抱きしめて離さないで2





「鍵、どこやったっけ」

ラクサスと共に家を出た時には、手に握りしめていたはずの合い鍵。ポケットの中を探ってみても見つからない。落としたのかと周囲に視線を落とすが、見当たらない。
ナツは、閉ざされている扉に手をあてた。

「入れねぇ……」

まるで、二度と会えないような気さえする。
イグニールの言葉が脳内をめぐり、ナツは涙を溢れさせた。

「会えなくなるなんて嫌だ」

罰で一月の間ドレアー家に立ち入る事を禁止された。しかし、それとは全く状況が違う。

「ラクサス!ラクサス!」

扉に拳をうちつけ、名を呼んで訴えかける。何度も続けていると、扉から解錠音がした。
ナツは動きを止め、開かれた扉から姿を現したラクサスに抱きつく。

「ラクサス!」

「ナツ……イグニールはどうした」

言い訳できない現場を見られたのだ。そんな状況で、イグニールが平気でナツの訪問を許すわけがない。
ナツはラクサスの問いに答えず、抱きつく力を強めた。

「ラクサス、好きだ」

くぐもった声に、ラクサスは声をかけようとするが、その前にナツが顔をあげた。涙を浮かべた瞳で訴えかけるようにラクサスを見上げる。

「俺はラクサスと一緒にいたいのに、父ちゃんが俺の事外国に連れてくって言うんだ。好きって悪いことなのか?一緒にいちゃいけないのか?なんでこんな痛ぇんだよ」

ラクサスには答えられない。何も知らなかったナツに手を出したのはラクサスだ。同性の恋愛が世間で認められていない事も知った上で、恋人という関係になった。
ナツに一般的常識を与えなかったのは、ナツが理解し、自分の元を離れていくことを避けたかったからだ。
卑怯な手段を取り、それが今、最悪な状態で返ってきた。

「普通じゃないからだ」

ラクサスの低い声に、ナツは眉をよせる。

「俺達みたいに男同士で付き合うのは、普通じゃねぇんだよ」

常識から外れ、後ろ指さされるような事。
ラクサスの瞳は、先ほどのイグニールの瞳と似ていた。己を責め、そしてその目はナツを見てはいない。

「普通ってなんだよ、好きになっちゃダメって事か?俺、ラクサスと離れたくねぇよ」

ラクサスは、縋りつくナツを一度強く抱きしめ、頬に手をそえた。反射的に顔をあげるナツを安堵させるように、笑みを浮かべる。

「お前をそんな風にした俺が逃げるわけにはいかねぇな」

恋愛などしらなかったナツが他人を強く求めるようになってしまった。元より、ラクサスからナツを手放す事などできるはずもない。

「ナツ、家を出るぞ」

意味が理解できず見上げてくるだけのナツに、ラクサスは続けた。

「ここにいれば俺達は会う事もできなくなる。ここを出て、二人だけで暮らすんだ」

家を出る時はナツを連れていく。先日のデートの時にラクサスがナツにした約束。それを、違った形で果たす。
ナツが頷くと、ラクサスは部屋へと戻り、財布一つ手に戻ってきた。

「金は多少ある。後は出てから考えればいい」

財布と口座に残っている金額を冷静に考えても、大した日数を過ごす事は出来ない。ラクサスは未成年で、それどころかナツなど中学入学して半年足らず。運が悪ければ補導されるという情けない結末になる。
冷静に思案しているラクサスの視界にマカロフの姿が入った。

「ラクサス」

話しを聞いていたのか、予想がついているだけか、マカロフは難しそうに顔を顰めていた。

「止めても無駄だ」

ナツの手を引いて出ていこうとするラクサスに、マカロフは手を振った。その手から放られたものがラクサスへと投げられる。
反射的に受け取ったそれに視線を落としたラクサスは、目を見開いた。

「ジジィ……」

ラクサスの手には預金通帳。名義はマカロフのものだ。

「さっさと行かんか、バカタレ」

呆然としていたラクサスは、マカロフの言葉に我に返った。通帳を持つ手に力を込め、小さく頷く。

「ありがとな」

「じっちゃん、ありがと!」

出ていく二人の姿を見送って、マカロフは呟いた。

「好きなようにせえ。ちゃんとお前たちを見ていなかった、ワシの責任じゃ」

家を飛び出した二人は逃げるように走っていた。ナツの手を引きながら、ラクサスは考えを巡らせる。

「ナツ、とりあえず駅に……」

「ナツ!ラクサス!」

名を呼ばれ、ラクサスとナツは反射的に足を止めた。名を呼んだ声がイグニールのものだったら、足を止める事はなかったのだが、声は聞き覚えのある女性のもの。
振り返った二人の目に映ったのは、制服姿のルーシィ。
ルーシィは、ナツとラクサスの服装をまじまじと見て首をかしげた。

「なにやってんのよ、二人とも。制服は?」

「登校には早いんじゃねぇか?」

運動部の早朝練習だとしても早い時間だ。訝しむラクサスに、ルーシィは、ああと頷いた。

「あたしは日直。早く目が覚めちゃったから部室で小説読もうと思って」

ルーシィは文学部という部活に所属している。活動内容は、小説を読んだり小説などの文章を書くこと。文学部の部室には古今東西の珍しい小説が集められており、小説家志望のルーシィにはもってこいの部活だ。

「それで、あんた達は?早朝デート……ってわけでもないわね」

ルーシィはナツに視線を向けた。ナツには珍しく俯いたままで、顔見知りならこの姿を見て素通りなどできないだろう。
ルーシィの問いに、ナツが小さく答えた。

「俺達、家出てきたんだ」

「は?それ、どういう意味よ」

困惑するルーシィに、ラクサスが口を開く。

「イグニールに俺たちの事がばれたんだよ」

ルーシィは、ラクサスとナツが恋仲であることを知っている数少ない内の一人だ。
ラクサスとナツの雰囲気から、イグニールの反応がどうなのか察するのはたやすい。何より、簡単に承認されるようなことではない。
ルーシィは眉を落とした。

「だからって、あんた達がしてる事って駆け落ちでしょ。おじさん達とちゃんと話ししたの?」

「必要ねぇよ。こいつと二人で生きてく」

正常な判断はできなくなっている事は、今のラクサスを見れば誰でも察することができる。

「そんなのダメ」

否定の言葉にラクサスは眉を寄せるが、不機嫌そうなその表情に臆することなく、ルーシィは続ける。

「うちにきて。お父さんほとんど家にいないし、あまってる部屋もあるから」

先を歩きはじめるラクサスに、ルーシィは声をあげた。

「あんた達の事喋ったりしない!信じて!」

ラクサスに手を引かれて歩いていたナツは、足を止めた。ナツの動きが止まり、ラクサスも動きを止め、反射的にナツへと振り返る。

「ラクサス……」

迷いと不安の浮かぶナツの瞳。ナツの手を掴んでいたラクサスは、その手を放した。
ルーシィの家へ訪れたナツ達は、ルーシィの自室へと招かれた。二人がソファに腰をおろしてすぐ、ルーシィは茶を入れてくると出ていってしまった。
精神的な不安に加えて睡眠をとっていないせいだろう、ナツはルーシィが出ていってすぐに眠ってしまった。座った状態でラクサスに寄りかかりながら静かに寝息をたてている。
ナツの寝顔に、ラクサスの張っていた気が弛んだ。

「少しは落ち着いた?」

戻ってきたルーシィの手にはトレー。その上には、湯気を立てている紅茶のカップが三つ乗っている。
ルーシィは静かに二人の向かい側のソファへと腰を落とし、カップをテーブルに並べた。眠っているナツを見て小さく息をつく。

「ナツが恋するなんて、想像もつかなかったな」

誰にでも壁など作らずに接し、共にいるだけで楽しくなる。誰にとってもそんな存在だったナツが、特別を作るなど想像もしなかった。
ナツとルーシィは高校に入学してすぐに知り合った、半年程度の付き合い。それでも気さくな性格同士すぐに打ち解け、まるで幼い頃から共にいたと錯覚してしまう程に仲が良くなった。
一月ほど前、ラクサスという恋人がいるとナツから告げられたルーシィは、暫く思考が停止した。
その時ルーシィは、まだラクサスとの面識はなく、ナツから聞かされてきた話しの中だけだったが、ナツの話しを聞いている内に男同士という壁が薄っぺらいものに感じるようになってしまった。

「ラクサスの話ししてる時のナツって、すごく楽しそうなのよ」

ナツは放課後をラクサスとの時間にしているから、学内のみだが。昼休みでも、ナツがする話しはラクサスに関する事ばかり。
うんざりしないわけがない。それでもナツの幸せそうな顔を見てしまえば、ルーシィだけではなく誰も制止する事などできなくなるのだ。
ナツの表情を脳裏に浮かべながら、ルーシィはラクサスへと視線を移した。

「あたしは恋とかした事ないけど、好きな人といるのが一番幸せだと思うから、あんた達には一緒にいてほしい。でも、そう思うのは、あたしがあんたたちの事を知ってるからなのよね。あたしはあんた達の友だちだから応援したいと思うけど、他の人は違う」

世間は常識から外れた事に対して冷たく、残酷だ。例え、二人がどれほど強く想い合っていても、それを世間の大半は良しとしない。
そして、世間の冷たい目に晒されることは、本人達だけではなく周囲をも傷つける。

「あんた達が周りから白い目で見られるなんて耐えられない。あたしだってそうなんだ、きっと、おじさん達はもっと辛い」

気持ちで劣っているとは考えてはいないけれど、友人と家族では違う。共にいた時間も比べ物にならない。
たった一度だけ、ラクサスを紹介される時に、ルーシィはイグニールとマカロフと顔を合わせている。子を孫を見守る目が優しいか、その一度見れば十分分かった。

「おじさん達は、あんたたちが大切なのよ」

マカロフもイグニールも、二人を大切に思っている分、余計に世間から非難されるような道を選んで、傷つく姿が見たくはないのだ。
そんな事はラクサスも分かっている。だからといって、ナツを手放すという選択をできるはずもないのだ。
黙ったままでいるラクサスの隣で、小さくてもはっきりとした声が響く。

「よく分かんねぇけど、分かった」

眠っていたはずのナツはいつの間にか目を覚ましていたのだ。
ナツは目を開いて、ラクサスに寄りかかっていた体勢をなおした。隣に座るラクサスへと顔を向ける。

「俺、父ちゃんと話したい」

それは、家に戻るという事だ。
ナツの言葉に、ラクサスは眉を寄せた。

「俺と、会えなくなってもいいのか」

「嫌に決まってんだろ!」

まるで睨み合う様に視線を絡める二人だったが、ナツがすぐに表情を緩めた。

「平気だって。父ちゃんならきっと分かってくれる」

ラクサスがナツの頭を撫でたことが了承となり、話しは終わった。
ナツは、己の目の前に出されている紅茶のカップを手に取ると、一気に飲み干した。息をついて、ルーシィへと視線を向ける。

「ありがとな、ルーシィ」

ナツの表情は常と同じ。数十分前に会った時とは別人のようで、ルーシィは安堵の笑みを浮かべた。

「うん。何かあったらいつでも来て」

逃げる場所があると思えば、少しは前向きに考えられる。逃げ道を完全にふさがれている状態では、決していい考えなど出ないから。

「だって、あたしはあんた達の友達なんだから」

いつだって力になる。
ルーシィの言葉に背を押され、ナツとラクサスはルーシィの家を後にした。
帰宅までの道のりが重く感じた事などない。少なくとも、ナツにはそんな状況には無縁だった。
手を繋ぎながら歩みを進める。無言な中、ナツの手が無意識に力を込めた。
ルーシィの前では平然としていたナツだが、イグニールの表情や言葉を思い出している内に緊張は強まっていった。

「ナツ」

ラクサスは真っすぐに前を向いたまま口を開いた。

「お前が好きだ。愛してる」

まるで呪文でも呟いているかのようだ。
ラクサスは足を止め、ナツへと振り向いた。

「お前を手放すなんて冗談じゃねぇ。もし、イグニールの許しがもらえなかったら……その時は、今度こそお前を攫って行くからな」

ラクサスの言葉は、ナツの緊張を取り去っていった。緊張とは違い心地良く刻む鼓動。ナツは赤らめた顔に、笑みを浮かべた。
再び足を進め、ナツの家の前まで来た二人は足を止めた。
ラクサスは玄関の扉を見つめていた視線を隣のナツへと移す。

「平気か?」

「おお。ラクサスが約束してくれたから、全然平気だ」

にっと浮かべられた笑みは、常通りのナツの笑顔。それに笑みで返したラクサスが足を踏み出そうとするが、それはナツに手を引かれることで止められてしまった。

「悪い、父ちゃんと二人だけで話してぇんだ」

イグニールに一度連れ戻された時のナツは動揺して精神が不安定だった。でも今は違う。
見上げてくるナツに、ラクサスは触れるだけの口づけを落として、手を放した。

「ここで待ってる」

ナツは頷くと、家の中へと入っていった。
家の中は静寂で、妙な緊張に包まれている。イグニールが在宅している事は、玄関に置いてある靴が証明しているのに明かりが点いていない。
ナツは静かに家へと上がり、リビングへと向かった。しかし予想は外れ、イグニールの姿はない。
ナツは階段を上がり、己の部屋の扉が開いているのを見て足を進めた。
部屋の中を覗けば、ベッドにイグニールが座りこんでいた。俯いたままで、まるで時が止まったかのように身動きしない。
そんな父親の姿に眉を寄せ、ナツは部屋の中へと足を踏みいれた。

「父ちゃん」

イグニールが漸く顔をあげた。ナツの姿を確認して、震える唇で名を紡ぐ。

「ナツ」

イグニールは立ち上がると、ナツへとゆっくりと近づいた。腕の中に閉じ込め、存在を確認するかのように強く抱きしめる。

「帰ってこないかと……よかった」

掠れた声は無理やり言葉を吐き出させたようで、ナツの胸を締め付けた。
大人しく腕の中に収まっているナツに、イグニールは囁く。

「さっきは強く言いすぎてごめんな」

謝罪の言葉にナツは首を振るった。イグニールが謝る必要などないのだ。そう無言で告げるナツに、イグニールは続ける。

「でもな、父ちゃんは、お前に幸せになってほしいんだよ」

先ほどとは違う、常通りの優しく諭すような声。
ナツが身じろぐと、イグニールは腕の力を緩めた。ナツは、ゆっくりと顔をあげる。

「父ちゃん、俺、ラクサスがいなきゃ幸せじゃねぇよ」

口を開こうとしたイグニールが喋り出す前に、ナツは続ける。

「ルーシィ達から聞いた。男同士は普通じゃないから、嫌な事言われたりするって。でも俺は、ラクサスじゃなきゃ嫌だ」

ラクサスじゃなきゃダメなんだ。
見つめる瞳同様に、ナツの声は真っすぐイグニールに向けられている。その声に含まれている強い意志には、不安が見えない。
言葉を失い、ただナツの声に耳を傾けるイグニールに、ナツは口を開く。

「誰になに言われても平気だ、ラクサスがいるなら何ともねぇ。じっちゃんや父ちゃんやルーシィ達が、俺たちの事分かってくれるなら、それでいい」

イグニールは仕事で家を空けることは多く、そのせいで、親子で過ごす時間が減っていた。ナツが親であるイグニールを求めるよりも強く、イグニールの方がナツと共にいられなかった時間を埋めたがっていたのだ。
イグニールの中では幼いまま成長を止めていたナツは、今イグニールの目に大きく映っていた。

「大人に、なってるんだな」

常識が乏しく幼いから、割りきれずに駄々をこねる。それでも、人を狂おしいほど愛してしまう程に成長はしていた。
イグニールは、未だ腕の中にいたナツを解放した。

「ナツ、ラクサスの事が好きか?」

何度もナツは口にした。それを再度イグニールが問い、ナツは躊躇うことなく頷く。

「ラクサスが好きだ」

その表情は、今までイグニールが見てきた笑顔よりも少しだけ大人びていた。

「……分かった、お前のやりたいようにしなさい。父ちゃんは、なにがあってもお前の味方だよ」

眩しそうに目を細めるイグニール。その表情は柔らかいながらも、わずかに寂しさを滲ませていた。
イグニールの承認を得られ、ナツは笑みを浮かべる。家の中を覆っていた張りつめていた空気も、いつの間にか消え去っていた。
ラクサスが外で待っているからと、二人は階下へと降りていく。

「ラクサスといつから付き合ってたんだ?」

イグニールの問いにナツは首をかしげた。体の関係は持ったのは中学に入学してすぐだが、互いに想いを自覚してからは日が浅い。

「うーん……一か月前、なのか?」

問うているのはイグニールなのだ、問いかえされても困る。
イグニールが苦笑しながら、目の前に迫っていた玄関の扉を開いた。扉を開けば、すぐにラクサスの姿を確認できた。
門柱に背を預けて立っていたラクサスは、扉の開く音に俯いていた顔をあげた。

「ラクサス」

ナツの明るい声に、ラクサスは若干固かった表情を緩めた。ナツが、親指を立てた拳を前に突き出すと、ラクサスはそれに応えるように目を細める。
愛おしむ様なその瞳に、イグニールは諦めたように小さく息をついた。

「ナツ」

イグニールは、歩み寄ってくるラクサスから、ナツへと視線を移した。

「お前はまだ中学生なんだから、清い交際をしなさい」

「きよい?」

首をかしげるナツに、イグニールは頷いた。

「手を繋ぐまでだな」

「それって、チューとエッチは今までみたいに……むぐ」

ラクサスは慌ててナツの口を手で覆った。しかし遅い、すでに危うい単語はイグニールの耳に入ってしまった。
視線をイグニールに向ければ、その顔は引きつっている。

「ラクサス、一度ちゃんと話をしようか」

怒りで震える声に、ラクサスも顔を引きつらせた。
その後、ラクサスとナツは、無期限で二人きりで会う事を禁じられたのだった。




2011,05,29

実際にはこんな簡単に解決せんだろうけど、ナツに甘過ぎるイグニール。
母親がいないナツ、母親がいなく父親が蒸発しているラクサス。寂しく辛い思いをさせてしまっていたと後ろめたさがある保護者組と、ナツを常識から踏み外させてしまったラクサス。
自分を責めている三人とは逆で、ひたすら自分の気持ちに正直なナツ。
家族と友だちでの、考え方の違い責任の有無とか。
というのは書きたかった、はず。


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