桃色に君を重ねた





踏みしめる落ち葉。収穫祭直後となれば冬の訪れを意味する。葉を纏っていた木のほとんどは肌をむき出しにしている。
ラクサスは、決して振り返る事なく足を進めていた。
置いてきたものに未練がないわけではない。祖父やギルド、ナツという存在を心から追い出す事などないだろう。
思っていたよりも遥かに力を身に付けていた、己よりいくつだか幼い少年。それを思い出し、ラクサスの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
マグノリアを出て数日、山をいくつか越えたところだった。山に似つかわしくない様な、若い女性の悲鳴が響き渡り、ラクサスは足を止めた。
生い茂る木々へと視線を向ければ、その隙間から女性が走っていくのが見える。それと同時に地響きにも似た轟音。

『何でこんなもんがうろついてる』

轟音は怪物の足音で、女性を追っている。
ラクサスは苦々しく顔を歪めた。
地図などなくても、ラクサスは、マグノリアからの大体の範囲は記憶している。その中でも今いる場所は、怪物などが生存する分布ではない。
怪物も動物と同じように縄張りをもち、迷い込みでもしない限り、他の地へと足を踏み入れる事はないはずなのだ。
ラクサスは駆け出し、女性が逃げていった方へと急ぐ。

『……ぞろぞろ出やがったな』

向かった先には、予想を超えた怪物の数。
一体ならば迷い込んだと片づけてもいいだろうが、図体のでかい怪物が複数となれば、作為的なものを感じても仕方がないだろう。

『きゃァァ!!』

怪物を一気にしとめようとしていたラクサスは悲鳴の声に止められてしまった。
視線を向ければ、先ほどの女性が崖へと追い込まれている。あと一歩でも足を後退すれば崖下に真っ逆さまだ。
面倒な事に巻き込まれるのも御免ならば、人を助けるなどラクサスの選択にはない。それでも脳裏を過るのはナツの姿。
知らずに足を動かしていた事に、ラクサスは内心舌打ちをした。己までも、いつの間にかナツの存在に感化されていたか。
だが、ラクサスが感じている事だけではなかった。
バランスを崩し崖下へと落下していく女性の身体。ラクサスの心を沸き立たせたのは、助けを請うように風に巻き上げられる長い髪。視界に入ったそれが、ナツを思い出させるような桃色だったからだろう。

『、邪魔だ!』

落下した女性、手を伸ばしても届く距離ではない。
行く手を阻むような怪物を一瞬で一掃し、女性の後を追う。
己の身体を雷に変え、崖を沿って移動する。しかし、落下する女性の身体を抱えたところで、ラクサスは違和感を覚えた。

『……ちッ、』

不自由な感覚。
いくら鍛え上げた体でも崖から地面に叩きつけられれば無事では済まない。滅竜魔法で竜の体質に変えた身体であれば、大した痛手にもならないし雷を纏えば衝撃も防げる。でもそれは全て魔法が使える前提の話だ。
魔法を発動させようとしたが、それは叶わなかった。それでも、落下する体を止めることはできない。
ラクサスは抱えていた女性の体を守るように抱き込み、衝撃に備えた。
下の茂っていた木に突っ込む。落下する身体は、木の枝で容赦なく傷つけられていき、鋭い痛みに顔を顰めている間に、体は地面に叩きつけられた。
身体が粉々になる。そういう表現以上に、全てを奪われるような感覚。
最後に、ラクサスの視界に入ったのは、己が愛してやまない桜色よりも明るい桃色の髪だった―――――。







目が覚めたラクサスは、ぼうっと天井を見つめる。見ていた夢にまだ意識が囚われているようだ。

「……そうだ、ナツ」

朝食の準備をしていて倒れた事を思い出し、漸くラクサスは我に返った。
ナツがどうしたのか気になる。慌てて上体を起こすと、身体にかかっていたシーツが引っ張られた。

「ナツ……キルシェか」

視界に入った桃色が、一瞬ナツのものに見えたが違う、キルシェがベッド脇に伏せて眠っていたのだ。
ラクサスが動いた揺れで目が覚めたのだろう、キルシェがゆっくりと起きあがった。

「あ、ラクサスさん!大丈夫なの、体は」

「平気だ」

キルシェは安堵の息をついた。

「本当に驚いたのよ。急にナツ君が牧場まで来て、ラクサスさんが倒れたって言うから」

「悪い、心配かけたな」

薄く笑みを浮かべるラクサスに、キルシェも表情を緩めた。
朝、牧場の手伝いに出かけたキルシェが作業を初めて間もなく、ナツが牧場に飛び込んできたのだ。訪れた事にも驚いたキルシェだったが、ナツの口から告げられた事に血の気が引いた。
キルシェが家へと戻るとベッドに眠るラクサスの姿。ナツが運んだのだろう、顔色は悪く魘されていた。
ラクサスが目を覚ました今でも、キルシェは思い出すだけで、瞳を涙で潤ませる。

「よかった、本当に」

キルシェは涙を浮かべて、ラクサスにしがみ付いた。

「キルシェ……」

ラクサスは、キルシェの背に回そうとしていた手を止めた。
今までだったら迷うことなく、安心させるためにキルシェを抱きしめる事もしただろう。それを拒ませたのは、脳裏を過ったナツの姿だった。
ラクサスはキルシェの肩を掴むと、体を離した。
拒否される様な行動を取られるとは思わなかったのだろう、キルシェの表情が歪む。

「もう少し寝かせてくれ」

「え、ええ、そうよね。ごめんなさい」

キルシェが立ちあがって、部屋を出て行こうとする。その後ろ姿を見つめて、ラクサスはキルシェの名を呼んだ。
振り返ったキルシェを見つめ、ラクサスは続ける。

「俺は、いつからこの村に居るんだ」

少し間をおいて、キルシェは笑みを浮かべながら口を開く。

「あなたはずっとこの村に居たのよ。忘れてしまっているだけで……大丈夫、心配しないで」

キルシェが扉の向こうへと姿を消す。それを見送って、ラクサスは体を倒し、シーツに身をゆだねながら目を閉じた。

「俺は、誰だ」

その問いに応える者は、いない。







「じーちゃーん、こっち終わったぞー!」

ナツは牛舎から出ると、外で牛の餌となる乾草を補給していた初老間際の男に手を振った。
ナツのそばには、搾りたての牛乳を満タンに注ぎ込んだ牛乳缶が並んでいる。夕日に照らされるそれに、男性は目を細めた。

「なかなか早いじゃないか。ナツ」

「おお!すげー楽しかった!」

無邪気な笑みを浮かべるナツを眩しそうに見つめ、男性はナツの頭を撫でた。

「お腹空いたろう。出来たてのチーズとパンがあるから食べよう」

それに返事したのは口ではなく、空腹を訴える腹の音だった。
恥ずかしそうにはにかんで、ナツは男性と共に牧場内にある男性の家へと向かった。

「はらへったー!」

元気よく家の中に入ると、チーズとパンの香ばしい匂いが鼻に飛び込んでくる。空腹な状態に加え、食欲を誘う匂いにナツは生唾を飲んだ。

「お疲れさま」

奥にある台所から男性の妻が出てきた。
柔らかく笑みを浮かべる、その手にはバスケットに詰め込まれたパン。焼き立てなのだろう、微かに湯気が立っている。

「すげぇうまそうだ!」

「ふふっ。今日はご馳走にしたのよ、いっぱい食べてね」

テーブルにパンを置きながら女性が告げると、ナツは頷いて席に着いた。テーブルの上にはスープやチーズ。アップルパイも準備されている。
三人が食卓につき食事を開始すると、男性は感心したように料理を眺める。

「今日は豪華じゃないか」

男性の言葉に、女性は恥ずかしそうにはにかみながら、パンを頬張るナツを見つめた。

「今日はこんなにかわいいお客様がいるんですもの。お手伝いもしてくれたお礼よ」

口いっぱいにパンを詰め込んで振り返ったナツの姿に笑みをこぼして、女性はチーズとパンを手に暖炉へと近づいた。揺らめく火にチーズをあぶり始める。
きょとんとそれを眺めるナツ。暫くすると、女性がナツへと近づいた。パンには炙って溶けたチーズが乗せられている。

「さぁ、どうぞ」

パンを受けとったナツはかぶり付くと、途端に目を輝かせ、女性を見上げる。

「うめぇ!!」

ナツは残っていたパンを口に放り込むと、チーズへと手を伸ばす。

「これ、火で溶かせばいいのか?」

頷いた女性が、ナツを暖炉へと促そうとするが、ナツは立ち上がらずに、チーズを手にとった。

「俺、自分の火があるから平気だ」

どういう意味かときょとんとする二人にナツはにっと笑みを浮かべる。

「俺は魔導士で、火が使えるんだ!」

ナツの言葉に二人の顔が強張る。

「どうしたんだ?」

首をかしげるナツの瞳を見つめていた女性は、眉を落とした。

「そうね……全ての魔導士が悪いわけではないのよね」

「何だ、悪い奴がいるのか!俺がやっつけてやるよ!」

拳を前へ突き出す動作を繰り返すナツに、女性は表情を緩めた。まだ少し強張っているように感じるが、先ほどよりも柔らかい。

「大丈夫よ。もう、大丈夫なの」

繰りかえすその言葉は、まるで自分へと言い聞かせているようだ。過去に何かあったのだろうと、ナツにもすぐに察する事が出来た。
問おうと口を開きかけたが、ナツは言葉を発する事なく閉ざしてしまった。女性が涙を浮かべていたのだ。余程の事があったのだろう、無暗に聞く事は出来ない。

「ごめんなさい、少し失礼するわ。ナツくんはゆっくり食べていてね」

女性は洗面所のある方へと向かっていった。
ナツは食事に再度手を付けるが、すぐに手を止め、同じように食事をしていた男性に視線を向ける。

「なぁ、じーちゃん」

ナツが何を問おうとしているのか察し、男性がゆっくりと口を開く。

「何年も前、この村は夜盗に襲われたんだよ。夜盗は複数の魔導士で、抵抗した村人が何人も殺された」

ナツの顔が自然と顰められる。
ナツとて闇ギルドと交戦した事が何度もあるのだ、魔導士が全ていい者だけでない事は身に染みて分かっている。
食事を終えたナツは、チーズやパンを持って牧場を後にした。キルシェ達が待つ家へと向かいながら、ナツは村を眺める。

「そんな風に見えねぇのに」

夜になり、村人は家の中へと入ってしまっているが、昼間見た時は平和としか見えない、幸せそうに笑っていたのだ。
しかし、優しくしてくれた牧場の夫婦も、娘夫婦と孫を殺されている。キルシェも婚約していた恋人を殺されていた。
そんな暗い過去を見せない様に笑顔で振舞っていたのだろうか。

「今更言っても仕方ねぇんだよな……くそっ、」

その時に自分がいれば助けてあげられたかもしれない。
過去をやり直す事などできないから、悔いても遅いのだ。

「それにしても、ここじゃ魔法が使えねぇのか。だから変な感じがしたんだな」

二度と魔導士に襲われないようにと、村の入り口でもある森から町を囲う様に魔力を封じる魔水晶が置かれていたのだ。
それと、ラクサスの存在。ずっと暮らしていたのだと言っていたが、違っていた。半月ほど前にキルシェが連れてきたのだという。ラクサスがマグノリアの街を出ていった時期とちょうど合う。

「やっぱり、ラクサスなのかな……」

キルシェが連れて帰った時意識がなく、目が覚めた時ラクサスは、名前以外の記憶を失っていた。
怪我は負っていたが奇跡的にたいしたことはなく、甲斐甲斐しく世話をしたキルシェに打ち解けていったラクサスは、そのままキルシェと共に暮らしているのだ。
キルシェの家の前にたどり着いていたナツは、足を止めた。窓から漏れる明かりを暫く眺め、家の中へと入る。

「ただいまー」

外からでも分かる通り家の灯りはついているのに、返事が帰って来ない。
一階に二人の姿は見られない。ラクサスが目を覚ましていないのなら、キルシェがラクサスのそばに付いていると考えていいだろう。

「おーい、キルシェ、ラクサス……」

パンとチーズをテーブルに下ろし、階段を上る。
しかし、二階へと足を踏み入れたところでナツは足を止めた。ナツの視線の先には、ラクサスに抱きつくキルシェの姿があった。
誰が見ても恋人同士にしか見えない二人に、気持ちが悪いほどに胸が騒ぐ。
ナツが一階へ引き返そうと足を一歩後退させた時だ、キルシェがナツに気付いて、ラクサスから体を離した。

「ナツくん!帰ってきてくれてよかったわ!」

ナツは、下げようとした足を止めて、キルシェとラクサスに歩み寄る。

「ただいま。じーちゃんたちからパンとチーズ貰ったぞ」

「ありがとう、ナツくん」

笑顔を向けるキルシェから、ナツは自然と目をそらしていた。

「ほら、ナツくんは平気でしょ?」

キルシェの声にナツは顔をあげた。
キルシェは呆れたようにラクサスを見上げており、ラクサスも決まりが悪そうに視線をそらしている。
きょとんとするナツに、キルシェの視線が移る。

「ラクサスさん、ナツくんを迎えに行こうとしていたのよ。目が覚めたばかりなのに」

咎める様にラクサスをちらりと見やるキルシェ。ラクサスは視線をそらしたままで、そんな二人をナツは交互に見やった。
先ほどキルシェがラクサスに抱きついていたのは、ラクサスを止めていただけだったのだ。
それに安堵したはずのナツの胸は、やはり緊張しているように鼓動をうっていた。
その理由を、ナツ自身も理解している。

「キルシェ」

性格に不釣り合いな静かなナツの声に、呼ばれたキルシェだけではなくラクサスの視線も集まった。
ナツは、一度ラクサスを見やり、キルシェに視線を向ける。

「俺、明日帰るな」

聞き返す様に、短く声をもらしたキルシェの声と、それにかき消されてしまったが、ラクサスの息をのむ音。その二つを、ナツはどこか遠くで聞いていた。

脈打つ鼓動は、別れの覚悟。




2011,04,30

ハイジのパン。

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