮かべる。

「今日は元気だな」

「坊主のおかげだ」

頭を撫でればナツがはにかむ。
その表情に、胸の奥がくすぐられている様な感覚になり、ギルダーツはナツから手を放して、ポケットに入れておいたハンカチを取り出した。ハンカチは数日前にナツから借りたものだ。
礼の言葉と共に差し出せば、ナツが受け取る。ハンカチをランドセルの中へとしまうのを見ていたギルダーツは浮かんだ疑問を口にした。

「ランドセル黒じゃないのか」

ナツの性別は見た通り男で間違いないだろう。今は多種にわたってい色が存在するが、男が赤いランドセルを持っている所など見たことがない。
ギルダーツの問いに、ナツは口を開く。

「赤好きなんだ」

男が赤いランドセルを使用してはいけないという規則はない。相槌をうとうとしたギルダーツだが、その前にナツが頬を染めながら続けた。

「父ちゃんの色だからな」

幼い目は何よりも輝いていた。声変わりのしていない声は何よりも嬉しそうに弾んでいた。その表情は、恋に近いものを持っていた。
ギルダーツは、己の中に毒が染み込んでいくような感覚に陥った。
ナツの口からは、父親を敬愛する言葉が並べられる。幼い言語力では難しい言葉は使われない、だからこそ簡単な好意の言葉を紡ぐ。

「ナツ」

初めて名を呼んだのだが、呼ばれた本人はその事には気づいていないようで、口を閉ざしてギルダーツへと目を向けた。

「父ちゃんの事が好きか?」

「おお!父ちゃんが一番大好きだ!」

満面の笑顔は日差しよりも眩しい。それとは逆に、ギルダーツの心は一瞬で冷めた。その後、ナツが何を話したのか覚えてはいない。
ただ、この日からギルダーツの日常に変化が訪れた。辞職の考えを辞め、仕事も以前のような覇気を取り戻し、なにより休日はナツと過ごすのが当り前のようになった。

公園近場の喫茶店に入り、目の前でホットケーキを頬張るナツを眺める。それだけでも、内に溜めこんでいる淀んだものが消えていく。
ギルダーツが自ら頼んだ軽食を口にしていると、ナツが口を開く。

「お巡りさんって悪いやつやっつけるんだよな」

ナツには己が警察官という職についていると話していた。辞職の考えをやめたのは、ナツの一言のせいだ。
かっこいい。ナツが目を輝かせて言った一言は、一瞬でギルダーツの考えを打ち消した。
ギルダーツは咀嚼を終えると、ナツの汚れた口元を拭ってやりながら口を開く。

「捕まえるだけな」

「やっつけねーのか……」

つまらなそうに口を尖らせるナツは、見て分かるほどに落胆している。

「やっつけてほしい奴でもいるのか?」

ギルダーツの問いに、ナツはちらりと視線を向ける。
窺うような幼い目は庇護欲を誘う。ギルダーツが目を細めると、ナツが微かに頬を紅潮させながら口を開いた。

「と、父ちゃん」

「嫌な事されてるのか?」

子供の虐待など、事件でもよく取り上げられている。過った不安に顔を顰めるが、ナツは否定するように首を振るった。

「父ちゃんの仕事」

虐待ではない事に安堵したのと同時に、ナツの言葉の意味が理解できず目を瞬く。

「父ちゃんすげー仕事大変なんだ!遊園地の約束もなくなったんだぞ!」

不満をぶつける様に言い放つナツに、ギルダーツは漸く理解し脱力した。
父親が仕事で忙しくて構ってくれない事が、仕事に父親をとられているようで不満なのだ。ナツの年齢から考えれば当然の望みだろう。

「悪いな、仕事をやっつけるのは無理だ」

ナツの父親がどんな職業についていたとしても、ギルダーツの力ではどうにもできない。
しかし、できる事もある。

「変わりに、俺と遊園地行かねぇか?」

「遊園地!?」

興奮して立ち上がるナツに、ギルダーツは続ける。

「行きてぇんだろ?」

「行きてー!」

まるで玩具のように何度も頷くナツの目は輝いている。そして、堪らずといったようで、幼い口は弾かれたように開いた。

「ギルダーツ大好きだ!」

ナツはすぐに好意の言葉を口にする。でもそれは、未だ食べかけであるホットケーキと同列のもの。そう理解していても、ナツから紡がれる言葉は容易くギルダーツの心を捕らえる。

「ああ、俺も好きだぜ」

しかし、思った通り事が運ぶわけがない。子供が被害にあう事件が多いせいか警戒したのだろう、ナツの父親はギルダーツとナツが二人で遊園地に行く事を許可しなかった。
一度顔を合わせれば安心するかと、父親に対面しに家へと訪れたが、それが更に事態を悪い方へと傾かせた。

「なんでだよ、父ちゃん!」

訴える様に見上げるナツにも目をくれず、父親はギルダーツから目を放さない。

「ナツに付き合ってくれたことは感謝していますが、二度と関わらないでもらいたい」

「父ちゃん!」

最初は好意的だった父親の目は、ほんのわずか時間を共に過ごすうちに非難変わっていった。
ナツは一人慌てて、ギルダーツと父親へと視線を交互に見やる。ギルダーツは、そんなナツの頭をぐしゃりと撫でた。

「今日は帰るな」

涙さえ浮かべているナツを安心させるように笑みを作り、ギルダーツはナツの家を後にする。
帰路へと足を進めるギルダーツの目は冷たく鋭いものに変わっていた。仕事時でさえあまり見せない冷徹な表情。

「勘がいいな」

ナツの父親は、ナツへの接し方からギルダーツの真意を悟ったのだ。それは見事的を得ていた。
ギルダーツはナツへと強い想いを抱いていたのだ。恋などと言うにはあまりにも歪み過ぎている執着で、ナツの父親と対面したことでギルダーツに狂気を生ませ、事件が起きた。
ドラグニル家に届いた宅配物が爆破。その日ナツは学校へと行っていて、家にいたのは父親のみ。爆発に気付いた近所の住人が警察を呼んだが、運が悪く警察が到着する前にナツが帰宅した。
部屋には焦げたような異臭が充満しており、赤く染まった床に父親の身体が転がっていた。炎のように赤かった髪は、赤黒く染まってしまっている。その光景を、幼い目に焼き付けてしまったのだ。
その頃、連続爆発事件が起きており、ドラグニル家の件も警察は同一犯の犯行を予想した。
そして、父親が亡くなり身寄りをなくしたナツは施設へと預けられる事になるはずだったのだが。

事件の数日後、父親の残酷な死を目の前にして精神不安定と判断されたナツは警察病院へと身を置かされ、そこへギルダーツは毎日訪れていた。
事件の衝撃で、事件以降ナツは一言も言葉を発していない。それどころか、まるで欠落してしまったように表情を変えることはなくなってしまった。

「これから、お前は児童養護施設に行く事になる」

ナツは俯いたままで顔をあげない。それは病院へと来てからは変わることがなく、全てを拒絶しているようだ。

「だけど、お前さえよければ……」

ギルダーツは幼い手を両手で包みこんで、顔を覗きこんだ。

「ナツ、俺と家族にならねぇか?」

初めてナツの表情が微かに変化した。間近にあるギルダーツの顔を見つめる、その瞳が涙で潤んでいく。

「俺はお前を一人にはしねぇ、必ず守る」

「……と、か」

か細い声は途切れていて、側にいるギルダーツにもうまく聞き取れなかった。ナツの言葉を待っていると、ナツの手を包んでいたギルダーツの手に水滴が落ちる。

「ほんとか?」

瞳から涙をこぼしながら、ナツはしゃくり上げた。縋るように吐き出された言葉を肯定するように、ギルダーツは幼いナツの身体を抱きしめる。
父親を亡くした喪失感と孤独感、ギルダーツの言葉はその一つを和らげた。

「ずっと一緒だ、ナツ」

しがみ付いてくるナツの存在を腕の中に感じながら、ギルダーツの口元は笑みで歪んでいた。




2011,06,24


現代風赤ずきんパロ。
ギルナツで、内容が分かりやす過ぎる。暗くてすみません。


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