燃えるような赤





ナツを加えての初公演を終え、elementsは控室へと戻っていく。渡されたタオルで汗を拭いながら水分を補給する。
まだ高揚感が残っている中、見知った顔が訪れた。

「お疲れさま!」

「初めてにしては、なかなかだったぞ」

ルーシィとエルザだ。二人はナツに、公演の見物に来ると約束していたのだ。
二人の姿と言葉に、ナツははにかんだ。

「へへっ、サンキュー」

二人を加えての会話が飛び交う中、控室の扉が、数回合図のような音を立てて、開いた。顔を覗かせたのはスタッフの一人だ。

「ナツさんに花束が届いてますよ」

自分の名に反応して立ちあがったナツに、スタッフは手にしていた花束を手渡した。花束は真っ赤な薔薇のみで構成されている。
スタッフが出ていくのを見送って、ナツはまじまじと花束を見つめた。隠れるように添えてあったカードを手に取る。

「初公演おめでとうございます」

顔を覗かせたルーシィがカードに綴られている文字を読み上げた。しかし、それ以外の言葉は書かれていない、名前も。

「誰だ?」

「ファンだろう。良かったじゃないか」

エルザの言葉に頷いて、ナツは花束に鼻を寄せる。薔薇の香りが漂う。それに目を閉じて、ナツはゆっくりと口を開いた。

「父ちゃんの色だ」

唯一の父親の手がかりである髪の色。それを連想させる真っ赤な薔薇は、同じように燃える炎の様だった。

「それにしても、薔薇が紫ではないのが残念だな」

薔薇の花束を残念そうに見つめるエルザに、ルーシィは突っ込む事が出来ずに、空笑いをもらした。

公演を終えた後日は休日になっていて、elementsのメンバーは、各自休日を満喫していた。そんな中宿舎にロキが訪れ、全員が居間へと集まる。

「ドラマのオファーがきたよ」

いつも通りの笑顔で告げたロキに、ナツを除いたメンバーが反応する。

「へぇ、どんなドラマだよ」

「くだんねぇ内容じゃねぇだろうな」

「ロキ、ナツも入っているのか?」

全員が呼び集められたのであれば、当然ナツにも話しがきたと思っていいだろう。しかし、ラクサスの理解は違っていたようで、訝しむ様にナツへと視線を向けた。

「こいつが演技なんてもんできんのか?」

ラクサスの言葉も聞いていないようで、ナツはロキへと迫った。

「火吐く野菜と火吐く果物、どっちだ?」

ナツの言葉に、ロキは空笑いしかでなかった。グレイが呆れたように溜め息をもらす。

「学芸会じゃねぇんだからよ」

言葉とは逆に、微かに紅色した頬が緩んでいる。どちらにせよナツの希望する役などあるはずもない。
ロキは、持っていた鞄の中から冊子を取り出した。ドラマの台本であるそれを、ナツへと差し出す。

「純情豆物語?」

「そう、人気少女漫画が原作なんだよ。知ってるかい?」

台本の表紙に綴られている題を読み上げるナツに、ロキが問う。
ナツは、中身をめくりながら口を開いた。

「ウェンディが読んでたんだよ、確か。フレンズだっけ?」

ナツの記憶通り、純情豆物語は少女漫画雑誌フレンズで連載している。
ロキは頷きながら、ナツが開く台本へと顔を覗かせた。最初の方までページを戻して、配役の文字を指でさす。

「ナツはヒロイン役だよ」

相槌を打ちながら、ナツは並んでいる役名を目でたどる。ロキが、再び指を動かして、ヒロインの隣に記されている名前を指し示した。

「これが、君の演じるヒロインの父親役。大物俳優なんだよ」

「大物?」

「ライブの数日前、ちょうど映画のロケを終えて外国から帰って来たんだ」

数日前。大物俳優。
それにすぐに察しがついたミストガンが、ああと納得したように声をもらす。

「ナツ、彼と共演できるのは凄い事だ」

連鎖したようにラクサスとグレイも口を開く。

「そういや、ジジィがんなこと言ってたな」

「あの人、帰って来てたのか」

ナツだけは困惑したように、メンバーを眺める。元々、芸能に興味などなくelementsの事も知らなかったのだ。海外に出ていた俳優の事など、分かるはずもない。
きょとんとするナツに、ロキが口を開く。

「サラマンダーという映画で一躍有名になり、世界に名を知らしめた名俳優、イグニールだよ」

「イグニール?」

イグニールは、妖精の尻尾を代表する大物俳優。ほとんどが外国で活動しているため、稀に帰ってくることがあっても、長期間滞在する事などないからドラマに出演する事はなかった。

「今回のドラマ出演は、彼が直々に申し出たんだ。もちろん、作成側も断る理由はないから、即承諾」

作成側からしたら願ってもない事だろう。滅多に出演しない大物俳優が出るとなれば話題性も十分だ。
思っていたよりも大事なのだとナツも察したのだろう、表情が不安気に曇る。

「俺、演技とかよく分かんねぇんだけど」

「ごめんね、ナツ。悪いけど、断る事はできないんだ」

首をかしげるナツに、ロキは続けた。

「イグニールは、君との共演を条件に出したんだよ」

ナツだけでなく、ラクサス達も目を見張った。

「おい、こいつとは会った事もねぇだろ。何考えてんだ、あのおっさんは」

ナツも、ようやく楽器も扱えるようになり始めた。それでも、先日の公演で使った曲のみ。今は、短期間で叩きこんで、その状態だ。
演技などかじった事すらないナツには酷過ぎる話しだろう。
イグニールの人格が悪くない事は、何度も顔を合わせているラクサス達には分かっている。事務所の事も深く考え、社長であるマカロフも信頼するほどに人望もある。だが、今回の考えは理解し難い。
苦い顔をするラクサスに、ロキも難しそうに顔を歪めた。

「僕にもそれは分からない。帰国したばかりの彼とはまだ会えてないからね」

でも、と続ける。

「彼がする事だ、理由もなくこんな勝手な行動を起こすはずない」

「ジジィは何て言ってんだ」

「もちろん、社長も了承してる。撮影開始まで一月ほどあるから、その間、ナツにはガッツリ演技のレッスンを受けてもらうよ」

「が、ガッツリ……」

ラクサスの楽器の訓練。厳しさしかないそれを思い出して、ナツは顔を青ざめさせた。

「ルーシィやエルザも出演するみたいだし、共演者に知り合いが多いから、やりやすいと思うよ」

やりやすいと言うが、やはり納得できない。
ロキの話しを聞きながら、頷かずにいるナツの肩にミストガンの手が乗せられた。

「多少だが、私も演技の心得はある。力になろう」

拒否は許されていない、ロキは頷く事だけを待っているのだ。腹をくくるしかない。
ナツは、一度台本に視線を落とすと、ロキを見上げた。

「ロキ、俺やるよ」

ロキは安堵に笑みを浮かべた。

「よかった。……キスシーンもあるらしいけど、平気だよね」

この言葉で、雰囲気が一瞬で凍りついた。場が荒れた事は言うまでもない。
ナツ達が出演する事になった純情豆物語は、理想の男性は父親だと言いきる絵に描いた様なファザコンがヒロインで、徐々に新の恋に目覚めていくといった内容。
配役は、ナツのヒロイン役から始まり、幼馴染役がグレイ、生徒会長役がミストガンで、教師役がラクサスだ。
全ての配役が決定し、顔合わせをするまで、ナツは演技の稽古に追われる日々を送った。それを半月続けた日、ナツの元に一人の男が訪ねてきた。
スタジオの一室、時間のないナツの為に個人稽古をしているその場所。ナツが休憩していると、スタジオの扉が開いた。顔を覗かせたのは、赤髪の男。
ナツは、口に含んでいた飲料を、音をたてて飲み込んだ。

「……誰だ?」

赤髪に動揺したナツの声が震える。
男は、ナツを確認すると眩しそうに目を細め、ナツへと歩み寄った。

「はじめまして」

手を差し出す男に、ナツもつられたように手を差し出した。握手を交わしながら、男は口を開く。

「イグニールだ」

「お、お前がイグニールか!」

手を放そうとしたイグニールに、ナツは反射的に強く握ってしまった。
わずかに目を見開いたイグニールだが、それ以上にナツは驚きを表している。しかし、それはすぐに引っ込められた。
ナツはイグニールから手を放して、気まずそうに目をそらす。

「あ、あなたがイグニールさん、ですか」

初対面や目上の者には敬語を使えと、エルザにきつく言われているのだ。それに加え、ロキに、イグニールが大物だという事を教えられている。
たどたどしく言い直したナツに、イグニールは笑みを浮かべた。

「緊張しないで、楽に話しなさい」

柔らかい笑みは、ミストガンと重なる。しかし、ミストガンの時とはナツの反応が違った。ナツの頬に赤みがさす。

「あ、お、俺はナツ……よろしくな」

ナツには珍しく口ごもりながら顔を俯かせた。その反応に、イグニールはくすりと笑みを深める。

「よく知ってるよ」

上目づかいで見上げてくるナツの目に、微かな困惑の色が浮かぶ。

「演技の稽古、がんばってるみたいだね」

「うん……あのさ、なんで俺を」

「ナツ」

名を呼んでナツの言葉を止め、イグニールは続ける。

「練習しようか」

「練習?」

イグニールは放置されていた台本を手に取り、ナツへと差し出す。
ナツは、それを受けとりながら、ロキ達の言葉を思い出していた。イグニールがどれほど世界で認められている役者であるか。演技を教わるなら、これ以上の機会はないだろう。
ナツは頷いて台本を開いた。向かい合って椅子に座り、台詞合わせをする。
だが、ナツは、稽古時よりもうまく台詞を口にする事が出来なかった。特に限定した単語の部分。

「ぱ、ぱぱぱぱぱ」

「……そんなに嫌か?」

イグニールは目に見えて分かるほどに気落ちしていた。初対面のナツは知らないが、これほどまで情けない感情を表に出す事は、イグニールには珍しい。
ナツは、台本を持つ手に力を込めた。
ナツが言えないのは「パパ」という、ヒロインの父親に対する呼び名。それを、うまく音にできない。

「レッスンの時はもうちょっとうまいんだぞ!」

慌てて弁解するナツにイグニールが苦笑する。それを見ながら、ナツは顔を俯かせた。
己の足を見つめ、暫く間をおいて、口を開く。

「俺、父ちゃん知らねぇんだ」

イグニールの身体が小さく跳ねた。俯いていたナツは気付かなかったが、イグニールの顔は耐える様に顰められている。

「こいつの気持ちもよく分かんねぇ」

父親がいないから、父親を好きなヒロインの気持ちを理解する事が出来ない。
だから、パパという単語が滑らかに出てこない。そう言うのはただの言い訳に過ぎないのかもしれないが、役になりきれないのは事実だ。
口を尖らせるナツに、イグニールはゆっくりと口を開いた。

「父ちゃんの事、嫌いか?」

顔を上げたナツは、イグニールの表情を見て言葉を詰まらせた。
辛そうに歪める顔は、傷ついている以外に察する事は出来ないのだが、ナツには、イグニールが何故そんな顔をしているのか理解できない。

「別に嫌いとかじゃねぇよ……俺がここにいるのは、父ちゃんに会いたいからだし」

妙に早鐘を打つ胸に、ナツの表情も暗くなっていく。それに気づいたイグニールは小さく息を吐き出すと、笑みを張りつけた。
演技に長けている分、笑顔も作り物には見えない。少なくとも、ナツには見抜けなかった。
ナツは、イグニールの表情が変わった事に安堵して、入っていた力を抜く。

「ナツは、パパじゃなくて父ちゃんって呼ぶのか」

「おお、呼んだ事ねぇけど、父ちゃんかな」

「そうか……ナツ」

手を招き、誘われる様に立ち上がったナツに、イグニールは己の膝をぽんぽんと叩く。

「おいで」

膝の上に座れと言っているのだ。
ナツは顔を真っ赤に染めて、持っていた台本を握りしめた。イグニールの行動を理解しようと頭を働かせているナツの手を、イグニールが引く。

「パパのお願いだ」

囁くような声は、ナツに拒否を与えてはいない。強制はされていないが、ナツは頷くしかできなかった。
イグニールは己の膝の上にナツを座らせると、背後から手を回して、肩に顎を乗せる。
ナツにとっては居心地が悪いことこの上ない。
身動きできずに固まるナツに、イグニールは口を開く。

「ナツ、俺の事を父ちゃんって呼んでくれないか?」

肩に顎がのっている為に振り返れない。ナツが小さく身じろいだ。

「なんで?」

「演技の練習だよ。まずは、呼びやすいように呼んで、慣れたら台本通りに呼べばいい」

少し間をおいて、ナツは戸惑いながらもゆっくりと口を開いた。

「……と、父ちゃん?」

イグニールは返事を返さないが、その変わりに、ナツの腹に回されている手に力が込められた。その手が小刻みに震えている。
イグニールの様子を確認しようと目だけを動かすが、かすかに赤い髪が視界の端に入るだけで、顔は見えない。
ナツは、諦めて身体の力を抜いた。

「仕方ねぇ父ちゃんだな」

溜め息交じりに呟いたナツの言葉に、イグニールはようやく口を開いた。

「ごめんな」

その声は、震えていた。
二人のやり取りは、ナツの演技の稽古を見ている講師が来るまで続けられた。

「お前が演技初心者なのは知っていたけど、それでも、一緒に仕事がしたかったんだ」

短い謝罪の言葉を付け加え、去り際に、ナツにだけ聞こえる様に囁いたイグニールは、その場を後にした。
最後に見たきょとんとしたナツの表情を思い浮かべながら、事務所内にある社長室へと向かった。

「遅かったな」

社長室の扉を開いて開口一番、マカロフから言葉をかけられた。イグニールは、歩み寄りながら口を開く。

「ナツに会ってきました」

「お主の事だ、名乗り出てないんじゃろう」

返事も返さず表情を崩さない。それは、肯定ととっていいだろう。
マカロフは、呆れたようにイグニールを見やりながら続ける。

「ずいぶんと無謀な事をしたのう。ナツが気の毒でならん」

「あの子なら大丈夫ですよ。それに、ドラマの中だけでも、あの子の父親になりたかった」

「何を言っておる」

マカロフは溜め息交じりに呟く。

「お主はナツの父親じゃろう。いい加減、名乗り出てやらんか」

イグニールは目を細めただけで返事を返さない。その瞳には寂しさの色が濃く滲んでおり、マカロフから言葉を奪った。
謝罪の言葉をもらすイグニールを視界から外す様に、マカロフは瞳を閉じた。

「不器用なところは、いつまでも変らんか」




2011,04,18


イグニールがただのロリコンにしか見えない罠。
有名だからイグニールが父親だとは思っていないけど、自分でも気付かないとこで、ナツは何かを感じてる、的な。
流石に、紫の薔薇の人はやめておいた。


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